脅威のウェブメディア、Books&Appsについて
まずはご報告を。先月からBooks&Appsさんで週一ぐらいをペースに連載記事を書かせていただいております。以下に今まで書いた記事が載ってます。
一応一ヶ月続いたので、まあこれからも続けられるだろうと思ったのでこのブログでも告知する事にしました。あちらの記事も読んでいただけるとありがたいです。
実は今までも何回かライターの仕事を依頼された事はあったのですが色々あって全て断っていました。それが今回なんで引き受けることになったかといいますと、Books&Appsさんの経営理念が随分と面白かったからという事になります。
まあお仕事頂いてる手前もありますので、以下Books&Appsさんがどれだけぶっ飛んでるのかについて書いていこうと思います。
一ヶ月ぐらい前の某日、編集長の安達さんに誘われて、一人じゃ絶対に行かないような高いコーヒー(一杯1500円)を出す店に呼び出された僕は、正直この恐ろしい原稿依頼をしてくるのがどんな人なのか興味津々であった(以下が公式サイトに載ってる著者の写真)
だいぶ脚色を加えて、実際に合うまでに行われたメールでのやり取りを書くとこうなる。
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安達さん「高須賀さん。うちで原稿書きませんか?」
高須賀「どういうのをご所望ですか?」
安達さん「あ、うち自由なんで。特定個人を名指して攻撃しない記事なら、何でもオッケーです」
高須賀「はぁ!?なんでもいいんですか?」
安達さん「なんでもいいです。ていうか高須賀さんが自分で決めてください。原稿料もそっちで決めていいです。できる限り善処しますから。あと締め切りとかも全くないんで。書きたい時に書いて、書き終わったら好きなだけ送ってください。基本全部採用しますから」
高須賀「はぁ!?!?」
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どうです?やばいでしょ。ちなみにこの話を知り合いのライターに相談したら、全員が全員絶対そこ絶対ヤバイって、というアドバイスを僕にくれたことをコッソリ報告しておきます(実際は大変仕事しやすい素晴らしい環境です)
実はと言うか、仕事の依頼をもらうまで、Books&Appsさんの事は全く知らなかったんですよ(すみません・・・)仕事を依頼されて初めてサイトの存在を知ったので、とりあえずはてなの隅っこにいる末端ブロガーに仕事持ってくる会社がどんな所か気になって見に行ってみて衝撃を受けたんですよ。
何が凄いって?まずPV数が桁違いにヤバい。例えばこのサイト一番人気のこの記事のPV数は120万である。
ちなみにこのブログは普通に更新すると500ぐらい、そこそこバズってヒットしても5000ぐらいである。一番読まれたので5万位かなぁ。あ、あのー。仕事頼む相手間違えてませんかね・・・
とりあえず幾つかの代表的な記事と安達さんの出している本(面白かった)を読んだ上で、会合の地である、自分では絶対に行かないメチャクチャおしゃれなカフェに出かける事になりました。
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安達さん「どうも高須賀さん。うちで執筆いただけるようでありがとうございます」
高須賀「いやこちらこそ。ていうかあんな適当な感じの仕事依頼でいいんですか?」
安達さん「いいんです。っていうか今のSEO対策とかそういうのを目的にしてPV稼ぎを狙ったウェブメディアに未来はないと思ってますから。面白い記事書いてくれれば、それで十分です。締め切りも、前は設定していた事もあったんですけど、それすると記事のクオリティが経験上、高まらない事がよくわかったので設定してません」
高須賀「仰ること全てに心の底から賛同しますが、それで採算取れるんですか?」
安達さん「余裕です」
高須賀「ひょえー(´・ω・`)」
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いや最後の方はだいぶ脚色があるんだけど、僕もまあ全く同じことは思ってはいましたよ。量産型ブロガーだかなんだか知らないけど、くっそツマラナイ記事をネットの海に流しまくる人達がガンガンはてぶのトップとかに出てくるのをみながら「いやそんなクソつまらん記事書いてて何が楽しいの?ていうかこれ読んでる人も、こんなのが面白いと思ってるの?」ってワイン片手に量産型ブロガーへのアンチテーゼとして運営されているのがこのブログですから。
ただまあその結果が一記事書いて500PVという冷徹なまでの結果なわけで。まあ個人的には面白いモノ書いてるつもりではいますけど、正直数値は稼げないだろうなぁって思ってましたし、数値稼げないから仕事にもなりようがないだろうなぁとは思ってました。まあブログなんて所詮余暇だから、自分が楽しければそれでいいかなーって感じではあったんですよね。
そんな中で安達さんの野望はとんでもねえものだと思うんですよ。まあ考えてみれば、週刊少年ジャンプとかを筆頭とした紙媒体なんてそもそもSEO対策だなんて出来ないわけですから「面白いか否か」以外に人を呼ぶ要素が全くないんですよね。
そういう事から考えれば、ジャンプみたいに「面白い事」だけで人を呼び寄せるウェブメディアを作り上げるって野望はメチャクチャ理にかなっているっていうのはわかるんですけど、それをリアルに実現しようとしているってすげぇ事だと思うんですよね。
かつてはブロゴスやニュースピック等が頑張って到達しようとしたけどできなかったのがウェブメディアの少年ジャンプ化なわけですから。いや本人に直接「ジャンプ目指してるんですか?」って聞いたわけじゃないからなんとも言えないですけど。
そんなわけで、しばらくの間は面白くて為になる記事を週一を目安に寄稿し続けようと思っております。あ、Books&Appsさんはライター募集しているみたいですから、興味ある人は応募してみてはどうですかね?応募しても採用されるのかどうかはわかりませんが、とっても面白くて働きやすい仕事先であるのは太鼓判を押しちゃいますよっと。
あなたの核を作るための読書案内。高須賀が選ぶこの100冊 NO.6~NO.10
この記事の続きです。残り95冊。
活字中毒気味な今では考えられないけども、高校生ぐらいの頃は本を読むのがひたすら苦痛だった。とはいえ読書という行為に憧れはあったので、自分が読めるレベルの本からスタートする事にした。それがライトノベルやミステリーといったジャンルであった。
僕の読書遍歴は漫画→ライトノベル→ミステリー→自己啓発→受験参考書→ビジネス書→自伝→自然科学系→オールジャンルって感じだ。この順番に難易度がガンガン上がっていく。
ドラクエでもはじめはスライムを倒すことから始まる。読書も優しいものからスタートすれば、自然といつかは難解なものも読めるようになる。
さて前置きが長くなった。今回はみんな大好き、自己啓発本である。
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- 作者: ナポレオンヒル,Napoleon Hill,田中孝顕
- 出版社/メーカー: きこ書房
- 発売日: 1999/04
- メディア: 単行本
- 購入: 23人 クリック: 259回
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ナポレオン・ヒルの名著である。実をいうとこの本自体は読んだことがなくて、当時売っていたマニアックな会社が販売していた速聴CDしか聞いていない。
とはいえなんでこの本をここに持ってきたかというと、この「思考は現実化する」が僕の一大哲学だからだ。僕は今までの人生経験上「こうなりたい」という思いを抱いて生きていて、それが実現化しなかった事はほとんどない。
毎日毎日「なりたい自分」の姿を夢想しつづけるだけで、大体においてそれは何年か後に実現化する。もちろん努力もするんだけど、大切なのは自分がその夢を手に入れたいという気持ちをずっと持ち続ける事だ。
僕はこれで医大に合格したし、彼女もできた。最近だと執筆依頼が来たりと、まあ大体夢は実現している。今はとりあえず大金持ちになる事を夢想して生きている。
思考は現実化する。想像力も、意外と馬鹿にならない。
7
再受験生が教える医学部最短攻略法 2015年版 (YELL books)
- 作者: 荒川英輔
- 出版社/メーカー: エール出版社
- 発売日: 2013/10/02
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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たぶん人生で最も多く繰り返し読み込んだ本である(僕が読んだのは受験生当時のバージョンだけど)
当時とある進学校にいた僕は、身の回りにいる連中の一部に、少ない勉強時間にもかかわらず定期試験で高得点を叩き出している連中がいるという事実に気がついていた。
かけてる時間が少ないのに高得点を叩き出しているのだから、方法論自体が優れているに違いない。そう思った僕は書店で受験勉強法の本を読み漁った。和田秀樹、福井一成と有名どころを辿った後に見つけ出したのが荒川英輔氏のこの本だった。
はっきり言って革新的だった。和田・福井の方法論が頭がいい人が書いたあさっての方向を向いたわけのわからない受験勉強本だったのに対して、荒川の方法論はかなり凡人にも理解可能な範疇のものだった。
ものすごく、ものすごく読みこんだ。まるで敬虔なイスラム教徒がコーランを何度も何度も読み込み、正しい生き方とは何かを学び取ろうとするかのごとく、僕は正しい受験勉強という道を歩む為に、受験勉強そっちのけでこの本を読み込んだ。本末転倒である。
今考えれば、正しい受験勉強法なんていうのは極めて些細な事で、大切なのは当たり前だけど受験勉強自体をキチンとする事だ。偏差値は、勉強時間に比例する。受験勉強方法論を読んでも全く頭はよくならない。
これは本当に本当に大切な事なのでこれを読んでいる受験生の人がいたら、心に止めておいて欲しい。もう一つだけ付け加えるとすると、絶対に初めから難解な参考書を使わないこと。基礎の徹底だけで東大にも入れる。
それと初期段階では大手予備校の有名講師の基礎的な授業にキチンと通うこと。予備校は頭のいい連中には必要ないかもしれないが、バカには極めて大切だ。
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荒川の本の原本となったという本。荒川が上の本で大絶賛していたという事もあり、荒川信者は大体読んでいるはずだ。
内容は極めて合理的な受験勉強のための方法論である。これもメチャクチャ読み込んだ。正しい方法で受験勉強すれば、人より少ない労力で偏差値を上げることができるという幻想に囚われていた僕は、偏差値が上がらない理由を方法論が間違っているからだと思い込んでいた。実に愚かである。さっさと勉強すればよかったのに。
この本の著者、井藤さんは結構クセのある人で、本の中に色々な人生哲学やオススメ本を散りばめてくれていた。当時信者と化していた僕は、当然というかそれらのオススメ本も買って読んだ。
この当時はAmazonはまだ一般的ではなかったので、新宿・紀伊国屋とかの大型書店に出かけて書店員にリストを渡して本を探していた。今では紙の本は新品で買うことなんてほとんどない。隔世の感である。
この本に書いてる事自体は、正直訳に立たなかったけど(笑)ただまあ文字を読む良い訓練になったし、著者のような読書家になりたいという憧れを持つ事ができたのは大変よかった事だと思う。本書をきっかけとして、僕は道元やウィトゲンシュタイン、キリスト教などといった多数の面白い分野の本に手を伸ばす事となった。思い出深い一冊だ。
なお井藤さんの本はいくつか既に絶版だが、読み物としても大変おもしろいものが多いので、全て買って読むといいと思う。特に仕事力を高めるダイヤモンドルールは非常にいい本だった。なんで売れなかったんだろうこれ?
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- 作者: 西原 理恵子
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2011/06/23
- メディア: 文庫
- 購入: 6人 クリック: 83回
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その後、なんとか医大に入ることができた僕は、素晴らしい空気の読めなさも相まって大学で孤立していた。凄く寂しかったのは今でも覚えている。
西原理恵子さんの本は、どこかの部屋に置いてあった毎日かあさんが初めて出会ったきっかけだったと思う。お世辞にも読みやすいとは思えないその漫画に何故か惹きつけられた僕は、その後まあじゃんほうろうきに魂を打ち砕かれ、そして作者の人生哲学である本書を読むこととなった。
初めてこの世でいちばん大事なカネの話を読んだとき、文字通り感動に打ち震えた。最近ではお金の話をキチンとする本も結構見かけるようになったけど、この頃はそんな本は殆ど無かったと記憶している(僕が知らなかっただけかもだけど)
「貧乏は病気だ。それも、どうあがいても治らない、不治の病だ」
この一節を読んだ時、不思議と涙が止まらなかったのを今でも覚えている。僕は比較的裕福な家に育ったが、両親がひどくお金の話題を嫌っており、家庭内で全くお金の話を聞くことができなかった。
でもお金が生きていくうえで、本当に本当に大切なものだという事は幼心になんとなくはわかっていた。だけどムズカシイ経済学の教科書を読んでもリアルなお金についての大切さは全くわからない。その大切なお金の話を誰にでもわかりやすい形で初めて教えてくれたのがこの本だった。
今読んでも色あせない、素晴らしい名著だ。
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この本に出会ったのは偶然だった。たまたま書店で山積みされていた本書を読んで、おろしい情報量の密度に圧倒され、そのまま買って帰ったのを今でも覚えている。
その後から僕は一貫して橘さんのファンである。この間は講演会にも出かけてきた。現実の橘さんは想像していたよりかなり普通だった(けど発言内容はすざましかった。あんなに面白い講演会は生まれて初めてだ)
本書のテーマは極めて強烈だ。
貧困、格差、孤独死、うつ病、自殺…世界はとてつもなく残酷だ。それに抗えとばかりに自己啓発書や人格改造セミナーは「努力すればできる。夢は叶う」と鼓舞する。が、奇跡は起こらない。生まれ持った「わたし」が変わらないからだ。しかし絶望は無用。生き延びる方法は確実にある。さあ、その秘密を解き明かす進化と幸福をめぐる旅に出よう!
当時自己啓発にはまっていた僕は、のっけから自己啓発を否定するこの論調に一気に引き込まれた。そしてNO.6で紹介した「思考は現実化する」を翻訳した田中氏がメチャクチャな人生を送っている事をこの本を読んで初めて知り、自己啓発で人間は変われないのだという事実に酷く驚いた。
橘さんのスタンスは極めて冷酷だ。キチンとした学問的知識を元に、現実を一から考え直す。金融も脳科学も何でもかんでも、彼は全て本から得た信用できる知識から自分の考えを作り出している。このスタンスに僕は凄く凄くシビレた。
それまでの僕は、何かかっこいい事を言っている人の事を全面的に信じて生きていた。だけど橘さんの本を読んでから、読書を通じて学問を身につけ、そこから自分の頭を捻って人生哲学を創りだすという行為に初めて気がついた。
僕はこの本を読んで初めて、自分の頭で考えるという事がどういうことなのかを理解したのである。実に思い出深い一冊である。読むたびに新しい感動がある。
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さてとここまでで4000字にもなってしまった。続きはまた今度。
あと残り90冊。ほんとこの連載、終わるんかいな(笑)
4万円の椅子を買ったら人生観が一変した
少し前に森博嗣が作家の収支かなんかで「小説家になると決めた時、奮発して高い椅子を買った」とか書いてるのを読んで、「ふーん。やっぱ高い椅子って安いのと違っていいんかねぇ」と思ったことがあった。
それからしばらくして後、僕も寄る年波には勝てないのか肩と首と腰が痛むようになってきた。本とかを読んでいるだけなら全然大丈夫なんだけど、ブログという名の文章執筆作業をしているとどうも体がギシギシいってたまらない。
悲しいかな、実家が資産家ではないのであと40年はバリバリ働いて金を稼がねばならぬ。体は大切な資本だ。とはいえ体の事を思って趣味活動であるブログ執筆もできればやめたくない。
というわけで清水の舞台から飛び降りる覚悟で四万の椅子をAmazonで買ってから高須賀は滅茶苦茶に人生観が一変することになる。
えー四万の椅子ってこんなに座りごこち違うの~(´・ω・`)
AKRACING ゲーミングチェア NITRO BLUE 青
- 出版社/メーカー: AKRACING(エーケーレーシング)
- 発売日: 2015/08/14
- メディア: Housewares
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佐川のおっちゃんが苦労して運んできたデカデカとした箱に詰められて我が家にやってきたこの椅子は、存在感からして圧倒的だ。なんつうの?ゲーセンのF1ゲームのコクピットあるやん。まんまあれ。ゲーセン世代としてはテンションめっちゃあがんのよ。
まあ名前もゲーミングチェアだし、たぶん似たようなもんなんだろう。普通の椅子と比べて何が違うかというと、もう全てが違うのだけど、この椅子の魅力を一言でいいあわらわすと、滅茶苦茶執筆活動をしまくっても首も腰も肩も全くといって傷まないってことだ。さすが4万。並じゃねえ。
やー今年ももう半分が過ぎ去りそうな勢いですが、とりあえず今年買った中で最もよい買い物の一つなのは間違いない。今ならAmazonのセールで5/31まで10%オフなのも嬉しい。や、体は資本ですからね。ベッドと椅子はいいもの使うに越したことないですわ、ほんと。
激務経験者から「ベッドだけはいいもの使え。全然疲労蓄積度が違うから」って言われて本当にその通りだったんですけど(前に勤めてた超ウルトラハイパー野戦病院では室の悪い寝具を使ってる奴から順に体を壊してました)ほんと文章執筆をライフワークの一環として取り入れるは、ほんと椅子だけはいいもの使え。全然疲労蓄積度が違うから。
やーこれはほんといい買い物だったわ。あんま商品の宣伝ブログみたいの書くの好きじゃないんだけど、あまりにも素晴らしい買い物だったので臆面もなくべた褒めしちゃいますよ。や、いい椅子のある生活って最高ですわ。
あと全然関係ないですけど奥さん、今年から山の日とかいう祝日が8月にできたのってご存知でした?あの地獄の8月に祝日が一日加わったって、もうほんと日本政府もたまにはやんじゃんって感じですよね。
ま、そんなわけでみなさんもよいブログライフを。
日本が貧しくなっていったら、僕たちは核家族を捨ててムラ社会の頃の共同体に戻るのかもしれない
これから書くことは相当悲観的に日本の未来を予想したものだ。現実はもっとうまくいくかもしれないし、ひょっとしたら想像以上に悲惨な事になるかもしれない。
まあ戯言程度として付き合ってほしい。
家族という概念の変遷
核家族という概念がある。まあ簡単にいえばクレヨンしんちゃんの野原家を思い浮かべてもらえばいい。夫婦+子供だけの形、それが核家族。
この概念が比較的普遍的なものとなったのは日本では1920年頃だとされている。その後経済成長や人口増大もあって、1960年代頃にはこのモデルがいわゆる普通の家族の形として定着していった。
核家族化が進んでいった理由としては色々考えられるだろうけど、一つにはこれが最もストレスなく過ごせる家族モデルだって事が考えられるだろう。サザエさんのような複数世帯が同居するような家族モデルは、嫁・姑問題のみならず様々な人間関係の嫌な部分が生じてくる。
例えばサザエさんではカツオはニコニコしているけど、あんなに頻繁に波平にカミナリを落とされたら普通はグレるだろう。結局核家族っていうのは面倒くさい人間関係を極限までそぎ落とした結果の一つなのだと思う。
それなりに年収が高く、また平均寿命が短かった頃は、この家族形態はキチンと成立していた。祖父祖母の世代は介護が必要になる前にサクッと人生を終えてたし、子育ても妻が専業主婦になれるのならば、周りから助けを借りなくても何とかなった。だけどそれは経済成長と医学が必要以上に進歩してこなかった事の恩恵だったのである。
キチンと経済成長していた頃の日本
クレヨンしんちゃんの野原ひろしの設定は35歳で年収650万だ。これならば埼玉県春日部市に一軒家を構えて美しい妻を娶い、子供二人を男で一人で育てる事ができた。
このモデルはあの漫画が出た時の普通の家族をモデルにしたものだ。野原ひろしは全くハイスペックではなかった。
給料は究極的な事を言えば”生産人口が生み出す富の総和”から”非生産人口を支えるにかかる経費”を引いたものを生産人口で割ったものに平均化される。クレヨンしんちゃんが書かれたのは1990年だけど、この頃の日本は”それなりに”まだお金があって、”それなりに”支えるべき非生産人口の数が少なかった。すると普通の家庭でも平均年収650万ぐらいは手に入れる事ができた。
結局その後、かつてほどには成長できなくなった日本の若者の年収は半分くらいの300万程度まで下がった。”生産人口が生み出す富の総和”があまり増えず、”非生産人口を支えるにかかる経費”が増大した結果が、年収300万だ。するとどうなっただろう。
現在の日本
さっきも言ったけど、核家族という形態は面倒ごとを避けてきた僕たちが手に入れられたギリギリのラインだ。僕たちはサザエさんやちびまる子ちゃんの頃の家族の形にはできる限り戻りたくない。できる事なら、クレヨンしんちゃんが理想だ。
デマこいのid:Rootportさんはその著書である『失敗したら即終了!日本の若者がとるべき生存戦略』でデータを駆使して”子供を産むか産まないかの分水嶺は世帯年収500万円”だと述べた。
トイアンナさんはそのブログで最近の若者は結婚に焦っており、かつてのような結婚せずにまだまだ遊びたいという価値観は既に崩壊しつつあると分析した。
この二つの分析から考えると、今の日本の若者は”世帯年収500万”という”核家族をギリギリのラインで保てる”状況をなんとか保とうとしているんじゃないかという風に見えてくる。
クレヨンしんちゃんの野原ひろしの時代なら、普通に生きてて35歳で平均年収が650万だ。それなら30代ぐらいまで遊びたいという欲求と、核家族という社会形態を維持するという理想は両立可能だ。
だけど残念ながらそういう人生設計モデルは成長が乏しい今の日本では結構悲観的だ。そうなると若者は核家族というモデルと保つ為に、20代から生存戦略として結婚に焦らなくてはいけない。
若者一人当たりの年収が300万の今現在なら、夫婦で共働きすれば世帯年収はなんとか野原ひろし家ぐらいには到達できる。扶養排斥が受けられないし、介護費用もかかるし、保育園代もかかるしで現実はもうちょっと貧しくなるけど。まあ車も一軒家も諦めれば、なんとかギリギリ家族として生活はできるだろう。
けどこの家族モデルが成立しなくなったら僕たちはどうなってしまうのだろう?
日本の成長が鈍化してったら、家族の概念が再度変わるかもしれない
この社会形態のまま、日本がキチンと成長していって”生産人口が生み出す富の総和”がどんどん増えていくならば、たぶん僕たちは今のちょっと苦しい時代を何とか乗り越えていけるだろう。
だけど仮に日本があまり成長せずに、”非生産人口を支えるにかかる経費”ばかりがどんどん増大していったとしたら、世帯収入は普通に500万は割り込んでいくだろう。
で、どうなるか。日本は滅亡するのか。僕の予想はこうだ。たぶん家族という概念が変わる。より詳しく言えば、核家族というスタイルは一部の金持ちのものとなり、かつてのように共同体としてのムラ社会が新しい家族の形になる。
実は共同体としてのムラ社会の萌芽はいたるところで見られる。地方ではマイルドヤンキー的な生活スタイルが採択されているという分析はよく見かけるし、都会でもシェアハウスが一つのブームになりつつある。
僕たちはサザエさんの頃のように、親親戚と共同生活をおくる事は嫌だけど、友達とならなんとか共同生活ができる。それが今の若者の選択なのである。
新しい家族という社会形態では結婚の価値観も変わるかもしれない
若者一人当たりの収入がガンガン下がっていって300万を平気で割り込むようになったら、身を寄せ合うしかない。かつて田中ロミオは『家族計画』で全く血縁のないもの達が集い、家族を形成するという物語を描いた。あの物語は様々な問題ある人間が集まって、生存の為に『家族』を形成していた。
結局正規ルートではその後、主人公と一人のヒロインが結びついて子供を設け、家族を形成する事となったけど、当然というか選択肢の選びようで主人公は様々なヒロインとくっついていた。人間が集まれば、基本的には問題は複雑化する。みんなそんなに清廉潔白じゃない。
めぞん一刻の世界観では誰もヒロインである響子に手を出さず、五代と響子は周りの住民に囲まれつつ幸せな家族を形成する事ができた。でも現実はたぶん全ての共同体がそんなに清廉潔白にはいかないだろう。
五代君はいろんな女の子に手を出して、響子さんもいろんな男と関係を持つかもしれない。こういう時に結婚制度は形としては残るかもしれないけど、子供が誰の子かなのかは必要以上に求められないのかもしれない。
かつて遠い昔の江戸時代の頃には夜這いという文化があったというけど、割とマジな話、生き残るために共同体を形成しなくてはいけなくなったら、今のような結婚制度ならびに核家族というスタイルは機能しなくなり、まったく新しい共同体としての家族概念が形成されるかもしれない。
日本が今後、ガンガン成長しさえすればこんな下らない予想は永遠に訪れないだろう。けど成長できなかったら・・・僕たちはまた江戸時代の頃に逆戻りするのかもしれない。
今から江戸時代のムラ文化を予習しておくのも生存戦略としてはアリなのかもね。
成長が終わった国家、日本の平均年収が300万という現実について
平均年収300万といわれている現代。ほんとこれはギリギリ人間を踏みとどまれる最高のラインで実にうまくできていると思う。
年収300万というと、一か月あたりの手取りはだいたい15万程度だ。家も車も買わず、子供も持たずにいれば、まあ生きる事は可能ではある。
家賃に10万。光熱費水道ガス代ネットが月に2万ぐらいかかるとして、自炊で一食250円×20日≒5000円。その他で酒を飲むなり外食を楽しむなり漫画を買うなりして、月のお小遣いに2万円ぐらいは使うとしようか。
この時点での累計金額は145000円。残り5000円しかないので貯金はあんまりできないけど、まあ生活できない事はない。
国が成長していた頃は、全体的に余裕があったからいいものの、ある程度成熟して人に余裕が生まれなくなった現代日本の平均年収が300万ってのは、ほんとうまくでき過ぎてて笑いが起きるレベルである。
平均年収が300万ってのは、結局のところ成長していた頃はパイが大きかったからよかったけど、成熟したらギリギリ生きれるレベルで収入が平均化せざるをえなかったというだけの話なのだ。
こういう現実に直面した国民が、どういう生き残り戦略を選択するのかについては非常に興味がつきないところではある。日本は今まで成長する事しかしらなかったけど、今後は成長する場所がないとすると、三丁目の夕日の頃とは違って夢も希望もあったもんじゃない。
どんなに貧しくても、追いつく先があった頃はよかった。脱亜入欧を叫んで清貧を良しとした頃の日本には夢があった。
それがどうだろう。もう現代日本には成長という二文字が期待できる場所がほとんど残されていない。グローバル化は富める者をますます金持ちにし、貧しいものを全世界でほぼ共通して同一労働同一賃金へと押しやった。
どうにかしたいとは思うものの、この残酷な現実を前に私達は何をするべきなんだろうという事についての解決策は正直全く思い浮かばない。能力がある個人が金を稼ぐ方法はある程度思い浮かぶけど、能力がない人間にも余裕ある生活を提供できるような現実が、まったく思い浮かばない。
ほんとどうすればいいんだろうね・・・
<続き>
ガチのグルメが死ぬほどうまい香川うどんを食べさせてくれる店を紹介するよ
『うどんなんてどこで食べても同じでしょ?っていうかソバの方が美味しくない?』
断言しよう。あなたはマジで旨いうどんを食べたことがない。
県の名前すらうどんに変えてしまった愛すべきキチガイ国家香川。なんと県内だけで700件近くにも及ぶうどん屋があるという。おまけにその殆どは車でないと行けないような郊外にあったりと、正直うどん県の人達もう少し中央集権化しようよと言いたくなるぐらいに不便。極めつけは何故かはわからないが、駅近くにあるうどん屋はあまり美味しくないという事で、んーうどん県、そういうツンデレっぽいところ俺嫌いじゃないよ?
前置きが長くなった。本当は俺とマジで旨いうどんの出会いについてのエピソードを筆圧たっぷりと書き上げていきたいところなのだけど、断腸の思いでそれを切り上げてオススメ店リストを上げていく事にする。
1.出汁系
上原屋 本店
な、なんじゃこの旨すぎる出汁は~( ゚Д゚)
香川うどんが他のうどんと比べて極めて特異的なのは、出汁に上質なイリコをふんだんに使用している事があげられる。
関東暮らしが長かった僕は、それまで出汁のうどんというとカツオもしくは昆布から取られた出汁でうどんを食べる事が多く、食べるたびに『いや、太い麺に淡白なカツオと昆布の出汁って合わないよね?』と思っていた。それが香川で初めてイリコ出汁を味わい、文字通り震え上がるほどの感動を覚えた。い、イリコ・・・てめえなかなかやるじゃねえか。
しょぱなから取り上げる上原屋総本店は、基本的には平凡なレベルの店しかない香川の中央地区に位置する店だ(香川の名店は基本的には車でないといけない郊外にしかない)。しかしその出汁のうまさは唯一無二といっても過言ではない。
香川うどんの面白い機材の一つに、各自が蛇口をひねって器に出汁をジョボジョボ入れるための道具がある。どういうものか思い浮かべられない人は、ビールサーバーみたいなものを思いうがべてもらえば大体は合ってる。香川のビールサーバーは捻ると出汁が出てくるのだ。それも一流料亭顔負けの極上のが、だ。
僕は香川に出かけると、まずは一杯のかけうどんを食べる。どんぶりイッパイに出汁を入れ、ズズっと口の中に澄んだそれをほおばった瞬間といったら。なんか変な薬でも入ってんじゃねえかと言いたくなるぐらいに旨い。いや本当に。
出汁系ならば他には松岡も素晴らしい。麺と出汁の調和という意味では、香川でも随一の店といえる。
他に上戸もオススメ。ちょっと中央から遠いのが難点だけど、車を飛ばして行く価値は十分にある。
2.麺系
なかむら
ゆで上げられたはずのこの麺の不思議なコシ。誤解を恐れずに言えばグミそのものである。
なかむらはかの村上春樹が有名にした店である。当初は地元のタクシードライバーですら『こんなところにうどん屋があるだなんて知らなかったよ』と言っていた店で、文字通り畑の真ん中にポツンと立っていたという店だ(余談だが香川には今でもそんな店が結構ある。そしてそういう店に限って何故か美味しい)
かつてのなかむらを有名にした伝説のエピソードがある。ある日、客がネギがなくなった事を店員に伝えると
『その辺の畑に生えてる奴を勝手に抜いてきてくれ』
と言われたという。なんだその超・自遊空間。その面白エピソードが村上春樹に紹介された事から、なかむらは香川うどんで一躍スターダムに押し込まれた。
さてそんな一見イロモノのなかむらだが、変な場所にあるだとか村上春樹が取り上げただとか、そういいう話抜きに香川でも極めてユニークな一軒である。
何が凄いって?麺がグミなのだ。ためしに口に含んで少し引っ張ってみるといい。グーンと伸びるから。
蕎麦のシャキッとしたコシと似たような触感のうどんを出す店は香川にも結構ある。水でしっかりと〆られたうどんは、駅構内にあるスタンド蕎麦屋で出されるうどんとは一線を画した旨さがある。稲庭うどんなんかもその系統だし、大阪のうどんも基本的にはこの系統だ。これはこれでマジで旨い。
ただなかむらの麺はそういうものともまた違う。誤解を恐れずに言えば、なんか変なのだ。基本的にはうどんは暖かくするとコシが消えるのだけど、なかむらの麺は水で〆ようがお湯で温めなおそうが、いつも変わらずグミである。僕は結構うどんを食べ歩いてきた方だけど、未だになかむらのような麺を出す店を知らない。
なかむらは出汁も旨いのでかけうどんも捨てがたいのだけど、麺のうまみを味わうという意味でもざるか醤油うどんでぜひ食べてみて欲しい。かまたまにするのも悪くない。つけあわせにちくわの天ぷらでも合わせて食べれば申し分ないだろう。
難点は超超行列に並ばないと食べられない事だろうか。GWなどの繁忙期は2時間待ちは覚悟しなくてはいけない。とはいえその価値はあると断言しよう。
その他の麺系の美味しいお店だが、基本的に麺系の美味しいお店は有名店に集中してしまうのである程度の行列は覚悟して欲しい。
まずは日の出製麺所を外す事はできないだろう。一日1時間しか営業しないというこの店は、製麺所が経営する店だけあって麺の旨さは極め付けだ。ぶっかけや冷やかけがオススメ。ちなみにネギは机の上にゴムで縛っておいてあり、これを各自ハサミで切って取るという方式を採用している。
これまた有名店で恐縮なのだが、谷川米穀店も麺の旨さでは卓越した一店だ。
店は山の奥にあり、味付けは醤油しかないという、どう考えても流行る要素のない店だが、全国のうどん好きがその麺を味わいに続々と訪れるという奇跡のような店である。
おかわりシステムという香川でも極めてユニークなシステムを採用しており、一杯食べ終わってまた食べたくなったら行列に並びなおさずに店員にもう一杯欲しい旨を伝えれば、麺をまたどんぶりに入れてくれる。僕の知り合いの猛者は7回おかわりしたらしい
(-_-;)
メニューは冷たい麺か暖かい麺かの二つの選択肢しかない。おかわり可能なので両方とも食べてもらいたいが、オススメは暖かい方である。あつあつの麺に醤油を垂らして食べると、小麦の香ばしさが醤油で際立ち芳醇な旨みが口の中を駆け巡る。しばらくしたら卓上にある唐辛子の佃煮を入れて食べると、またキリッとした味わいがして一興だ。
3.釜揚げうどん
こ、こいつはヤバすぎるぅぅぅぅ( ;∀;)
かつて香川には『西の長田うどん、東のわら屋』という伝承があった。香川には釜揚げうどんというジャンルがあり(平たく言えば暖かいざる蕎麦、つけ麺のあつ盛りのようなもの)、その二大巨頭が長田うどんとわら屋という店だった。
そのうち長田うどんはお家騒動でひと悶着あり分裂。近くに長田in香の香という喧嘩別れ当然の形で出店した店にボコボコに打ち負かされ、長い間『最近あそこ不味くなったよね』という評価を甘んじて受け入れていた。
しかし近年では心を入れ替えたからかその味は著しく向上。素晴らしき名店の一つとして再びその地位を取り戻すことに成功した。
釜揚げうどんとは、暖かく茹でられた麺をざる蕎麦のツユのようなものに浸して食べるものなのだが、特徴的なのはその深いイリコの出汁である。醤油とみりんで濃く味付けがなされたそれは、それ単体で飲んでも酒のつまみになるほどの強烈な旨みを有しており、正直これが東京にまだ持ち込まれないのは日本の国益を著しく棄損しているとすら思っている。それぐらいは旨い。
真の釜揚げうどんを出す店は本場香川といえど数少ないのだが、その数少ない店が長田うどんと長田in香の香である。
ただ長田in香の香は食べログ評価が香川で1位で、そのせいか恐ろしく並ばないと食べられないのが難点であった。
その点、長田うどんはかつての評判が尾を引いているのか、それなりに容易に食べられるのがありがたい。その出汁のあまりの旨さに高須賀もおもわず首ったけである。
4. カレーうどん
五右衛門
くっ・・・悔しい・・・か、カレーうどんでこんなに感じちゃうだなんて。
カレーうどん、それは一晩たったカレーを食べた後で余ったルーを食べるための方法であり、まあ美味しいっちゃ美味しいけど所詮外道だよね。
そう思っていた。少なくともグルメな一品ではないと思っていた。五右衛門に行く前までは。
香川のうどん屋は基本的には昼のみの営業であり、夜やっている店はほとんどない。少なくとも有名店で深夜営業しているような店は一軒もない。しかし何故か面白いことに、高松市内ではカレーうどんの店が複数夜に営業しているのである。
僕は正直、初めは食指が動かなかった。どうせ昼営業して勝てないから夜にカレーで売ってるんでしょ?そう思っていた。ただ食べないまま批判するのも何だから、食べてから批判してやろう。そう思い五右衛門のドアを開いた先で高須賀はうどんの新境地をみた。
( ゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒゴッ!!!ゴホッ!ゴホッオエェェェー!!!
か、カレーうどん旨っ
認めたくないものだな・・・若さゆえの過ちというものは・・・
さてそんな人類の新天地を作り出している五右衛門だが、和風カレーと洋風カレーの二種類のうどんを提供している。正直かなり甲乙つけがたいのだが、強いて言えば和風がオススメだ。昼間に散々うどんを食べ飽きてきたあなたも『うどん( ゚Д゚)オイチイ』となるのは必至である。
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いかがだっただろうか。これを読んだあなた。特にうどんが美味しくないと思っているあなた。つべこべいわずに香川へGoである。
食わずに死ねるか!そう言いたくなる何かが香川にはある。
うどん県と名乗る覚悟は伊達じゃねえ。
日本を観光大国として復興するために必要な手法をグルメという視点から分析してみた
デーヴィット・アトキンスはその著書・新観光論でこう述べた。
デービッド・アトキンソン 新・観光立国論―イギリス人アナリストが提言する21世紀の「所得倍増計画」
- 作者: デービッドアトキンソン
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2015/06/05
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経済発展に必要なのは人口増加である。国内の人口増加が見込めない国は、移民によりこれを解決しなくてはいけない。
では日本のように移民を受け入れられない国が繁栄する為にはどうすればいいか?観光客という”短期移民”を多量に流入させ、金を落とすように仕向ければいい。
では観光客がバカンスを楽しむ先として、選ぶ基準点は何か。それは「気候」「自然」「文化」「食事」4つの要因である。これらが優れている事が観光大国になるための必要条件だ。
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詳しい内容は本書を読んでいただくとして、今回は『食事』にのみ論点を絞って書いていく事にする。
日本の外食の安さは先進国としては異常
ヨーロッパでもアメリカでもどこでもいいのだけど、先進国を旅した事がある人は現地のレストランの値段の高さに驚いたはずだ。町中のカフェに入ってコーヒーとサンドイッチを頼んだら平気で1500円ぐらいかかる。
レストランなんてもっと凄い。軽く食事をしただけで平気で3000円を超える。上級ラインはもっと凄く、3-5万なんて金額は当たり前のように請求される。
日本の食事事情は先進国としては異常だ。立ち食い蕎麦は200円もあれば食べられるし、大衆食堂は1000円もしない。3000~5000円も出せば随分立派なものが食べられるし、一万も出せばかつては貴族しか利用できなかったような高級レストランにだっていく事が可能だ。
おまけに美味しい。諸外国のレストランは現在でも死ぬほど不味いところがそこそこあるのに対し、日本では不味いレストランを探す方が困難だ。はっきりいうが、こんな国は他にはない。
安くてうまい。日本は食事という点では、十分観光大国になりうる潜在能力を有している。ミシュランの星も世界で一番多いこともそのことを十分に裏付けている。
だけどこれだけでは食の観光大国になるにはまだ不十分なのである。
同じフランス料理なら日本よりもフランスで食べたいよね
当たり前だけど、人は本物を愛する。どんなに上手くできた贋作も、本物にはかなわない。
もし仮に、あなたが”おいしいフランス料理”を食べるために旅行の計画を練ったとしよう。その時にフランス以外の国が選択肢に入ることはまずないはずだ。
はっきり断言するけど、日本のレストランのレベルは諸外国の本場の味と比較してもまったく遜色がない。いやそれどころかもっと美味しいかもしれない。
だけど外国人が”わざわざ”日本にフランス料理を食べに来るだろうか?日本のフレンチは本場と比べて半額程度で同じクオリティのものが出てくるけど、高い航空券と移動のためにかかる時間というコストは、数千円程度食事が安い事とは全くつり合いが取れていない。
もちろん『食事』以外の目的で日本を訪れた人からすれば、結果として日本の安くておいしい食事はありがたいものになるだろう。けどそれはあくまで副次的なものであって、食事で観光客を呼んでいるわけではない。
あなたはマチュピチュ遺跡やウユニ湖を見に行きたいと思ったときに、食事の美味しさがそこに行くかどうかの要因になるだろうか?正直メシがどんなに不味かろうが”そこ”に行きたいと思えるのなら行くはずだ。残念ながら安くて美味しいだけでは観光客を呼べないのだ。
日本が食事大国となり観光客を誘致するためにはどうすればいいか?
先もいったが観光客はオリジナルを愛する。どんなに優れた偽物も、本物には勝てない。
じゃあどうすればいいかなんて簡単だ。まず一つ目は、日本固有のものを売り出せばいい。
元からある日本料理や寿司、天ぷらなどといったものはそれだけで十分資産価値がある。ただ残念かな。私たち日本人は実は自国の料理についてほとんど詳しくない。日本料理の歴史、寿司の歴史、天ぷらの歴史。その素晴らしき魅力を語るための言葉を有していないのだ。
諸外国の人々が喜ぶような魅力をプレゼンテーションできずに、門戸を閉ざしてわかる人だけがわかればいいなんていう時代は終わった。人が物事にあこがれるキッカケは一つでも多い方がいい。もしあなたが外国人と話した際に”日本のいいところを教えて下さい”と言われたら何が言えるだろう?
寿司が美味しい?天ぷらが美味しい?そんなちゃちなほめ言葉では人は動かない。待ってましたといわんばかりに脳内で構築したストーリーを展開し、相手の心に憧れを刻み込む必要がある。
当然というか現場の人も全員が全員、この手の知識に明るいわけではない。我々庶民に加えて、すべての人が日本という国の食文化の教養を高める必要がある。観光PRをするのは観光庁だけの仕事ではない。私たち一人一人が教養を高めていく必要がある。
その他ジャンルの料理人はどうればいいのか
では今度は日本以外の料理はどうすればよいのかについてみていこう。残念ながら、フレンチもイタリアンも中華も日本の料理ではない。どんなに優れていても、本物ではないのだ。
じゃあどうすればいいのか?結論は一つしかない。元のジャンルを超えて、オリジナルになればいい。そうして他のどこにもない、日本初の全く新しい料理を作り出せばいい。
かつてスペインにエル・ブジというレストランがあった。分子ガストロノミーという手法により作られるその料理は、数々の美食家に驚きを与え瞬く間に世界一のレストランの階段を駆け上った。
エルブジの取った手法はゼロから生まれたわけではない。フレンチやイタリアンの技法を根底に、人口イクラや液体窒素といった科学的な手法を取り入れて、まったく新しい料理のスタイルを築き上げた。
この事から我々が学べるのは、本場を踏襲して作られたコピー料理も複数組み込んでオリジナリティを生み出してしまえば本物を超えるという事だ。じゃあどうすればいいか。そのために日本固有の料理以外の料理を作る料理人も、他分野のジャンルの教養を深く取り入れる必要がある。
フランス料理人ならまずはフランス料理の歴史を深く学びなおし、そこから自分なりのフランス料理哲学をくみ取る。そしてその抽出された哲学を自分なりに再解釈する。そしてそれを他分野でも行う。
武道には『守・破・離』という言葉がある。人はゼロからは何も生み出せない。まずは先人が残した遺産である基本の型を高速で身につける事で初めて人類が辿ってきたルートを身につける事ができる。
学問に王道はないというけども、それは習得するための手法の話であってある段階までの結論は一様だ。どんなに頑張ったって物理はニュートン力学や相対性理論に行き着く。ならばそこまではテキストを用いて高速で学んだ方がはるかに効率が良い。
そうして最先端を身に着けたら、今度はそれまで身に着けた知恵や技術を用いてそれまでの常識という殻を破る必要がある。そうして自分で自在に新しい何かを生み出せるようになった時、初めて人はそれまで学んだものから自由になる事ができる。それははたから見ればまったく新しい何かだけど、キチンとそれまでの古典を踏襲したものなのである。
イノベーションはいつだって古典を踏襲した他分野の新規参入者によりもたらされる。スティーブジョブスは禅だとかカリグラフィーだとかの美意識という文化をシリコンバレーというIT文化に持ち込んだが故に、一見武骨でオタクなコンピューター業界に洗練されたカッコよさを導入する事に成功した。その結果、iMacやMacBook Air、そしてiPhoneが生まれる事となった。
ワトソンとクリックも生物学を物理学的に解析するという手法を用いたが故に、それまで誰も解明できなかったDNAのらせん配列を見つける事ができた。その結果、従来の生物学とは異なる分子生物学が派生した。
他にもウォール街に物理学者が参戦したことでクオンツという新しい職種が生まれるなど、このような例は枚挙にいとまがない。
日本は美食大国だ。本場以上に本場の味を、より美味しく提供する事ができる稀有な国民性を有している。もう武道で言うところの『守』の段階は余裕で習得しているといっていいだろう。
だけどいまだに『壊』『離』が生まれない。なぜだろう。それは他分野の知識の習得がおろそかだからに他ならない。
今後日本が美食大国になるにあたって、他分野の教養を身につける事は必要十分条件なのだ。フランス料理人は天ぷらの歴史を勉強する必要があるし、イタリア料理人も寿司の歴史を学ぶ必要がある。
こうして高度な技術と幅広い教養を備える事に成功したとき、恐らく誰も見たことがない新たな美食が生まれる。そうして生まれた料理を美食家は大きな拍手をもって迎え入れるだろう。
そして日本は他のどの国も真似できない超ハイレベルな美食輸出国になる。そして外貨が多量に落とされるようになるだろう。そしてそのとき初めて、食の観光大国を胸を張って宣言できるのだ。その日を一メシ狂いとして楽しみにしている。
最後に手前味噌で大変恐縮だが、一般人向けに書いたイタリアン・フレンチ・日本料理・寿司・天ぷらといった美食のオールジャンルの入門書を最近ようやく書き終える事ができた。近々発表できると思うので、楽しみにしてください(できれば紙で出したいので興味ある出版関係の人は連絡ください。全部で13万文字ぐらいはあります)