珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

僕の理想は『ありがとう・ごめんなさい・おはようございます』が必要ない社会

僕は海外一人旅が好きなのだけど、異国の地を一人で旅していると必然的に使用回数が増える言葉がある。『Thank you, Excuse me, Good morning.』の3つだ。

 

これらは中学生でも知ってる単語である。日本語の概念になおせば『感謝、謝罪、あいさつ』に相当するだろうか。

 

外国では多用するこれらの言葉だが、日本に帰ってくると使用頻度はガクッと落ちる。下手すると一日に一回も使わないかもしれない。

 

こんな事を書くと『もっとキチンとした声で”ありがとう”や”ごめんなさい”をいいましょう。それと挨拶は生活の基本です』みたいなどこかの道徳の教科書に書いてありそうな事をいう人がいる。

 

本エントリはそういう趣旨とは真逆のものだ。僕はこれら三要素が持つ恐ろしい力に気が付いてしまった。端的にいえば今現在の日本におけるアリガトウやスミマセンは社会的弱者を対象とした貧困ビジネスなのである。今日はその事を書こうと思う。

 

経営者が書く本に書いてある気持ち悪いエピソード

『わたしは毎日○○ストアを利用するのですが、店に入るたびに聞こえる”おはようございます”の声を聞くと、今日も一日頑張ろうと思います。あなたのお店はマナー研修が行き届いていて素晴らしいです』

 

”お客様”からのこの手のエピソードを”美談”として紹介する経営者の本は後を絶たない。お客様は神様ですというキチガイワードを創造したのは松下幸之助(現・パナソニックの創始者)だ。

 

これが発端かはわからないが、日本はお客様≒神様という図式を元に、従業員(奴隷)が神様に向かって『感謝・謝罪・挨拶』を自主的に行うように徹底的に叩き込むマナー研修という恐ろしい制度がまかり通っている。

 

『感謝・謝罪・挨拶』はいずれも生活の潤滑油になりうる。これらを使う事によって、気持ちよく日々を過ごせる・・・という風に道徳の先生やマナー講師は言う。

 

けどそれを要求する人は基本的にはどうしようもない人ばかりだという事実を、僕たちはどう判断すればいいのだろう。

 

感謝も謝罪もあいさつも、本来は必要ない言葉である

僕は冒頭で海外一人旅で『Thank you, Excuse me, Good morning.』といった『感謝、謝罪、あいさつ』の言葉の使用頻度が増えると書いた。

 

何故これらの発言数が増えるかというと、僕がその地では異邦人でしかなく異国の地にお邪魔させてもらっている存在でしかないからだ。

 

だから必要以上にかの地では気を使い、これら潤滑油としての言葉を使うことで心地よい居場所を手にいれやすくしている。

 

だけどちょっと考えればわかるけど、これらは普通の状態ではない。というか通常ではないからこそ、これらの言葉をたくさん使うのだし、だからこそ異邦の地の人々も僕を客として扱ってくれる。

 

つまり『感謝、謝罪、あいさつ』が必要な社会というのは、通常の状態ではないのだ。僕は日本ではこれらの単語を一言もしゃべらないで生活することも多々あるし、むしろどちらかといえばそういう時の方が気を遣わずに心健やかに過ごしている。

 

今度は逆に『感謝、軽めの謝罪、あいさつ』を使う場面を考えてみよう。仕事だったり、ちょっと緊張する人との食事だったり。そういう時にこれら三要素の使用頻度がずいぶん増える。やっぱりこれらは居心地が悪い場所で、できる限り快適に過ごす為の魔法のワードなのだ。

 

そして大切なことだけど、これらの三要素は自発的に言うからこそアリなのだ。強制的に言わされたらパワハラも甚だしい。もし仮にあなたが『ありがとうって言いなさい』だとか『ここはすみませんという場面だろう』だとか『お前は挨拶もできないのか』と言われたら、イラッとこないだろうか。

 

『感謝、謝罪、あいさつ』は本来ならば、自分の意志で使うものだ。だけど世の中にはそれを強制的に言わせる恐ろしい場所が存在している。

 

コンビニや格安飲食店でありがとうございましたと言われる不思議

『いらっしゃいませー』〚もうしわけございません〛『ありがとうごさいましたー』

 

コンビニや格安飲食店で日々言われる言葉である。僕はこれが正直いえば気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がなかった。僕がコンビニやこれら格安飲食店を訪れるのは『自分がそこに行きたかった』からであり、むしろお礼を言わなくてはいけないのはどう考えても自分の方だ。

 

『こんな場所でこの時間まで営業してくれてありがとう。おかげでお茶が買えたよ』とか『こんな中途半端な時間にご飯作ってくれてありがとう』が本来なら”筋”のはずだ。

 

そしてこれらが最もグロテスクなのは、”マナー研修”や”企業研修”という形で従業員が客に無理やりそれらの言葉を言わされているという事だ。

 

先ほどもいったが、『感謝、謝罪、あいさつ』は本来ならば、自分の意志で使うものだ。だけどこれら接客業では”教育”の結果、それらを給料を払う事で”無理やり”言わせている。

 

だけど、この『感謝、謝罪、あいさつ』は恐ろしいくらい出回っているし日本社会において定着している。こんなグロテスクな仕組みが根付いているという事は、それに需要があるのである。

 

その需要とは何なのか。実はそれは承認欲求に他ならない。

 

ヤンキーや民度の低い人ほどマナーにうるさい

21世紀のインターネット承認欲求が過度に肥大した社会だと言われている。

 

だけどちょっと待ってほしい。確かに僕を含めてインターネットには承認欲求ジャンキーが徘徊しているけど、普通の人だって当然というか承認欲求が無い筈がない。

 

じゃあ普通の人はどこで承認欲求を補填しているのだろう、と思ったときに僕はようやく気が付いたのだ。ああ、彼らはコンビニや格安飲食店といったサービス業で『感謝、謝罪、あいさつ』を受け取る事で自分の承認欲求を満たしているのだ、と。

 

体育会系やヤンキー社会に所属した事がある人はわかると思うけど、彼・彼女らは『ありがとうございます!すみません!おはようございます!』に異様に厳しい。なんでそんな事をしているのか長年疑問だったのだけど、あれはそれらの社会に所属して地位を高めた結果得られる、承認欲求の一つの形なのだ。

 

だから体育会系ではこれらを徹底できない人に異様に厳しく当たる。だってそれが自分が承認されている事の証明なのだから。それができない人に対して寛容になれるという事は、それすなわち自分は”承認されなくてもいい”と言っている事とほぼ同義なのだ(逆に文化系ではそれ以外に作品という形で承認をえる方法があるので、必ずしもマナーは徹底されない)

 

よく民度が低い人ほどコンビニや格安飲食店でマナーにうるさいという。僕も前から高々数百円の時給の人になんでそんなにあの人達が厳しくあたるのか不思議でしょうがなかったのだけど、あの人達はそこに『感謝、謝罪、あいさつ』を得る為に出かけているのだ。

 

それが徹底されていない場面に遭遇した際に、民度が低い人たちが何故優しくなれないかというと、それすなわち自分は”承認されなくてもいい”と言っている事とほぼ同義なのである(逆にそれ以外の形で社会的に承認をえる手段がある社会的上層は、多少マナーがおかしかろうが基本的には優しい)

 

実は最近のネット民だけではなく、もう結構昔から人は承認欲求ジャンキーだったのだ。

 

僕はもっと楽な社会に生きたい

お客様は神様です。経営者はこの魔法の言葉で従業員を洗脳し、神様に『感謝、謝罪、あいさつ』を与える事を当然という風に刷り込む。だけどやっぱりこれらの言葉を金の力で無理やり言わせるのは、有り体に言ってもかなりグロテスクじゃないだろうか。

 

繰り返すけど、『ありがとうって言いなさい』だとか『ここはすみませんという場面だろう』だとか『お前は挨拶もできないのか』っていわれるのはやっぱり嫌だ。少なくとも僕は反吐がでる。

 

だけどこれが仕事という事になると、普通の事として扱われる。そしてそれが言えない奴が『マナーがなってない奴』だという烙印を押されている。

 

批判を承知で言うが、僕が理想とする社会は『ありがとう・ごめんなさい・おはようございます』を強要される事がない社会だ。

 

だからこそ、僕たちは格安で従業員を働かせて『感謝・謝罪・あいさつ』の大バーゲンセールを行っている企業を断固として拒否していかなくてはいけない。そういう場所にいって『サービスが素晴らしいからここを選んだ』なんていう奴は社会をもっと生きにくい場所へと先導しているといわれても否定できない。自分が人にさせられて嫌な事は、人にもやらせてはいけないのだ。

 

その事の方が感謝しましょうだとか挨拶しましょうなんて事よりも、よっぽど道徳の教科書のトップページに載るべき事なのにね。

 

<追記>

この記事書いてて思い出したのが、3/11の時にTVのCMになったこれ。こうしてみると広告業界も『感謝、謝罪、あいさつ』は燃えないし不謹慎じゃないって事を理解しているのだろうな。


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 <参考文献>

超面白いからオススメ

 

 

元少年Aによる「絶歌」は、正しい保健体育の教科書である~子供がオカシクなるとき~

批判を承知で言うが、「絶歌」は可能な限り避けて通らずに読むべき本である。平和な家庭にモンスターが生まれ落ちる過程がこれ以上なくわかりやすく書かれている。

 

 

絶歌

絶歌

 

 

「自分が少年Aという怪物にならなかったのは運が良かったからに他ならない」

 

これがこの本を読み終えての率直な僕の感想である。以下多少の内容解説を加えつつその事について記載する。

 

快楽の探求に熱心な子供

本書によると、元少年Aは様々な偶然が重なり「生物の死」と「マスターベーション」を組み合わせてしまった過去がある。「マスターベーション」により得られる快感をどんどんエスカレートさせていった結果があの事件に繋がったのだ。

 

人は自らの性器への刺激だけでは絶頂にたどり着く事はできない。自分の性器への刺激に加えて「何からのイメージ」を抱くことがイく為には必要だ。殆どの人はそれがエッチな妄想である事が多いけど、人がオナニー中に想像するオカズを細かく調べれば、エッチな妄想以外にもかなりの多くの種類が存在する事は想像に難くない。元少年Aの場合、オカズがたまたま「生き物の死」になってしまったというだけなのだ。

 

自分が性的な快楽を得るために必要なイメージが、何と結びつくかなんて完全に運でしかないし、エッチな妄想以外で性的絶頂に達する事を「病気」だと判断するのは「自称正常」な人達のエゴだ。そういう無条件に多数派が正しいと思っている大衆は、例外に対する寛容性がないだけでしかない。マイノリティだって生きる権利はある。ただし、周りに迷惑をかけなければという但し書きがつくけども。

 

自分自身もそうだったからよくわかるのだけど、一部の子供は性的快楽の探求に非常に貪欲だ。一日に何回マスターベーションができるかとか、どうやれば一番気持ちよくなれるかだとか、それこそ快楽のために追求すべき事など沢山ある。そしてその快楽を享受するための「目的と手段」がどこに結びつくかが極めて大切である。

 

自分の場合、運が凄くよかったな、と思うのはこの結びつく先が二次元だった事だ。正直ブログでこんな事をぶちまけるのもなんだけど、若い頃の僕は異常に性欲が強かった。そのはけ口が二次元キャラという「誰も傷つかない」架空の対象だった故に、僕は偶然にも誰も傷つけることなく若い頃の異様な性欲を数年間の歳月をかけてゆっくりと落ち着ける事ができた。それ故に僕は今でもお天道様の元をニコニコ笑って歩くことができる。

 

だけどこの性欲がひょんな事から「誰かを傷つける」ものと結びついていたら、僕と僕の周りの人は随分悲惨な事になっていただろう事は想像に難くない。「生き物の死」は極端かもしれないけど、例えばこれが「心を病んだ同級生」とかだったらどうだっただろう。たぶん僕は性欲に勝てずに随分と酷い事をして、多くの人を傷つけた事だろう。繰り返すが、自分が誰も傷つけずに性的衝動を落ち着かせる事ができたのは、運がよかったからに他ならない。

 

乙武さんの例を出すまでもなく、ある種の男の子という生き物は「性的快楽」に脳が支配されている。大切なことだから繰り返すが、その「性的快楽」を得るためのイメージがなにと結びつくかは完全に運なのだ。元少年Aのようなケースはもちろん数は少ないとは思うけど、「生物の死」と「性的快楽」が結びつく可能性については子供を持つ親は必ず知っておく必要がある。もしあなたの子供がその組み合わせを選択してしまったら、それを一番初めに察知できるのは親である可能性が最も高いからだ(そして、もしそれを見つけてしまったら、たぶん親の力ではどうする事もできないので恐れずに専門施設につれていくべきである)

 

もちろん世の中にはこんなに性欲が強い子供ばかりではないだろうし、エッチがしたくても童貞な男子が世の中に溢れているように、殆どの人は「性的快楽」を得たい形で得るための行動力がそもそも備わっていない。

 

いくら人間を殺してマスターベーションをしたくても、それが実行できる計画力がなければ精々スナッフビデオを見ながらオナニーするのが関の山だ。元少年Aの事件は、本人に類まれなる卓越した知性が備わっていた事も一つの不幸である。馬鹿とハサミは使いようじゃないけど、能力がありすぎるというのも時に人を不幸にする。

 

元少年Aのもう一つの不幸は、あまりにも人が良い両親のものに生まれた事もあるだろう。子供を信頼する事は、子供を疑わない事ではない。愛あるゆえに人は自分の子供を適切なタイミングで疑わなくてはいけない時もあるのだ。子供は純真であるが故に残酷な存在であり、それ故にモンスター化する可能性を誰でも有している。「我が子に限って」と思う気持ちはよくわかる。ただ怪物が育つ場所は、修羅の国だけではなく、自然淘汰のない温室だって事もありえるというだけだ。

 

 人として真摯に生きるという事

僕が「絶歌」を正しい保健体育の教科書であると思う理由は、この本が子供の性が人を傷つける暴力性を持つ可能性について、これ以上無くわかりやすく書かれていると思うからだ。男女の体の仕組みとか、避妊の仕方とかもそりゃ大切だけど、一番大切な性の知識は「一生付き合っていかなければいけない自分の性衝動を、出来る限り他人を傷つけない形で消費する事」だろう。

 

人を傷つける事に真摯に向き合わない性衝動の発散を続けている人は、本人がその行為に無自覚であるが故に極めてタチが悪い。例えばヤリチンは、自分の性衝動を最も気持ちよく消費するために女の子の体を消費する事を厭わない。恋愛工学の鉄のマントラが「男に女を傷つける事などできない」なのはこの事を実によく言い表している。

 

その他、不倫などの人から後ろ指をさされる系の性的快楽の実現が何故こうも議論を醸し出すのかといえば、それはすべからく全て「他人を深く傷つける」要素を有しているからだ。

 

もちろん生きていくにあたって、人を傷つけない事など不可能以外の何物でもない。愉快犯が如く、己の欲望の実現の為に相手を消費対象にする事は唾棄すべき行為だが、真の心から生まれし行為により人を傷つけてしまう事だってある。その時に大切なのは「自分が人を傷つけたという事実にしっかりと向き合う」という事だ。

 

結局、大切なのはあなたがその行為について責任を持てるか否かである。本気で恋愛して最後までいければハッピーエンドだけど、うまくいかない事だって多々ある。その時に、あなたは真剣に恋した人を傷つけたという事実に向き合う覚悟があるだろうか。

 

これは何も性的快楽だとかに限った話ではない。例えばブログだって、承認欲求の実現の為に行われている自分のエゴの塊のような行為である。自分が書いた文章に人を傷つける意図がなくたって、人を傷つけてしまったのならそれは貴方の責任だし、その事実にはしっかりと向き合わなくてはいけない。それができないのならブログなんて書くべきではない。自分の人生に責任を持つという事は、総じて言えばそういう事なのである。

 

なぜ人を殺してはいけないのか

この本はもう一つ、大きなテーマがある。「なぜ豚や牛は殺してもいいのに、人を殺してはいけないのですか」という問いだ。元少年Aはこれを学校の教師に言った所、教師は絶句して議論すらおきなかったという。仮にだけど、この問いにキチンと周りの大人が当時の少年Aと共に向き合っていたら、違う未来もあったのかもしれない。

 

ネタバレになってしまうのだが、本の最後の方でこの問いに対する元少年Aの回答はこうだ。

 

「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」

 

僕はこの最後の「あなた自身が苦しむ」という言葉が、元少年Aが行ってしまった殺人について、本人が真摯に向き合ったが故に生まれた言葉なのではないか、と思う。

 

この本が世に誕生したという事実が許せない人が沢山いるのはよくわかる。僕はその感情を否定しないし、仮に僕が遺族だったら理屈抜きに元少年Aの行為を批判するだろう。元少年Aの行為は個人が一生をかけても償いきれない大罪だし、本人と遺族の間でのみ本来は交わされるべき問題だ。他人がズケズケ入り込んでいい問題ではない。

 

だけど僕は同時に、この元少年Aが今後60年間程度かけて真摯にこの大罪に向き合った時に発せられる言葉が、人類にある種の何かをもたらすのではないかという希望を捨て去ることができない。

 

こういう事を言うこと自体が不謹慎なのかもしれないけど、元少年Aはこの問題にちゃんと向き合うと決めたからには最後までやりきって欲しいな、と思う。人が生きるって、そういう事でしょう?

 

<参考文献>

 批判としっかり向き合う事について書かれた僕が知ってる唯一の本(おまけに200円と異様に安い)。批判にちゃんと向き合うようにしないとイケダハヤトみたいな無責任な炎上芸人にしかなれないぞ!

ブログにためになることなんて書かなくていい (impress QuickBooks)

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北条かやさんの「日曜のお医者さん、咳止めとビタミン剤で7000円とるってどやねん」発言についての雑感

北条かやさんの発言が医療クラスタに大変ひんしゅくを買っている。

 

 

 

正直な事を言えば、これは風邪で医者に行く意味がないという事を啓蒙していない僕ら医療従業側にも責任はあると思う。ただまあ正直なところ、そういう事を説明しても普通の人は何一つ理解してくれない事はこの数年間の医者生活でよくわかったので、今日はそもそも医療って何なのって切り口から話をする事にする。

 

なぜ人は風邪で病院を受診するのか

人は様々な理由で病院を受診する。「風邪をこじらせて肺炎になったら行けないと思って早期受診しました」のような早く医療機関にかかれば早く病気が治ると思っている人もいれば、「いつまでたっても熱が下がらないので病院に来ました」という人もいる。

 

ちなみに風邪をこじらせても肺炎には普通はならないし、風邪で熱がなかなか引かない時に病院を受診しても残念ながら普通は熱は下がらない。ただそういう風に医療従業者が説明して、病院を受診しないで済ませられるような人なんてほとんどいない。

 

健康な人が風邪などで医療機関を受診する理由の99%は、自分や家族の体調不良に対して「素人判断による判断ミス選択した」という事実から逃げるためだ。

 

とりあえず病院にいって医者から薬をもらったという事実は、思いのほか精神的な支えとして強力に働く。ほとんどの医療従業者は勘違いしているが、僕らの仕事は病気を治す事だけではなく、病院にくる人の精神的な支えをするという役割も大変大きい。

 

だから風邪みたいな医療従業者からみてしょうもないプロブレムで病院を受診する人を、医療従業者が叩くのはお門違いでもあるのだ。僕もどちらかというとカウンセリング的な医療業務が嫌いな方の人間なので、ギャーギャー言いたくなる医療従業者の気持ちはよくわかるのだけど。

 

ただ強く強調しておきたいのだけど、医者は万能ではない。病院に来たからといって風邪を一瞬で治せはしないし、全ての病気を治せるわけではない。まして患者を不老不死にする事なんて絶対にできない。

 

医者にできる事、できない事

「人間の死亡率は100%です」

 

これはバカの壁で有名になった養老孟司先生が講演会でよく出す決め台詞である。

 

2016年現在、残念ながら人の命は有限だ。健康に生まれた人でも、ほとんどの人は80歳前後にはこの世を旅去る。

 

人の命は有限だ。それゆえに大切なのは「有限な命の中で何をしたいか」である。だけど医療機関を受診する人をみていて問題だなと思うのは、ほとんどの人の求めているものが「死にたくない」というアリエナイ理想である事が非常に多いという事である。残念ながらその注文には医者はまだ応えることができない。

 

僕は実はF1が凄く好きなのだけど、医者の仕事はF1の車の整備にとてもよく似ているなと思う。マシーン整備の人は、F1レーサーが気持よくサーキットを走りきる為に、機体を事細かに整備する。これにより、F1レーサーのレース中の快適度は桁違いに上がっている事だろう。

 

だけどマシーン整備の人は、F1カーを燃料無しに永遠に走り続けるようにはできないし、壁に激突しても絶対に人が死なない車も作ることができない。

 

僕は医療機関をおとずれるモンスタークレーマーを見るたびに「この人は医者をマッドサイエンティストか何かと勘違いしているんじゃないか」と思うのだけど、たぶんあの人達は人の命は永遠であるという前提でモノを話しているのだ。ゆえにそれを理解していない医者としばしば衝突する。

 

だから僕ら医者は、こう啓蒙する必要があるのだ。「あなたは100%死ぬ。私達にできるのは、せいぜいあなたが気持ちよく人生というサーキットを完走するお手伝いでしかありません。永遠に20代の体でいられるようにはできませんよ」と。

 

結論

初めの問いに戻るが、正直風邪で7000円が高いかどうかというのは、あなたが人生というサーキットを高速で駆け抜けるためのメンテナンス費用がどこまで出せますか?という事に行き着く。

 

ちょっとぐらい周回遅れしてもいいかなって思えるのなら、7000円を払う価値など無いし、逆に最速で駆け抜けたいのなら7000円は妥当な金額だろう。

 

結局のところ、あなたが人生に何を求めるかなのだ。それ以上でも以下でもない。

 

 最も大切なのは、あなたが人生において何を一番大切にしており、何を成し遂げたいかである。それがハッキリしていれば、僕たち医療従業者は現在における最先端を提供することは可能だ。だけど現在の科学技術を超えたものは提供する事は出来ない。それだけは最低限理解して欲しいな、と思う。

バカの壁 (新潮新書)

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ウンコ味のカレーを食べてきた話(閲覧注意)

人よりほんの少しだけ食事が好きな高須賀です。美味しいものは好きですが、愛ある食べ物はもっと好き。そんなわけで昨年末に期間限定でやってたウンコ味のカレーを食べさせてくれた”カレーショップ志み津”に行ってきた話を書くとしましょう。

 

ちなみに残念ながらもう既に閉店しているので、ウンコ味のカレーは食べられません。残念だったな(´・ω・`)*1

 

さっそくだがこれがウンコ味のカレーの外観だっ!以下グロ画像注意。

 

 

 

 

 

 

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想像以上にきっつー(´・ω・`)

 

 

ていうか便器型のヘリにこびりつけるように盛るのとか、色々よくわかっててすぎてブチ切れそうですよ。

 

このカレー屋の何が凄いって店の扉をあけた瞬間、マジのウンコ臭がプーンと漂うんですよ。よくもまあ近隣住民から苦情が来なかったもんだ。

 

でも原材料見せてもらいましたけど、当然の如くカレーは全てスーパーで売ってる食べ物で作られていたんですよね。いやー、確かにウンコも元をたどればただの食べ物ですけど、ここまで臭いが再現できるって衝撃以外の何物でもありません。

 

で、肝心のお味ですけど、これが臭いと比べると普通に食べ物の味なんですよ。サンマの肝の苦味と食物の繊維質とひき肉の味がする、スパイスが効いたカレー。正直な事を言えば美味しくはないけど、不味くはない。というか普通にひき肉の味。

 

ただまあ食糞経験者に言わせればウンコってこんな味なんだそうで(苦味+食べ物の味)。僕はウンコを食べたことはありませんが、先入観を取っ払えば意外と普通に食べられる性質のモノなのかもしれません(この辺り、はてなだと斎藤さんとかが詳しいのでしょうね)

 

と、いうわけで特段苦労もせずに普通に完食。食べきった証として、カードをもらいました。

 

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正直ウンコ味のカレーをまた食べたいとは思いませんが、貴重な体験ではありました。総じて言えば自分の今までの食事経験を試されているみたいな感じがして、なんつーかカレーを食べているのかカレーに食べられてるのかよくわからない不思議な感情に包まれました。偉大なワインは飲み手を選ぶといいますが、ウンコ味のカレーもまた食べ手を選ぶのかもしれません。

 

一回の食事でこんなに人生哲学できるだなんて。いやー、メシって本当に素晴らしいですね(´・ω・`)

 

・・・・・・とこんなわけで僕の初めての体験は、クソミソな結果に終わったのでした・・・

*1:イベントで時々出品される事はあるようです

人は誰でも何かに依存している~ヤリチンはなぜソープにいかず、不倫する女は旦那だけでは満足できないか~

昔からなぜヤリチンがソープに行かないでその辺の女性を籠絡するのに必死なのかが疑問だった。ロジカルに考えれば、時間、使用金額、その他もろもろの面でセックスにたどり着くまでのコストパフォーマンスが圧倒的に悪いからだ。

 

最近はソープも随分デフレが進んで、西川口や川崎に行って1万5千円も出せばかなり若くて可愛い女の子が抱けるという。セックスだけが目的ならば、そこに行かない理由がない。という事はヤリチンの目的はセックスではなく、途中過程にあるとみるのが正しいだろう。

 

この事に気がついた時、ようやく僕はヤリチンの本質的な問題が何なのかが理解できた。あいつら全員、ある種の恋愛依存症なのだ。女性を落とすまでのドキドキ感がないと生きていけないジャンキー。恋する乙女ならぬ恋するヤリチン。そのチンピクは恋じゃねえ。

 

とはいえ人はみな何かに依存して生きている。その事について今日は書こうと思う。

 

人は誰しも何かに依存している

人は日常だけに生きるにあらず。非日常を愛するものである。

 

パチンコや競馬といったものを愛好しているギャンブル依存症の人にギャンブルの馬鹿馬鹿しさを説いても時間の無駄だ。あの人達はそれ以外で非日常を体感する事ができないのだから。結果としてお金をいくら失おうが、彼らはギャンブルに通い続けるだろう。

 

清原和博さんだってそうだろう。50億もの金があり、あそこまでの知名度があったのだから、やろうと思えば何だってできたはずだ。けど彼の非日常はシャブの中にしかなかったのである。シャブやめますか?人間やめますか?ではないのだ。シャブをやめたら退屈な日々しか残らない。それはシャブに依存している人にとって、人間をやめるのと同じようなものなのだ。

 

誤解している人が多いので言っておくが、普通の人はシャブを打ったところでほとんど依存症にはならない。シャブ、コカイン、ヘロインなどのハードドラッグを使ったところで依存症になるのは精々10%程度だ。つまりシャブがたまたま体にフィットした人が依存症になるのである。この事はアルコールを愛飲する人と、アルコール依存症になる人がいる差を思い浮かべてもらえれば何となくわかると思う。

 

人は誰しも何かに依存している。ある人はギャンブルに、ある人は酒に、ある人は恋愛に、ある人はセックスに、ある人は薬物に。脳に強烈な快楽を与えるそれらのものが非日常を演出してくれるから、僕たちは退屈な日々を楽しんで生きていけるのである。

 

依存する場所は変えられる。

世の中には結婚に向いている人と向いていない人がいる。恋愛依存症であるヤリチンや不倫を繰り返す女性は、たぶん恋愛という非日常がないと生きていけないのだ。

 

じゃあヤリチンや不倫する女性は一生恋愛の呪縛から逃れられないのだろうか?僕はそうは思わない。

 

最近非常に面白い研究があった。性的欲求を満たせないハエは飲酒に走るのだという

 

www.cnn.co.jp

初めてこの研究をみたとき、毎晩晩酌でベロンベロンンに酔っ払っている自分の姿を思い出し、非常に惨めな気持ちになった事をここに告白する。いや言いたいことはそんなことではない。

 

この研究は順からみれば「セックスができない弱いオスは飲酒に逃避する」という風に読める。だが逆からみれば「飲酒する事でセックスへの渇望を減らす事が可能」だともいえるのである。ようは飲酒で性的欲求はある程度代替可能であり、ある対象物から得られる快楽は別の何かで得られる快楽に置換可能なのだ。

 

考えてみると似たような事は結構ある。例えば漫画家の西原理恵子氏は異常なまでのギャンブル狂いだったけど、戦場カメラマンである元夫・鴨志田譲氏に「こんなところよりもっと面白い所に連れて行ってあげる」と言われ発展途上国へ旅行し、そこで外国で味わう非日常生活の素晴らしさを知った。そしてその日からスッパリとギャンブル沼から抜け出せたのである(ちなみに鴨志田譲氏はアルコール依存症に苦しめられていた。なんというか凄く皮肉なカップルである)

 

もちろんこのようにキレイに沼から抜け出すには依存しているものから抜けだしたいという本人の強い思いが不可欠だ。他人は変えられない。いつだって変えられるのは自分だけである。

 

変わりたい?変わりたくない?

初めもいったが、人は誰しも何かに依存している。依存する事自体は悪い事ではない。日常は退屈であり、非日常はドキドキわくわくのワンダーランドだからだ。

 

あなたが今、何かよくないものにどっぷり浸かり込んでいるのだとしたら、まずはそれを自覚しよう。そして次に抜け出したいという強い思いを持ち、どこか別の依存する場所を見つけ出そう。世の中には沢山の面白いものがある。多くの人がハマり込んでいるものに興味をもち、そしてそれを楽しんでみよう。世界は広いのだ。何だってある。

 

楽しい楽しい非日常の世界へようこそ。

 

<参考文献>

毎日かあさんは4巻まではヤバイ面白いので超絶オススメ。人生感じちゃうよね。

毎日かあさん4 出戻り編

毎日かあさん4 出戻り編

 

 

いじめられた事がある、あなたへ

小中高大ほぼ全ての期間でいじめられていた高須賀です。いじめがなかったのって、浪人の間ぐらいじゃないかなぁ(友達1人もいなかったからね)

 

まあ運が良かったのか、育った地区は比較的温厚で、いじめられたっていったって「パンを買ってこい」みたいなのとか、「◯◯に告白してこい」みたいなエグいのは経験してないんですけどね。そういう人から見れば「お前の人生など生ぬるい」となるのでしょうし、正直スンマセンって感じなんですけど。

 

まあ何はともあれ嫁が仕事から帰ってこなくて暇なので、今日は自分と似たような境遇の人の助けになればいいなぁなんて大それた事を考えつつ筆を綴ってみようかな、と思います。

 

この歳になってみて自分の過去を振り返る事がよくあるのですが、自分について診断を下すとすれば典型的な自閉症だな、と思います。未だに人の話は黙って聞けないし。幼少期は人が「可哀想」っていうような場面で「こいつ憐憫の情を集めてみんなに同情してもらいやがって」みたいなアサッテの方向の思考回路が随分と多かった気がします。

 

今では随分とそういうのは減りましたが、それでもまだ時々まわりに「えっ?」て言われる行動を取ってしまうことは多々有ります。そもそも他人に共感って未だにできないんですよね。もう最近は「自分には他人の心が理解出来ないのだろう」と思って割りきっています。

 

そんな自分が割と救われたなぁと思ったのは、高校生の頃に西尾維新先生の「クビキリサイクル」で主人公であるいーちゃん

 

「僕いじめられっ子だったんですよ」

 

みたいな事をいった後で、園山朱音っていう登場人物に

 

「君は差別されていたんじゃなくて、区別されていたんだよ。人は異質な存在に対峙した時に、どういう風な行動をとればいいかわからないから」

 

みたいな事をいわれるシーンがありまして。これ読んだ時に随分救われたんですよね。冗談抜きに。まあちょっと中二病こじらせちゃってるのもうまい具合に左右して「ああ僕は異質な存在なのかもしれない。なら区別されるのも仕方がないか」なんて。いま考えると少し恥ずかしい過去ではありますが。

 

勉強は死ぬほど嫌いだったし、正直ゲームとか作りたかったんですけど何故か妙に負けず嫌いで(これがあったからいじめに絶えられたのもある。いじめに屈した時が決定的な負けだと思っていたから)その後、死ぬほど受験勉強をしてギリギリもほんとギリギリでとある医学部に引っかかる事となりました。

 

そんな事からも言えるんだけど、とりあえずいじめられてる人、勉強だけはほんと頑張れ。上に行けば行くほど基本的には澄んだ空気が吸えるから。いじめが無いっていったら嘘だけど。それになんていうのかなぁ。変なら変なりに突き抜けちゃうと、こっちの世界の人って「そういうもの」として受け入れてくれるんですよ。底辺社会だと例外はぶっ潰してくるんですけど。

 

こっちの世界で一度「そういうもの」として受け入れられるとね。すごーく、すごーく生きるのが楽になります。今まではどんなに我慢しても努力しても居場所が全然見つからなくって、努力が明日を生き抜く為のギリギリの生存戦略だったんですけど、ほんと一回それが見つけられるとビックリするぐらいピタッと自分が社会に位置できた事が肌感覚で理解できるようになります。そうすると「ああ俺って生きててよかったんだ」って心の底から納得できるようになってね。なんていうか「救われる」んですよ。冗談抜きにね。

 

昔、昔、予備校の講師が「あなたの葬式を思い浮かべてください。はたして何人があなたの事を思って涙を浮かべてくれますか?泣いてくれる人数があなたの社会的な価値です」っていった事があったんですよ。今考えると家庭と学校しか社会がない奴にこのセリフをいうのはちょっとエゲツナイなぁなんて思わなくもないんですけど、このセリフを生まれて始めて聞いた時、「両親以外1人もいないわ・・・ほんと酸素を吸って二酸化炭素にするだけの無能だな」と軽く絶望したんですよね。

 

結局人間の幸せって、社会にどれだけ深くコミットして、自分の影響を及ぼせる場所を持てるかなんですよね。家庭とか仕事とか、趣味とかその他もろもろ。なんでもいいんですけど、誰でもないあなた個人が誰かから必要とされている時、人は限りない充足感を感じるんです。

 

だからいじめられてた事がある全ての人達にいいたいんですけど、やっぱりあなた達は多分普通の人とくらべてちょっと変なんだと思います。子供って基本は動物脳だから、おかしなのを見つけ出す能力は異様に発達してますから。そこは仕方がない、認めましょう。

 

けど変わってるって事は、言い換えれば社会的にはユニークなんですよ。特異点と言い換えればわかりやすいかな?だからこそ「誰かの特別」に足りえるのかな、と僕は思うんですよね。だから今は凄く辛いとは思うんだけど、なんとか少しだけ努力して、生き延びてこっち側に来て欲しいなって思います。頑張ってこっちにこれたら、あなたは特別な何かになれるんだよって。いやこんな事言うといじめられっ子あげすぎやろって怒られちゃうかもしれないけど。けどいじめられてるんだからそれぐらいは多目にみて欲しいかな。

 

なんか嫁が帰ってきそうだし、この感じで続けてくと永遠に終わらないから最後に一言だけ。

 

インターネット、ありがとう。あなたのおかげでここまで生きてこれたし、居場所がみつけられました。本当にありがとう。

 

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社文庫)

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悪いことはいわないからお前ら二万円握りしめて食洗機買え。人生が捗るぞ。

高須賀家は離婚の危機に瀕していた(またかよ)

 

洗面所に積み上がる食器。お互いの間を漂う無言の圧力。

 

もう限界だった。一刻もはやくこの作業から抜け出したい。食洗機って高いんだろうなーという絶望感と共にAmazonで検索をかけ、高須賀はそこでをみた。

 

しょ、食洗機って中古だと2万円しないの~(´・ω・`)

 

 

正直恐ろしい。なんかとんでもない粗悪品を掴まされるのでは・・・という恐怖があったが、背に腹はかえられない。それにAmazonレビューでは絶賛の嵐である。

 

買った。どうだったかって?

 

すげーいい(´・ω・`)。洗い物が壊滅した。

 

大きなサイズではないのでデカイ食器は入らないものの、これは使用する食器のサイズを小さくする事でほぼ解決した。今では洗い物=スイッチONでしかない。

 

悪いことはいわないからお前ら食洗機買え。人生が捗るぞ。

 

今年買った中でもベスト家電の一つなのは間違いない。ああパナソニック様。パナソニック様。国産家電もまだまだ捨てたもんじゃないな!

 

今では俺にも嫁にも笑顔がとりもどされた。そして世界は平和になった。平和になったのだ・・・

 

他にもオススメ家電があったらブコメ等で是非教えてほしい。

 

一緒に家事を撲滅しようぜ!!!