珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

マクドナルドと銀座・久兵衛の奇妙な関係

僕は三度の飯よりメシが好きだ。そしてその中でも鮨をかなり偏愛している。

 

魚の切り身を酢飯に乗せただけの単純なこの料理・・・こんな単純な料理に、人はなぜ惹きつけられるのだろうか?鮨には日本人の魂を揺さぶる何かがある。

 

現在は空前の鮨ブームだ。一年先まで予約で一杯だとか、常連じゃないと予約が取れないという鮨屋がバンバン出てきている。そしてブームの効果もあってか、外食産業の中でも値上げが特に著しく、また野心あふれる若手の寿司職人の独立が後を絶たない。

 

かつては鮨を一人前に握れるまでに10年の修行が必要だといわれていた。だが現在ではそこまで綿密な修行を行う人は稀だ。最近の若手寿司職人は書物やインターネットでの情報に加え、横の繋がりを強化する事で短期間で比較的容易に技術を高め、かなり若い段階で独立して店をかまえている(鮨は他の料理と比較して必要とされる作業工程が少ないので、比較的独立が容易だというのもある)

 

若手の独立を加速させた最大の要員は、2003年頃に中野坂上で生まれた鮨さわ田が発端だとされている。銀座青木で半年程度の修行期間を経た後に、佐川急便で激烈に働き開店資金をためた後、当時30代だったさわ田の主人は、築地でお金に糸目をつけずに最高級のネタを買いあさり、そのネタを銀座と比べて非常に安い価格で提供し続ける事で一気にスターダムへとのし上がる事に成功した。

 

このさわ田の成功を発端として、上野毛のあら輝(現在はロンドンで客単価5万円の鮨屋を営業中)や、神泉の小笹、蒲田の初音、最近だと川口の猪股といった、地代が安い場所で鮨屋を開業し、その分の金額をネタに投入するという作戦が流行ることとなった。

 

様々な手法で身につけたハイレベルな技術を、築地でお金に糸目をつけずに買った高品質な魚と組み合わせて提供する。これが今現在の寿司職人の最短成功ルートとなっている(皮肉にもこの成功法則が鮨屋の絶対価格をどんどん押し上げる事にもなっている)


なぜこのようなネタだけの若手の寿司屋は評価されるのだろうか?それはこれらの作り出す鮨が、大企業病におかされていないからである。

 

鮨における修行の功績

ほんの少し前だが、鮨スクールに通うべきか、老舗で10年修行を積むべきかという命題が議題にあがった。

 

さて鮨屋で10年の成功を積んだ人達が果たして現在成功しているかというと、少々難しいと言わざるをえないのが現状だ。

 

鮨の大企業というと、やはり久兵衛は外すことができない。ホテルなど多数の支店を構え、高級外食産業としてはかなり珍しく大企業化に成功した久兵衛だが、そこで働いた人達の鮨は端的にいって非常につまらないものの事が多いというのが現状だ。

 

久兵衛の系譜を踏襲する店の何が面白くないかって、正直な事をいえばどこで何を食べても全部似たような味がしてしまうという事が最大の問題だと僕は思う。


あえて具体名は出さないけども、Q系の職人の作る鮨はネタの程度の差はあれど、出される料理に驚きが非常に少ない。簡単にいうと、どれもこれも、どこかで食べたことがある味なのだ。

 

これって何かを思い出さないだろうか?そう、マクドナルドである。

 

高度に洗練化されたメシは、洗練されているが故につまらない

はじめに言っておくと、筆者はマクドナルドがかなり好きである。パサパサのパンズ、無味乾燥なパテ肉、わけのわからないケチャップ。

 

これらのどれ1つとして、単体で食べたら美味しくない料理だという事は否定しようがない事実である。だがしかし、これがハンバーガーとして組み合わさると、なんか結構いけるのだ。少なくとも100円でクソみたいな原材料から、整合性ある料理が生み出されているという事実には脅威としかいいようがない。

 

マック以外にも様々なチェーン店がハンバーガーを作り出したが、どれ1つとして完成度という点でいえばマックの足元にも及ばない。ロッテリアモスバーガーと数々のハンバーガーチェーンが一時期黎明期を争ったが、組み合わせの妙という点ではマックの圧勝だろう。

 

こうして圧倒的にかったマックだが、残念な事に一度勝ち上がって民衆がマクドナルドに慣れてくると、今度は逆にマクドナルドに飽きてくるようになってしまう。いつでもどこでも、大企業的画一的手法で作られるあのハンバーガーは、どこで食べても同じ味なのである。

 

それは全国チェーン展開という目的においては物凄く強いメリットだったけど、一度完成されて「飽きる」というパラメーターが確立された後は物凄くでかいデメリットとなる。細部に至るまで組み上げられたマクドナルドのハンバーガーという完成品は、その完成度故に自由度が著しく低いのだ。

 

そしてこれはそのまま久兵衛にも当てはまる。久兵衛の鮨は物凄く完成度が高い。その完成された手法からは、いつどこで食べても、フレッシュな江戸前の鮨が味わえるための最適な手法が確立されている。

 

これは久兵衛ブランドを確立し、人々の間に認知を高めるという攻めの段階においてはメリットしかなかったが、一度ブランドが確立された後に「飽きる」というパラメーターが確立された後は物凄くでかいデメリットとなる。細部に至るまで組み上げられた久兵衛の鮨という完成品は、その完成度故に自由度が著しく低いのだ。

 

もうわかっただろう。マクドナルドと久兵衛。これらは2つとも、攻めの時は最強の矛だったが、それと同時に最弱の大企業病という負の側面も抱える諸刃の剣であったのだ。イノベーションのジレンマならぬ、マクドナルドと久兵衛のジレンマである(これらに飽きる人が出てくるからこそ、サードウェーブ系の高級ハンバーガーや若手寿司職人の店が評価されるようになるのだ)

 

今後、マクドナルドと久兵衛は博物館のような懐古的存在に落ちぶれるだろうが、それもまた歴史の流れ上、仕方のないことなのだろう。


そしてまた、新たなマクドナルドと久兵衛が生まれ出ることだろう。その身に降りかかる、滅びという宿命を宿して