メリット・デメリットで人間関係を決めすぎるのもいかがなものか
貧しくなったからか、ここ最近は経済的なメリット・デメリットで物事を語る人を多数みるようになった。
僕自身も、比較的経済的な観点でモノをみることが多いのであまり偉そうに何かをいえるような立場ではないのだけど、やっぱりというか非経済的な活動も人は行うべきなのではないかという思いもどこかにあるのは事実だ。今日はそういう話をしようかと思う。
メリットでものを選びすぎる人達は、デメリット側になったら即切り捨てられても文句はいえない。
経済という観点は非常に冷酷だ。良くも悪くも、時間単位で自分の活動に値段が付けられてしまう。
僕なんかだと、一応時給換算では最低一万ぐらいは計上できてしまう。例えばこのブログの執筆だと、大体1~2時間はかけているので、経済的な観点から言えば、このブログの執筆は完全に損失以外の何物でもない。
他にもワイン会も主催しているが、こちらも基本的には利益はゼロ。セラー管理費やセッティングの手間を考えればむしろマイナスだ。
じゃあこの2つが完全に損かというと、そんなことは勿論ない。ブログやワイン会を通じて得られた人との繋がりは、お金では買えないような素晴らしいものばかりだ。
経済的な活動を行う事に力点を置くようになったら、それと同じぐらい非経済的な活動を行うようにしてみてはいかがだろうか
個人的にはみんなにお金を稼いで欲しいという思いがあるので、Twitterやブログでは「経済的にメリットをあげられるようになれ」といったメッセージを揚げることが多い。
これを踏まえた上で聞いて欲しいのだが、経済的な活動をある程度行えるようになった後、今度は非経済的な「人の役に立つような活動」に力点を置けるようになって欲しいなと思う。
もちろんというか、それはあなたに損をしろというような事を言っているわけではない。タダ働きを始めとした、他人から要求された人的資本のダンピングについては、断固として拒否をするべきだ。
そうではなく、あなた自身が楽しいという理由で行える、「自分の経済的な時給を度外視した活動」をぜひとも行って欲しいと思うのだ。
ブログを書くもよし、絵を描くもよし、飲み会や同窓会をセッティングするのもよいだろう。もちろん、そういうのは時給を考えると全く釣り合いはとれていない。だけどそんなにお金的な意味でのメリット・デメリットを考えて人生生きてても、面白くないじゃないですか。
最低限の経済的な活動を行えるようになった後だからこそ、非経済的な人の縁を重視した活動や、自分の心を突き動かす面白さに重点を置いた活動を行う事が人としての面白さだと思うんですよね。そういう面白い活動を、経済的な観点でモノをみれるようになったあなたが経済的な理由を理由に自粛してしまうのは、人類的な意味で極めて損失だと思うんですよ。
なんつーかさ。面白いこと、楽しいこと。そういうのが沢山ある世の中がいいじゃないですか。勿論それぞれの日々の生活もあるからなんとも言いにくいんだけど、メリット・デメリットに力点をおいた関係を超えた人間関係、欲しくない?
まあ僕が欲しいだけなんだけどさ。