珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

2つの承認欲求をめぐって

承認欲求には2つのタイプがある。

 

1つは「名前もしらない大衆」から得られるもの。もう1つを「特定の誰か」から得られるもの。

 

注目を集めたいという欲求があるのなら、この2つを上手くブレンドしてゆかないと時として道を誤る。インターネット上で暴言をはいたり脱いだりすれば、簡単にあなたは注目されるけど、それは「特定の誰か」への好感度を著しく減らす事になる。なんらかの行動を取る前に、あなたの友達や家族、尊敬する人がどう思うかを考えて行えばミスは少なく出来るはずだ。もちろんときどきミスはするのだが。

 

承認欲求という悪魔の果実を理解するまでの道のり

産まれてから自我が芽生えた子供は暇さえあれば親からの愛情を求める獣だ。人は産まれた時から人からの注目なしには安心して生きていけない生物なのである。この時はまだ承認欲求の種類についての区別はまだついていないけど、社会的生物としてのヒトになるにつれて承認欲求を上手く得る方法が段々と上手になっていく。

 

小さな子供の世界にはパパとママしかいないが、徐々に社会的生物になるにつれてクラスメートとの位置関係を意識するようになる。ヒトは学校社会において、最も注目を得やすいものに対して夢中になる傾向がある。足が速い子は運動会で地位を確立し、ギャグの上手い子は面白さで地位を確立する。

 

そうして狭い世界での承認欲求を満たす途中で、子供はクラスメートからの注目の気持ちよさという悪魔の果実を口にする。その味に恍惚感を覚えた子供は、ある日有名人という、息をしているだけで人から賞賛される存在を目にすることになる。彼・彼女らの活動がどういうものかはわからないけど、兎に角キャーキャーいわれたりかっこ良く見える事だけは子供にもわかる。あの人達の食べている果実はどんな味なんだろう。私も食べてみたい。そうして子供は有名人に憧れる。

 

そして子供は学校や家庭を超えた先にある広い世界がある事を認知し「名前のない烏合の衆」から得られる承認欲求という蜜の味に憧れを抱く。あるものはアイドルに憧れ、またあるものは野球選手に憧れる。

 

きっかけを手にした子供は、手近なところからその高い地位を目指し始めるけど、いうまでもなく90%は挫折する。そしてその90%は勉強や趣味といった、比較的狭い世界での「特定の誰か」からの賞賛を集めやすい活動へと再び移ることになる。

 

こうして1割の才能ある特別な人以外は「名前のない大衆」からの承認欲求の味を知ることなくこの世を過ごすことになる・・・はずだった。そう、インターネットが産まれるまでは。

 

何者でもないあなたが、簡単に「名前のない大衆」からの承認欲求を得られる。それがインターネット。

インターネット社会が成熟したことにより、この90%の人はかなり簡単に「名前のない大衆」からの承認欲求を得やすくなった。ブログのアクセス数。Twitterのフォロワー数。Facebookの友達の数。

 

Facebook以前もこうしたツールはたくさんあったけど、このツールの核心的なところは「名前のない大衆」からの承認欲求に加えて「特定の誰か」からの承認欲求も得られるという部分にある。いいね!は特定の個人からの賞賛に加え、いいね!の数が簡単に可視化されている。これはとても気持ちいい。

 

TwitterもRT数、Fav数という「名前のない大衆」からの承認欲求+「特定の誰か」からの承認欲求という2つの仕組みを上手く取り入れたツールだ。こうしてみると、これらが流行るのもよくわかる。

 

昔、Facebookが出された時にアイヴィーリーグの学生がこぞってこれにハマり、様々な場所にでかけてリア充写真を取ってネットにあげまくっているという事を聞いて、正直頭のいいはずの学生がなんでそんな不毛な事に熱中するのか全くわからなかった。しかし考えてみると、そのいいね!は本当だったら1割の人しか得られなかった果実なのである。

 

Twitterはインテリのパチンコだと昔、形容された事があった。なんで140文字しか書けないツールにみんな熱中するのか。これも1割の果実の味なのである。おまけにその拡散しやすさは、上手くいくと非常に面白い人と友達になれるという要素も産みだした。「名前の無い大衆」に向けてよいものを出すと、時々「それまで合うはずもなかった凄い人」とリアルでも繋がれたりする。古くはブログでもそういった構図はあったけど、Twitterはより閾値を低くした。そりゃハマるよ。

 

あなたがネットに中毒するのは何故ですか?

インターネットは誰にでも居場所を与えてくれる。少なくともそこには、座れない椅子はない。椅子に座ったからといって相手にしてもらえるかはまた別の問題だけど。

 

特に一部のツイッタラーやブロガーに顕著だけど、なんらかのきっかけで滅茶苦茶に注目された人は、その味の中毒になり、どんどん過激な言動や活動に没頭する傾向がある。

 

そういう人に声を大にしていいたいのが冒頭の言葉だ。注目というパワーの出力を高めたいがために、「あなたの大切な友達、家族、尊敬する人」に対しての配慮を忘れてしまう事が多々あるのではないだろうか?その行為は本質的にはニコニコ動画で際どい衣装を着て生放送するのと何も変わらない。

 

1割の果実はとても美味しい。一度味わうと病みつきになる。僕もよくわかる。もし何も考えられないぐらいその味に飢えているのなら、少しインターネットを休んでみることをオススメする。多分あなたはインターネットジャンキーだ。

 

僕はインターネットはアルコールみたいなものだと思う。適度な付き合いができるのならそれに越したことはないけども、これらは人から自制心を失わせる事に対しては天下一品だ。子供なら親という存在がそれにブレーキをかけてくれる。だけどあなたは大人だ。大人は自分のことは自分で管理しなくてはいけない。

 

まずは10日ぐらい距離を置いてみよう。そして体から毒が抜けてから、ゆっくり自分とインターネットの上手いつきあい方を模索してみよう。自分をコントロールできる事は何にも代えがたい、素晴らしい技能の一つだ。お酒はほどほどに、である。