何故ワンマン経営者やプロブロガーの現実認知機能は偏ってしまうのか
あなたは顕微鏡を使ったことがあるだろうか?もし使ったことがあるならば、プレパラートに載った標本にピントをあわせる事ができる距離が思いのほか限られている事がわかるだろう。
物事をキチンとみるための適切な距離感というのは意外と難しい。あまりに熱心になりすぎると「近い、近すぎるって」となるし、逆に興味を無くしてしまったら「もう少し近くに行った方がいいんじゃないかな」となる。
対象物への適切な距離
むかし読んだ村上春樹の記事で非常に面白い事を言っていた。正確な事は忘れたけど、こんな感じの文章だったと思う。
「小説を読むということは、あなたを現実からいったん引き離すという事です。あなたの人生の主人公はあなたですから、現実に生きている限り、あなたは自分の人生について深く深くコミットする事になります」
「それは良いことではあるのですが、時として現実を認識するために必要な距離感を忘れる事にもつながります。そんな時、小説を読んで一旦現実から距離を置く事ができると、あなたの近すぎる現実への距離を少し遠くへ持っていく事ができます」
「小説が読み終わったら、その距離をまた調節しなおしてみてください。多分、以前よりもうまくピントを合わせる事ができると思います。これが小説を読む事で得られるよい効用の一つです」
これとは別の場所で、新興宗教にはまった人が村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドを毎日少しづつ読み、現実認識能力を取り戻したという話が出てきた。
これは、新興宗教というピントで現実を見ていた人が、小説という物語の力を借りていったんそのピントをずらし、再度調整し直すという事ができたからこそ、現実に帰ってこれたいい例だと思う。
僕らの現実認識は多かれ少なかれ、簡単にピントがずれる。対象物に没頭するのはいい事かもしれないけど、時にはそこから距離をおいて再度ピントを調節しなおす事も大切だ。
ワンマン経営者やプロブロガーがおかしくなる理由
対象物が好きな人は、それについて毎日考え続ける事なんて全然苦ではない。むしろ、そこから得られる承認欲求の蜜の味を知っていれば、そこから抜け出せなくなるだろう。アルコールに飢えたアル中のようにね。
そうして出来上がった承認欲求中毒者はビックリするぐらい、現実認識能力が歪んでいる。本当は少し休んで、ピントを遠くに離す事が必要なんだけど、あまりにもそれが好きすぎる人にはそれについて考えないという事の選択肢は無いも同然だ。
結果、物事への認識能力が異様に偏った人が出来上がる。時々ウルトラハイスペックなサイコパスはその誤った現実認知を超常技能で現実へと実現することもあるけども、大体は世界に殺されて討ち死にする。対象物にハマりこむ事は、常にこういった危険性を孕んでいる。
「好きこそものの上手なれ」は真実だけど、「好きだから好きすぎて、周りからの目が見えなくなる」のも同時に真実だ。こういった事がわかっていないと、いつか現実にキチンとコミットできなくなる。
結論
この問題は、別にワンマン経営者やプロブロガーだけに限った事ではない。
恋人が好きすぎていつも関係が破綻してしまう人
家族への愛が深すぎて妻や子供に辛く当たってしまう人
仕事が好きすぎて部下に辛く当たってしまう人
これらは適切な距離を取る事が、普通の人よりちょっとだけ苦手なんだと思う。
熱心に対象物へと興味をむけられる事は素晴らしい事だ。それができるあなたは、時として少し対象物から距離を置くことの大切さも同時に理解して欲しい。
遠くにも近くにもキチンとピントを合わせられる事ができれば、きっとあなたの人生はもう少し生きやすくなる。時としてそれは、とても難しい事ではあるけども。