珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

個人的には幼少時からの英語教育に反対である。以下その理由を述べる

昨今、英語教育の必要性が声高に叫ばれているが、筆者はどちらかというと日本人はまずキチンと日本語を勉強するべきだと認識している。幼少時という人格形成に強く影響する時期に、他の言語を習得する事に労力を費やすメリットが基本的には少ないと思うのがその理由だ。

 

言語はかなり思考と強固に結びついている。例えば神という単語一つとっても、日本語と英語では随分とニュアンスが異なる。英語圏だと神はかなりの確率でThe God(日本語のニュアンスだと唯一神)を意味する事が多いけど、日本語の神からはそういう認識は非常に湧きにくい。私たちにはやっぱり八百万の神々の方が”しっくりくる”。

 

私達日本人がなんだかんだで均質的な思考回路を持つことができるのは、日本語という同一のツールを用いて思考を行っているからである。そしてこれは日本語での会話を通じてより強固にフィードバックをうけながら強化されていく。この習得過程は幼少期から始まって年とともに成熟していく。こうして出来上がった感性は、日本人としてのイデオロギーとなる。

 

イデオロギーという単語に聞きなれない人も多いかと思うので簡単に説明すると、これは人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系を表す単語だ。具体的にいえば資本主義なんかがそうである。その他にもキリスト教だとかイスラム教のような宗教なんかもイデオロギーに相当する。これらは人の行動原理に強く影響を及ぼす”考えの元”となる。

 

人と動物の違いはいくつかあるが、その中でも非常に特異的なものとしてイデオロギー単位で動くという事があげられる。キリスト教の人たちはキリスト教で固まる傾向があり、共産主義を好む人達は共産主義者たちと固まる傾向にある事を考えてもらえばなんとなくわかってもらえるかと思う。

 

私たちは日本という平和で均質的であり、かつ恵まれた土地に住んでいるから実感がわきにくいけども、世界の争いごとの根源はイデオロギーの不一致が元となっている事が大半だ。宗教戦争なんかはその代表例だし、現在も闘争が止まない中東では民族が複雑に入り乱れている事も起因して落とし所が全く読めない。

 

日本のような均質的な社会に暮らしているとそのありがたみが実感しにくいけど、日本の同質感は非常に特異的な現象である。アメリカ社会が拳銃を必要としているのも、拳銃という抑止力がないとイデオロギーの不和に耐えきれないという事が一因としてあるのは明白である。多民族国家はいろいろ大変なのである。

 

人は考えがある程度似ている人とではないと仲良くなれない。あなたの友達は、あなたとなんらかの部分で似ているからこそ友達になれたのであり、根本から思考回路が違う人と親しい友達となれる事は非常に稀だ。

 

こうして考えてみればわかるけど、日本の環境は本当にもの凄く恵まれている。その恵まれすぎている環境がどこからきているのかというと、まずは島国であり、他の大国と陸続きになっていないという事があげられるだろう。私達は壁なんて作らなくても広大な海により自然と渡航が制限されている。これにより、良くも悪くも日本人で生まれ日本で育った人間だけで社会が構成される事になる。

 

そしてもう一つ強い障壁となっているのが言語だ。はっきりいって日本語は、日本以外では全く役に立たない。わざわざ海を渡ってやってくるリスクに加えて、日本以外では全く役にたたない日本語を習得してまで日本にやってきたいという人はまあ稀だろう。それならまだグローバル言語である英語が使える米国とか欧州に行きたいというのが人情だ。

 

この2つの高い高い障壁により、日本は比較的安定した社会を享受する事に成功している。これはもう、イデオロギーの画一化という面から見ればメリット以外のなにものでもないだろう。ありがたい話である。

 

私たち人間はイデオロギー単位で動く烏合の衆である。繰り返しになるが、イデオロギーが同一ではない人たちとはあまり真の意味では仲良くなりにくいし、隣人にはとてもなれない。島国という地の利と、偶然にも特異的な宗教が国内を統一しなかった事から、日本人のイデオロギーは日本語にかなり強く規定される事になっている。こういう事情を鑑みるに、日本語習得を妨げる要因を作ることは結構日本人のイデオロギー認識の弱体化につながるんじゃないかと僕は思っている。

 

と、いうわけで長くなったが個人的には幼少時からの英語教育の必要性の有無には断固としてナシと唱えたい。英語なんて日本語がしっかりできていれば、習得はそう難しいものでもない。

 

それに日本で必要とされるのは一部のエリート層だけである。エリート層は受験勉強で揉まれている事から、英語なんて必要になれば簡単に喋れる。英語なんて殆どの日本人からすれば所詮金稼ぎの道具、ぐらいのもんで丁度いいのである。

 

少なくとも普通に日本で生きて生活する庶民が、英語なんてできる必要性は皆無である。そんな使うかどうかもわからない英語習得に労力を費やす暇があったら、普通の人は百人一首でも暗記している方が個人的にはまだマシだと思うのだが、いかがだろうか?