珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

差別の問題は難しい

「この世には上層と下層という身分制度があります。下層のものとはかかわってはいけません。なぜならばその人達は馬鹿だからです」というような趣旨の事を書いたブログが炎上した。

 

ameblo.jp

 

個人的にこの議題が炎上するのは日本社会の現状を考える上で非常に有用なサンプルだと思うので、以下平等についての問題提起をしつつ書いていくことにする。

 

友達を選ぶ基準

あなたが日々付き合っている人達を思い浮かべて欲しい。何故その人と付き合っているのだろうか?たぶんほとんどの人はウマが合うとか、なんとなく気が合うといったふわっとしたワードで友達を選んでいると思う。

 

友人を選択した理由をもう少し突き詰めていくと、比較的性格が一致した教養・経済のレベルが似たような人となる。社会の上層にいけば行くほど、その間でなされる会話の教養レベルは比例して上昇していくし、遊びにいったり食事に行ったりするのに使うお金の金額も、比例して向上していく。

 

僕を含めて社会的にそこそこ上層にいる人達は、結局教養・経済のレベルが比較的近い人達で集まる事が多い。会話のキャッチボールも楽だし、相手の財布の懐具合を気にする必要もない。多少難解な事であれ喋りたい事を喋り、多少高いレストランだろうが食べたいものを食べる。相手に何の気を使うことなしに。

 

別に教養とか経済レベルが低い人達をわざわざ差別しているわけではないけども、結果として似たようなレベルの人達を選別してしまうのは事実だ。むこうもむこうで、こっち側の人間と遊ぶより、自分と親しい者たちと遊んだほうが全然楽しいだろう。

 

こうしてお互いの利益が一致しているという事もあり、社会の上の方の人達と下の人達は基本的にはあまり交わらない。これを肯定的な物言いでいえば「気が合う人を選んで」付き合っているとなるけど、否定的なものいいでいうと「馬鹿とは付き合わない」となる。

 

「馬鹿とは付き合うな」というワードは差別色が強いけど、「気が合う人と付き合う」というのも言い方がマイルドなだけでやってる事はなんの違いもない。

 

日本は表立って身分制度を出さない国なので、この手の差別ワードはとても問題になる。けど口に出さないだけでみんな大なり小なり人を差別している。そのことは忘れてはいけない。

 

欧米ではどうなっているか

この手の問題を考えるときにはかつての身分差別がまかり通っていた欧米諸国についての事例を考えるとわかりやすい。

 

例えば元・外交官の佐藤優さんのイギリス留学時の本がある。

 

紳士協定―私のイギリス物語―(新潮文庫)

紳士協定―私のイギリス物語―(新潮文庫)

 

 

この本の中で佐藤さんはとあるイギリスの家族の家にホームステイをするのだが、そこで非常に利発な少年と出会い、交友を深めていく。

 

このホームステイ先の家庭は中流階級に属するグループなのだけど、この少年は非常に知能が高く、望めばオックスフォード大学といった上層階級の住む場所へと移る事も可能であった。

 

少年は佐藤さんに「勉強して、大学にいった方がいいのだろうか」という悩みをぶつける。佐藤さんは「頭がよいのだから、是非進学して学問を習得するべきだ」と回答する。

 

実はこの少年の問は非常に深淵な問題を抱えている。

 

階級を一度超えると前の階級とは暮らせなくなる

はじめに書いたように、僕たちは付き合う人を選ぶ。基本的には自分に近い人を選んで、そういう人と暮らしていく。

 

中層~下層社会にいた人達が一度上層に入り込むと、基本的に前にいた環境の人とは生活がほとんど交わらなくなる。読む新聞が地方紙の人達と、フィナンシャル・タイムズとの人達との間で話が噛み合うはずがない。

 

この少年の問は、表面的には「勉強して社会的上層に入り込むべきだろうか」というものだが、深層的には「自分は上層に移って、今付き合っている家族や友人を捨て去るべきなのだろうか」という事を問うている。

 

身分差別が比較的広く認知されている社会では、上層・中層・下層がこの世にあることをあまり隠さない。それ故に、上層は下層にそれなりの保障を与えるし、下層も下層で身の程を知って生きる(ノブレス・オブリージュのような精神が発達するのは、自分が結果として上層にいるという事がありがたいことだと認識するからだ)

 

一方、日本は身分差別ある事を表立っては問わない。形の上ではみな平等だという。それ故に上層の人達は「機会はみんな平等だった。下層の人達は努力しなかっただけ」といい、あまり快く保障を行わない傾向にある(だから社会主義的な発想が比較的親和性が高いのだろう)

 

この「本来はある身分制度」を「ないもの」としているから、日本にはリベラルが根付かずどことなくリバタリアニズムの風潮が巻き起こるのだと個人的には思っている。

 

長くなったので今日はここでやめるけど、みなさんも差別とまではいわないまでも、社会の階層がはっきりと見える社会と見えない社会、どちらが果たしてよいのかについてはキチンと考えてみてもいいんじゃないですかね(次は気が向いたら子供の教育における階層制度の問題点について書きます)