散るろぐさんと散るろぐさんを笑っている皆さんへ
まあ絶賛大炎上中のこの記事ですが、承認欲求が行動原理のブロガーの皆様はあまり一方的に笑ってられないよというお話です。
たぶん筆者は炎上目的で記事を書いてなかった。ゆえに炎上した。
多分ですがこの記事、筆者は人を傷つける事なんて全く想定すらしていなくて、むしろ多くの人に褒めてもらえるつもりで書いたんじゃないかなぁと僕は思います。
これは割とよく使われている文章テクニックなのですけど、とある事実があったときに、そこから論理的に物事を展開して展開して展開し尽くした先に、結構面白い着想が得られる事があります(今回の記事が面白いかどうかは置いといてね)。
恐らく今回の記事は2つの論旨から展開されています。
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①
「痴漢に遭う人はどんな人だろう?」→「気弱で美人そうな子じゃないかな」→「じゃあその逆の例を過激に羅列すれば、面白おかしく逆説的に痴漢にあう子が美人であると証明できるじゃないか」
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②
「そもそも痴漢されない人という事はどういう事だろう?」→「誰からも必要とされない人だ」→「それはちょっと悲しいよね。」→「誰からも必要とされない社会がいい社会だとは僕は思えない。難しい問題ですね」
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多分ですが、散るログの方はこの論旨展開が頭のなかで行えた事に加えて、得られた結論の面白さに対して随分とアドレナリンがギュンギュンと出たのではないでしょうか。
そしてこれを記事に表現できたら絶対にみんなが面白がって読んでくれる!という思いが記事の執筆動機へとつながります。過去に何度がバズった事があるので、その気持ちよさへの飢えもあるでしょう。最近、バズってなかったみたいですし。
何故不適切な意見が内在されている事について頭が回らなかったのか
こういう論理的思考を展開して作られた記事ですが、結果として出来上がった記事に対しての良し悪しを書いてる本人がキチンと振り返りを行えるかというと多分ムリです。だって結論を出すまでに知能のリソースがほぼ消失してしまっていますから。
面白いアイディアを出す事に全力疾走してしまった人の頭にあるのは「みんながこれを読んで面白がってくれるかどうか」だけです。ゆえに記事を公開するボタンを押す前に、「これが不適切か否か」を判断する事はほぼ不可能と言っていいでしょう(そもそも記事の不適切性を判断する必要性すら感じていないかもしれません)
おまけに「一旦書いた記事を消す事は、記事を書いた労力を否定する事」というのが問題を更に難しくしています。正直、承認欲求系のライターは、褒めて欲しくて知力体力使って記事を書いていますから、それに対する労力の無効化は耐えられない現実の一つになります。
結論
個人的には今回の件は論理的思考展開でアイディアを出す事の危険性と、承認欲求に飢えた人が、どんどんと過激な意見を出すようになる事の危険性について学べるよい機会だったな、と思います。
個人的にはそれとは別に、あの記事を読んだ多くの人が「差別的要因が含まれた結論を出した人」は「悪いことをした人」だから「殴られるのは当然」というスタンスで石を投げまくってる事
それに加えて「自分が石を投げられる側になるかもしれない可能性」について全く考えてない事が非常に興味深いなぁと思います。
さて次に石を投げつけられるのは誰でしょうかね。ぶるぶる:;(∩´﹏`∩);: