珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

かわいそう・かわいい戦略なんて選ぶな。自分の自由は自分で選べるようになれ

<この記事の編集後記みたいな話になります。単独で呼んでも読めるような形にはしていますが、合わせて読むともっと面白いかもしれません>

blog.tinect.jp

 

もともとこの記事を書く発端となったのは、池田信夫さんのあの大炎上した記事が発端だった。

 

「動物には人権がない」というのは言われてみればまったくもってその通りである。ペットは家族だという文言が通用する位に犬・猫は私達人間に受け入れられているにも関わらず、人権が付与されていないというのは非常に興味深いな、と思ったのである(これはデリダが晩年真剣に考察したテーマらしく、僕も後日関連書籍を読もうかと思っている)

 

本文中にも書いたけど、「女性が男性を養いらがらないのは、男性がかわいくないから」という着想を得たのは、街でメチャクチャにかわいいチワワがトテトテと散歩している姿を見たときだった。

 

「あー犬めっちゃカワイイな。僕も飼いたい」

 

「ん?考えてみるとペットは普通にみんな養ってるけど、男性を養ってるって人の話は聞いたことがないぞ?」

 

「ひょっとして・・・男性って全然かわいくないから女性に養なってもらえないのでは(´;ω;`)」

 

というのが一応の思考の流れだ。

 

人権も付与されてない存在を私達がなんで家族として養っているのか、という事を真剣に考えていくと、結局のところかわいい以外に養うという理由を裏付けるような理由が全くみあたらなかったのである。

 

こう書くと「かわいいってメッチャええやん」と思うかもしれないけど、実はかわいい・かわいそう戦略というのは、外からみえるほど楽ではない。犬・猫はかわいくなくなった瞬間、殺処分にあう危険と隣合わせだ。かわいさ・かわいそうさを売れなくなった瞬間に、彼らの生存権は無となる。

 

実はこれは人間においても全く同じことがいえる。生活保護の人間は国民のかわいそうさレベルが一定以上に高まっているが故に、生活保護をうける事が可能となっているが、彼らが昼間からパチンコに行ったり、裏で贅沢をしていたりすると、一瞬でかわいそうレベルが無となり、基本的人権が脅かされるようになる。

 

かわいい・かわいそうを売ってお金を稼ぐということは、ある意味では人権を売ることに等しい。先ほどの生活保護の人間なら、おそらく部屋で黙って本を読んでいたりする分には、かわいそうレベルは全く毀損されないけど、パチンコをやると一瞬でかわいそうレベルが消失する。

 

どちらの行為をおこなおうが、基本的には自由なはずなのに、かわいそうにより保障をうけていると、パチンコという行為がいきなり不謹慎なものになる。これは改めて考えてみると凄い興味深い現象だ。かわいそうな人間が保障をキチンと受け続けるためには、自由が制限されなくてはいけないのである。

 

王子様を待たないで。お寿司も指輪も自分で買おう。

西原理恵子氏が、娘へのメッセージとしての新刊を上梓された。タイトルは「女の子が生きていくときに、覚いていてほしいこと」である。

 

 

そこで冒頭から氏はこう言う。

 

「王子様を待たないで。お寿司も指輪も自分で買おう」

 

これってつまり氏はこう言ってるのだ。

 

「かわいそう・かわいい戦略なんて選ぶな。自分の自由は自分で選べるようになれ」

 

男に頼って生きるというのは、つまるところ程度の差こそ多少あれど生活保護の人の生存戦略とそこまで変わるものではない。かわいいからこそ養われるのであり、かわいくなくなった瞬間から、あなたは程度の差こそあれ自由がどんどん制限されていく事となる。

 

これを暗にわかっているからこそ、専業主婦は家庭の財布のヒモを握りたがるのだろう。獲物(収入)が自分の手元を通過するようにして、夫による恣意的な自由を制限しコントロールしないかぎり、永遠にかわいそう・かわいい戦略の中で生き続けなくてはいけないのだから、そういう選択を旦那に迫りたくなる気持ちは非常によくわかる。

 

本当に、かつての女性は大変だっただろうな、と思う。「男は仕事、女は家庭」という単語は自分が女性だったらと考えると身震いする(そういう意味では女性が社会進出しやすくなった事については非常に喜ばしい事である。男女平等バンザイ)

 

それならば荒野で餓死するリスクがいくらあろうが、やっぱり自分はライオンのような自由な存在でありたい。たとえその過程で自分の命を断つような選択を迫られる事があろうが、かわいそう・かわいい戦略で生きながらえるよりかはよっぽど個人的にはマシだと思ってしまうのだ。

 

日本人男性が健康・経済的理由で自死を選ぶのも、たぶん同じような気持ちなんじゃないだろうか?

 

統計的には40~50歳の中年男性は、健康もしくは経済的な理由を背景に自殺するという傾向がある。これをみて「なにも死ななくてもいいのに」と思う人も多いかもしれないけど、僕は自分が改めて同じような立場に置かれた時、ぶっちゃけ死んだほうがマシだと思ってしまう人の気持はわからくもないのである(当然ながら自殺を推奨するわけではない。そういう選択肢が認められる自由があってもいいと思ってるだけである)

 

だって昼間っぱらからパチンコいくだけで不謹慎とかいわれるんですよ?それって無茶苦茶辛くないですか?

 

こんな時間にこんな下らないブログを書いてても誰からも怒られない自分の身分には、死ぬほど安堵しかありませんね。まったく、かわいい。かわいそうで生きるのは地獄だぜ。