珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

歴史の年号を暗記する等の暗記作業の意味がわからないって言ってる人へ

厚切りジェイソンさんの日本のみなさんにお伝えしたい48のWhy (ぴあ書籍) を読んだ。まあ短期間で有名ついったらーになったのがわかる位には、面白い人である

amzn.to

 

まあ基本的にはいいこと言ってんなーとは思った。議論を中心としたアメリカ流の学習スタイルを推奨し、最終的には自分の頭で考えられるようになって欲しいというのは大切な事だとは思う。

 

ただ残念だったのは日本の丸暗記中心的な受験勉強の本質を理解していないってとこだろうか。丸暗記って実はすげー大事なんですよ。

 

年号ごと丸暗記するから、たくさんの物事が覚えられる

あなたはものごとを2000個、順番だてて全部覚えられるだろうか?ちなみに僕は無理だ。

 

これを解決している方法が実は歴史の年号である。あの数字の暗記作業は1~2000程度という数字の順番という特質を最大限に利用しているいい例であり(1は300よりも前に位置し、300は1000よりも前に位置する)


年号の暗記とは、記憶に形を持たせて順序効率よく物事を覚える為のアイディアなのである。

 

このように何かに関連付けて物事を覚える方法を、座の法則とかチャンキングという(記憶術はこの手法で行われる)年号の丸暗記丸暗記と批判されるけど、実は年号というシステムに関連付けて物事を覚えるからこそ、大量の知識を頭に詰め込むことができるのである。

 

賢い人はこの事を通じて、知識を大量に暗記する為の技法を習得する。いったん取得したその特殊能力をどう用いるかはその人次第だけど。

 

数字を使うから、そこに時間的空間的広がりを理解できる

鎌倉時代~室町時代~戦国時代~江戸時代~みたいな風に丸暗記させられても、そこに歴史的時間的広がりを僕たちは全く感じ取れない。しかし年号とともにそれを覚える事でかなり具体的にそのことがわかるようになる。

 

645年の大化の改新、1185年にできた鎌倉時代と1603年にできた江戸時代を年号という数値をもって比較することで様々な解釈が可能になる。


鎌倉時代からおよそ400年程前の大化の改新の頃と、鎌倉時代からおよそ400年後の江戸時代は同じ400年でも随分と文化的成熟度が異なるが、数字的な意味では同じ400年程度の違いだ。


このように数字を間に介在させる事で、異なる事象を時間的空間的広がりという側面で見ることができる。これも年号をおぼえたからこそ持てる視点であり、こういうのは数値と関連付けなかったらわからない。

 

もちろん、日本だけでなくその当時の世界の出来事とも比較可能だ。数を関連付けて物事を覚えることは、様々な場所に知識をひも付けしやすくする素晴らしいツールなのである。

 

その他、数字を使って物事を覚える事のメリットは記述していくときりがない。

 

昔、[勉強なんて何の役に立つのですか?]という生徒の質問に[何の役にたつのかもわからないような人には役に立ちません]と教師が応えるというパロディがあったけど、こういう背後に隠れたシステムについて思いを馳せられない人は本質的にあまり優秀ではないと思う。

 

いちおう日本は先進諸国であり、教育システムはかなりいけている方だ。そんな国が本当に無駄なことなんて教えるわけないでしょう。

 

論理的であろうが、知識がなかったら何にもならない

アメリカの人達は論理的である事を何よりも尊び、議論できる事が自分で頭を使って考えられることであるという認識をもっている。

 

しかし僕はそれにはかなり疑問だ。そりゃ論理的であるには越したことはないが、そもそも中身のない人間には議論なんてできないし、自分の頭で考えることなんて絶望的に不可能だ。

 

日本の受験勉強は丸暗記丸暗記と批判されているけど、そもそもあれぐらいの知識はないと何の意見もいえない。


そういう基礎としての知識の習得を丸暗記と批判して口だけ達者になったところで何者にもなれないのなんて、インターネットをみてればよくわかる。


断言するけど、知識が無いけどロジカルな人間なんて存在し得ない。知識不足はロジカル以前の問題なのだ。

 

僕達は本当に勉強量が足りてない。論理的思考なんて訓練しなくても、数学でもやってれば勝手に身につく。


ロジカルシンキングなんてかっこいい横文字に憧れる暇があったら、日々是勉強である。