珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

新時代の勉強法について

最近、手塚治虫氏の他伝である「ブラック・ジャック創作秘話」という漫画を読んだのだが、そこに社畜真っ青なエピソードが載っていたのでそれの紹介と共に新時代の勉強法について簡単に書いてゆく。

 

そのエピソードとは手塚治虫氏がアメリカのイベントに日本を立つ前に全く原稿を完成させないで出席し、滅茶苦茶な迷惑を雑誌編集者とアシスタントにかけたもののアメリカからの電話での口頭指示のみにて原稿を完成させるというエピソードなのだが、その場面描写がすざまじい。

 

ロサンゼルスまで原稿をGETしに行った某編集者の目撃情報では、手塚治虫氏はホテルの机の上から何のカンペも無しに自分の仕事部屋のどこどこに○○の参考資料があり、それの何ページに参照すべき資料があるかを虫プロのスタッフもとい奴隷に指示し、原稿を作成させたという(例えば左から幾つ目の本棚の何段目にある○○という本にある図書館の公図を元に原画を作成しろ、みたいな感じ)

冷静に考えるとこれは脅威である。僕は現在実家を離れて生活しているけど、自分の本棚のどこに何があるかなんてすっかり忘れてしまったし、10回は読んだジョジョですら何巻のどこに何のページがあるかも言えない。

 

しかしいくら手塚が天才とはいえ同じ人間である。ここでは何故手塚がこのような変態行為を施行できたのかについて考察を加えたい。

 

恐らくだが手塚は一度サラッと購入した資料集を眺めて、どこいらへんに何があるかを把握していたに違いない。そしていざ新しい漫画を書く際に、その記憶を用いて「ああそういえばあの資料集にこんなのがあったな」と記憶を再想起し、実際に原稿を書き始めるにあたってそれを復習し、その資料集のそこのページについてのみ、マスタ-するという過程を何度も何度も行なっていたのだと思われる。

こういう勉強法自体は実の所難関試験突破者においては普通のことであり、成績上位者というのは常に無目的な読書は行わず、参考書を辞書のように使用し、問題を解きつつ疑問が生じた際にそれを身に着けていくというスタイルで成績を上げていく(こういう勉強法がもっとも効率がよい)

 

このエピソードはそれこそそれだけを切り取って読めば脅威だが、たった一話に限って言えば今までの蓄積した知識を組み合わせて新エピソードを作成するのは多作であった手塚にはそこまで難しい作業であったとは思えない。

 

このことから何が学べるか。凡人である私達は本を一度読んだ所で実用に耐えうる知識に変換することなど不可能なのだから、必要な時にいつでも使用出来る形で本を、どういう風に配置するか、が大切なのである。一度インプットした情報を、いつでもアウトプットできる形においておくことで、いざというときにそれを流用し、その場でそれを身につけてしまう。こういう行動を何十回、何百回と施行することで、自分の中に稼働可能な知識を蓄積していく。これこそ凡人が、微天才を演じることができる、たった一つの方法論なのである。

 

ここまでわかれば後は簡単だ。現在はデバイスも実にそろいに揃いきっている。例えば僕ならば、まず本を大量に読んで引き出しを沢山作ってく。そしてそれを自炊して、i padに放り込んでおき、後は実戦の場面に赴いて知識を必要とされるストレスフルな場面に自分を晒すだろう。こうやって曖昧な知識を使える形にRe constractさせる作業を行うことで出来る事を増やしていけば、数ヶ月後、数年後には他を圧倒する自分になれているだろう。

 

天才のエピソードを読み、ああ凡人の僕にはこんなことできないと憐憫するのは簡単だ。大切なことは、いかにその非凡なストーリーを文明の利器使用して、実践可能な範疇に落としこむか、である。このマンガは他にも大切な事をいくつも語ってくれている。ぜひ続編に期待したいものである。

 

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