珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

9/28まで。幻冬舎Kindle50%OFFセール

明日まで。良さそうな本ありましたらぜひぜひ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7/11まで。Kindle 50%オフセールでオススメ本を紹介する

表題どうり。今回は結構珍しい本が多めで漁りがいがある。

 

7./11までのようなので、気になる本があったら是非是非。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このハゲー!」

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「ちがうだろー」「違うだろー!」

 

 

 

「このハゲ?」「ちがうだろ?違うだろ?」

  

「Is this hage?」「 NO!NO!」 

 

「この坊主~!」「ちがうだろーハゲだろー!」

 

「このハゲー!」「Think different!」

 

 

 

 

 

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「ちがうだろー」「違うだろー!」

www.youtube.com

 

不思議の国ジャパソに住む三種の人種

コンニチワー。ワタシ、不思議の国ジャパソがダイスキなマルキド・マルクやねん。

 

今日はワイが寝っ転がりながら街を歩いて観察した、不思議の国ジャパソに生息する3つの人種について紹介するよ~(⌒▽⌒)

 

1,ヤンキー

これは義理と人情を第一に行動するタイプの人種やねん。

 

彼らにとって、いちばん大切なのはメンツと体裁。かっこよくない生き方をして恥を晒すのは死よりも不名誉だと心の底から思っているみたいやね~。

 

彼らの中にも上位種族と下位種族がいる。上は実業家のように、とにかく溢れんばかりの行動力で周囲をまとめ上げて権力やカネを手に入れる、マッチョな生き方を信望としているようダネ。

 

その中間ぐらいには地方でマイルドヤンキーをやってるようなのもいれば、あまり輪の中に溶け込めずに寂しくつっぱって生きるような奴らもいるようなのさ。

 

ヤンキーは知的な生き方とは親和性がそんなに高くない事が多いから、頭がよくたってあまり学力とか知力のようなものに頼らず、可視化しにくい人間力みたいなので生き残る傾向がつよいようデスネ。

 

ま、いつの時代もお山のテッペン取りたがるのは人間のサガやろうし、そういう勝てば官軍負ければ賊軍みたいに勝ったら総取りだけど、リスクとって負けたら死人に口なしの生活が好きなんもええんちゃいますか?総じて言えば、この人種はハイリスク・ハイリターンを好むタイプの人間っちゅうわけやね。

 

2,オタク

これは義理人情みたいなクサい人間関係が嫌いで、どっちかというと知識とか頭を回して興奮するのが好きなタイプの人種やね。

 

こいつらの上位種族はシリコンバレーでギーグと呼ばれているような連中のように、知的産業でどーのこーのしているタイプの人が多い傾向にあるみたいね。机に向かってコツコツ勉強するのが得意なやつも多いから、高学歴になってそれなりのサラリーマンとしていい身分をぶんどるタイプの奴もおるようやね。

 

地方とかでヤンキーが死ぬほど嫌いで共存できんって奴は、ダイガクニュウシっちゅうやつでトカイのガッコに死ぬ気で入り込んでこの手のコミュニティに入るって奴もおるようや。トカイっちゅうのは豊かな場所やからな。資源がない場所とは違って、義理とか人情では回ってない場所もまだまだあるっちゅう話やね。

 

キャラクター柄か、あんましお山のテッペン取りにいくのは好まんようやけど、最近はこのタイプでもイきって天下取るタイプもまあおるみたいなやぁ。

 

これの下位種族は人に使われるオドオドしたような連中やな。ヤンキーみたいに義理人情があまり好きやないようやから、人間関係がド熱い職場はあまり向かんけど、かといって一部上場企業の正規雇用みたいな特権階級に入り込むぐらいの机に向かってコツコツやるのが得意で無かったオタクはまあ悲惨やな。気に入らんカシラのタマとったる気概もないから粛々と心を壊して現場からバーンアウトしてまう事も多いようやね。

 

ま、総じて言えば勉強さえすればなんとかなるし、ミドルリスク・ミドルリターンぐらいの人種ちゃうん?

 

3,障害者

これは可哀想な人たちやね。大まかにわけると、発達障害、知的障害、精神障害、身体障害の4つの区分があるみたいやね。

 

この中で割とマシなんは発達障害と身体障害やなぁ。ヤンキーヘッドみたいに人間力あるタイプの奴とか、ギーグみたいな知力のあるタイプの奴はなんとか能力駆使してそいつらのシマ入り込んで領地を獲得したりする事もあるみたいや。ジャパソではオトタケっていう奴がこの部族のTOPっちゅう噂やで。

 

ただこれらはいずれもハイスペックかつ本人が運に恵まれた結果みたいやし、なんていうか普通に障害無く生まれてきたらもっと生きやすかったやろうなぁ。世の中世知辛いで、ホンマ。

 

残りの知的障害と精神障害はなんちゅうか悲惨やわ。そういう人種でも野垂れ死にしてない分だけジャパソは豊かで素晴らしいっちゅう話もあるみたいやけど、ヤンキーとオタクよりかは遥かに生きる難易度が高くて大変やろなぁ。

 

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これらの分類はわいの短い滞在期間中の寸評やから、あんまし真面目に読まんといてくれると助かるわ。

 

けど不思議の国ジャパソでは、面白いことにこの3つの人種が時に交わり、時に住み分けつつ、不思議とそこまで争いがなく共存できてるっちゅうのが面白いところやと思うな。

 

海には表面と深海があって、上がトビウオみたいんが生きてて下は深海魚みたいなんが生きてるよーに、それぞれ別々の生き物がお互いに干渉せず好き勝手暮らしている光景があるように、ジャパソっていう国もうまい感じに生息空間の住み分けがうまくいったから、この3つの種族がいい感じに共存できてるのかもしれへんなぁ。

 

まあヤンキーはヤンキー内で、オタクはオタクで、弱いもんは弱いもんでそれぞれ争うこと無くお互いの領分でなかよくやってるようで、素晴らしいやないか。

 

ウチの国もこんな感じでうまいこといかへんやろかねぇ。見習いたいもんやわー。

 

長くなってすまんな。ほな、また。

レストランだけでなく、客側も正当に評価されるべき時代がやってきた~うどんが主食さん問題を考える~

有名食べログレビュアーである「うどんが主食」さんが飲食店側から過剰な接待をうけていたという事を告発されて炎上した。

 

bunshun.jp

 

実はうどん氏については2~3年前から有識者間で

 

「態度が悪い」

 

「味じゃなくてヨイショしたかどうかで高評価が決まる」

 

などなど色々と言われていたが、今回の文春砲により決定的に信用を失ったと言っていいだろう。

 

魑魅魍魎だらけのグルメ界

実はうどん氏に限らず、飲食店業界は珍妙な人がたくさんいる。その惨事については友里氏の本に詳しい。

 

グルメの嘘(新潮新書)

グルメの嘘(新潮新書)

 

 

以下簡素に問題点を書くとこんな感じである。

 

1.そもそもグルメライターは専業だと年収が300万程度である。

 

2.その年収で果たしてキチンとレストランを評価に値するほどまわれるのかというと、当然の事ながら不可能。必然的に、タダ飯を要求したり、予算をかなり厳しく制限して店側に特別料理を作らせるという事を行わざるをえない。

 

3.つまり、そもそも取り上げられている店が最初の段階で選別されてしまっている。結局のところ、本当に美味しいから紹介されるのではなくグルメライターに媚を売ったお店がメディアに出て、良心的なお店は見向きもされない。

 

まあこの他にも色々な指摘はあるのだけど、この時点でグルメ業界がいかに偏った状態にあるかがわかるだろう。うどんが主食さんのようなアヤシイ存在は氷山の一角でしかない。

 

食べログはある意味では画期的なサービスだった

そういう意味では食べログはかなり画期的なサービスだった。

 

もともと東京いい店うまい店、東京カレンダー、ミシュランといった、ある種の経済活動の元に成り立ったメディア媒体しかお店の宣伝がされるルートがなかったグルメ界において、なんのシガラミもない野生のグルメや素人の素直な意見がオープンネットワークに表出するというのは、革新的なイベントと言っても過言ではなかった。

 

もちろん評価者は素人が圧倒的に大多数なので、飲食のプロからみると「こいつ何も料理の事わかってねぇな」という評価をしている人も非常に多く散見されるという問題はあったのだけど。

 

これが原因で、レストラン側が素人による心無い発言により余計にイライラさせられるケースも多々あったのは事実だ。このあたりはなんというか申し訳ないという気持ちもかなりある(僕も専門である医療について、よくわかってない人からアレコレ勝手に言われるのは腹がたつので気持ちは非常によくわかる)

 

ただ総体としてはかなり食べ手のレベルが向上するのにも役にたったのは事実だろう。情報は、ゼロだと何も産まないが1でもあればそこから何らかの知見が生まれ得るものだ。食べログは、そういう意味では信頼できる食べ友達を持たない在野のグルメや素人に多大なる知見をもたらすキッカケとなっただろう。

 

だが悲しいことに、食べログもどうやらかつての駄目グルメを量産するツールとしての道を歩みつつあるようだ。いったいこれからのグルメ業界はどういう道を歩むべきなのだろうか。

 

美味しいものが食べられないのは、あなたの指示出しが悪いから

仕事というのは指示出し・下請け、どちらも優秀ではないとよい成果は生み出せない。

 

上司が無能でアサッテの方向を向いた指示ばかり出していたら部下は困惑するし、どんなに上司が明晰な指示を出しても部下があまりにも無能過ぎたら成果がでない。

 

実はレストランについても全く同じことがいえる。

 

レストランにおける成果物は料理だ。

 

客がシェフの得意な調理をキチンと把握し、食材の旬、自分の味の好みをキチンと把握した上で自分が美味しいと思えるものをキチンとシェフ側にオーダーできれば、同じレストランでも出てくる料理の質はガラッと変わる。

 

実はレストランで美味しい食事が食べられない問題は、かなりの割合において食べ手にも問題がある事は知られていない。

 

食べロガーが「あそこのレストラン、全然美味しくないわ」と言っている傍で、レストランもレストランで「あの客、なんもわかってねーよ」と言ってたりするのである。

 

これって無能な上司と無能な下請けの会話、そのまんまじゃないだろうか?

 

つまりレストランはレストランで「あの客の指示出しがクソだ」と言ってるわけで、客は客で「あのレストランは俺の要求を全くわかってない」と言ってるのだ。

 

これはある意味、双方の情報のやり取りがうまくなされなかった上に生じた不幸だと言えるだろう。

 

食べ手は美味しい食事という成果物が欲しい。けど正しい指示の出し方を知らない。

 

レストラン側は客がどういう食材を美味しいと思うのか、どういう調理を好むのか、という情報が欲しい。けどそれを知る手立てがない。

 

そろそろ客側もしっかり成長するべき

この点、食べログはある意味では素人客による要望の塊みたいなものである。もちろんというか、個別の客による要望ではないので、レストラン側が客側の要望を上手く汲み取るのにはかなりしっかりとした情報分析が必要だけど、そこにあるのはゼロではない。少なくとも1の情報がある。

 

ただ残念ながら、指示出されサイドであるレストラン側からの食べ手への評価はまだゼロだ。あなたの指示がどう悪いのか、逆によい指示出しをしてくる客というのは、どういう人間なのか、についての知見は、全くといっていいほど蓄積されていない。

 

グルメ界が次の段階に進む為には、そろそろ食べ手側もしっかりと成長しなくてはいけないのである。食材の旬の把握、調理方法、その他諸々の諸事情について、正当な情報のやりとり無しには私たちは総体としては一歩も先へすすめない。

 

というわけで食べ手→レストランへの評価が下されている「食べログ」の逆の、レストラン→食べ手への評価が下される「食べ手ログ」についての導入をカカクコムさんは真剣に考えて欲しい。

 

旨味はまだまだ先にいける。食べ手も作り手も、思うところはただ一つ。「美味しい」の一言なのだから

よいモノというのは、ある種の鏡のような性質を含有している

<この記事の編集後記みたいな話になります。単独で呼んでも読めるような形にはしていますが、合わせて読むともっと面白いかもしれません>

blog.tinect.jp

 

この記事を出した後に、増田で強烈なのがあげられた。読んでて思わず大笑いしてしまった。

 

anond.hatelabo.jp

 

リンク先の文章は、ミクロに教科書の記述を比較していろいろ検討してあり、ああそういう風にも読めるんだな、と学びが多かった。

 

個人的には総体として教科書を読んだときの読後感についての記述を行ったつもりだったので、こういう形での反論?は想定しておらず「そうかこういうのも需要あるんだな」と非常に新鮮だった。

 

まあそれは置いておくとして、本題はここからである。

 

この記事のブックマークコメントに

 

 

あの記事は「修学旅行で中学の時行った奈良京都はつまらなかったけど大人になって行ったら超面白かった!」といっているのとほとんど一緒ですよ。

 

というのがあった。これはまさに僕がいいたかった事を上手く表現している。

 

大人になると、様々な情報が自分の中に蓄積されていく。

 

教科書もまっさらな状態で読むのと、様々な情報を持って読むのとではみえる風景が異なるように、京都や奈良といった古都を歩くのも、まっさらな状態で行くのと色々な情報を身に着けた後に歩くのでは、感じ方が全く違う。

 

最近になって、このような年齢の違いで感じ方が完全に変わるタイプのものこそが、本当に価値のあるものだよな、と思うようになってきた。

 

名作とか古典とかそういう風にいわれるものは、いずれも全てそういう性質を含有している。

 

例えば太宰治人間失格。僕はこの本を若い頃に読んで

 

「なんでこれがこんなに名著って誉れ高いのか全然わからん。ドラゴンボールの方が100倍面白いじゃん」

 

なんて思ったのだけど、最近になって読み返してみると、10代の頃に読んだ時に受けた印象と150度ぐらい違う感情がフツフツと湧いてきて

 

「あれ?こんな本だったっけ?」

 

と妙に心に沁みてしまったのだ。

 

よいモノというのは、ある種の鏡のような性質を含有している。

 

京都や奈良は、年を取れば取るほど、見え方が変わっていく。

 

山川の日本史の教科書も、人生経験の違いで異なる場所に行間がみえるようになっていく。

 

太宰治人間失格も、共感できるかポイントが年々ズレていく。

 

これが成長なのか、それとも余分なものを抱えてしまった事を単純に示しているのかはわからない。

 

ただ、そういうある種のノスタルジーを楽しめるようになってきて、年をとるのも悪いもんじゃないな、と思えるようになってきたのである。

 

この次の10年後に、僕は京都・奈良、山川の日本史、人間失格をどういう風に楽しめるのだろうか。そう考えるだけで、なんていうかもう凄く心がわくわくしてしまうのである。

 

人生とは、実に味わい深い。

ガンガンコミックスと科学系のKindleセール、オススメ本のまとめ

だいたいどれも50%以下。以下オススメ本のまとめ。興味あるものあったら是非~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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