珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

重度障害者や認知症の世話を他人になすりつけてる人は、自分が差別主義者だという事を自認しているのだろうか

今朝起きたら、なかなか衝撃的なニュースが飛び込んできた。

 

www3.nhk.or.jp

 

犯行者は「障害者がいなくなればいいと思った」と行って犯行におよんだという。これは実に含蓄深い行動理念だと僕は思う。

 

平等をドヤ顔で語る人はその裏で働く奴隷の顔を思い浮かべているのか

現代社会は昔と比べて余裕がある。それ故に、昔だったら生きてはいけなかった人達も比較的少ないコストで豊かな生活を享受できるようになっている。そうして発達した現代では、身体・知的障がい者認知症を患った高齢者が介護福祉施設で養われるようになった。

 

これ自体はよい事だと思う。社会的弱者という存在をどこまで救うかというセーフティネットが機能しているという事は、それすなわち国民の生活が基本的には保証されているという事とほぼ同義だからだ。

 

この手の平等を語る人達がよくいう言説として以下の様なものがある。

 

「障害者や介護が必要となる人達を切り捨てろという人がいるけども、このような事をいう人達はその言説が自分に向く事を考えた事があるのだろうか?人を弱さで選別するような人は、自分にその刃が向く可能性を考えるべきだ」

 

基本的には僕もこの言説には同意する。弱きものを助けられるのならば、助けるに越したことはない。

 

けどこのような事をいう人達は、その弱き者を助けている現場の人達の現状をキチンと理解しているのだろうか?

 

低賃金・劣悪環境で働く人達

今回、事件を起こした人の労働環境は時給900円だったという。これはマックやコンビニ以下の時給である。

 

 

介護福祉関係の施設で一度でも働いた事がある人ならわかると思うが、あれはお世辞にも楽しいものではない。ボケて感情が駄々漏れになった気性の激しい老人や知的障害者のトイレだとか食事だとか入浴の世話をして、楽しいと思えるような人はごくごく少数だろう。

 

もちろんそういう事にやりがいをいる人がいるのは事実だと思う。そういう人は、そういう事に真摯に取り組めばいいとは思う。その事に異論はない。だけどその重労働を、やりたくない人に押し付けるのはどうかと思う。

 

現代においてこの手の福祉施設で働く人は、学歴社会というレールに上手く乗れなかった人の行き着く先になっている。キチンと勉強して、高学歴ルートに乗って、大企業に勤務できた人は「頑張ったのだから」正規職員として豊かで楽しい労働環境を手にする事ができる。

 

その一方、勉強もせずに怠けていた人達は「頑張らなかったのだから」自分の職に文句をいう資格はなく、どんな汚れ仕事ですら低賃金で請け負う責任がある。現代はこれが暗に許される土壌にある。

 

これは自己責任論をたてに「やりたくないことを低賃金で他人に押し付ける事を正当化した現代の穢多非人制度」にしか僕にはみえない。人権というものがあるのならば「やりたくない事はやらない自由」もあるはずだ。だけど現代社会は自己責任論という劣悪な正義でこの義務を自分以外の誰かに押し付けている。

 

介護をやって欲しい人達は美容整形と同じぐらいのお金を払いなさい

もういい加減、介護・福祉は贅沢品だという認識をキチンとみんなが持つべきだと思う。

 

例えば僕の業界ならば、美容形成という業界がある。まぶたを二重にするだとか、脂肪吸引をするだとか、はたまたお顔をいじるだとか、まあいろいろある。これらは「自分の満足の為にお金を払う」という認識をみんなが持っているから、医療保険の対象にはならないし、また受診する人は自己責任を元に喜んでお金を払っている。

 

それが介護になると、命の平等はみんながドヤ顔で語るくせに誰がそのコストを支払うかを誰もが黙殺する。当たり前だけど、重度障害者や強烈な認知症のある人に付き合う為には多大なるストレスと激しい肉体労働が必要だ。

 

「介護を切り捨てるような人は、その刃が自分にむく事を考えた事があるのだろうか」というリベラリズムを語る人は、「介護を容認する覚悟があるのならば、自分が介護する側を死ぬまでやる覚悟があるのだろうか」という当たり前の疑問を何故もたないのだろうか?僕はこの手の「正義」を語る人は、自分が介護をする側に回る事を考えたことがないとしか思えない。

 

もういい加減、介護も福祉も美容形成と同じく「贅沢品だ」という認識を持つようにしませんか?やりたい人は、お金を払ってやってください。障害者も高齢者もウンコぐらいしか製造できないけど、まあお金を払ってまでそれらが生み出すウンコに価値を見出すってのなら、僕は何も否定しません。そういう人は、自分の人生のほとんどの時間を費やして、各々好き勝手にやればいい。

 

低賃金で劣悪な環境で働く人達の事を見て見ぬふりをして自由や平等を語るな。正義や平等をたてに低賃金劣悪労働者の存在を許容する奴は全員が全員、差別主義者を自称するべきだ。

 

自分がやりたくない事を、正義や平等をたてにして他人にやらせるな。

冗談抜きにポケモンGOは日本に残された最後の希望かもしれない

任天堂の株価がポケモンGOの影響で爆発的に上がった。Brexitの頃は13000円くらいだったのが、今や21000円もする。買っときゃよかった。

 

とある筋によれば、ポケモンGOのアクティブユーザー数は既にTwitterのユーザー数にも匹敵するぐらいという事である。これははっきり行って尋常じゃない数だ。

 

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ポケモンGOがどういうゲームか簡単に言えば、スマホを持ってリアルに外に外出し、スマホのカメラを通じて現れるポケモンをGetするというゲームだ。ゲームらしく全てがゲームの中で完結するのではなく、現実とのリンクがあるという点が既存のスマホゲーと比較して面白いポイントだろう(このシステムはIngressというゲームで既に導入されており、今回のポケモンGOの開発にはIngressのスタッフも関わっているという)

 

そしてこの事を聞いてから、ポケモンGOの持つ恐ろしい潜在能力に気がついてしまった。ポケモンGOが本気を出せば、日本経済はマジに好転するかもしれない。

 

人は希少品の収集癖が大好きだ。男ならかつてカードゲームでキラキラしたレアカードを誇らしげに友達に自慢した事が一度や二度はあっただろう。

 

ポケモンGOポケモンは現実の空間内に生息している。どういうシステムを採用しているかはプレイしていないのでよくわからないけども、レアポケモンを特定の場所に置く事はシステム上そんなに難しいことじゃないだろう。

 

例えば富士山に伝説のポケモンを置いたりすれば、本来とは違った意図ではあるが富士山観光をする人は結構出てくるんじゃないだろうか。富士山に登って手に入れたレアポケモンで友達に自慢できる事を考えれば、馬鹿にならないインセンティブだろう。

 

僕は初め、このように日本の観光業の活性化ぐらいの利用価値しか思いつかなかったのだが、これを海外ユーザーにまで拡張したらとてつもない事が起きる可能性に気がついて心底震えた。レアポケモンをダシにして、海外から莫大な観光客を呼び寄せられる可能性があるじゃないか。Twitterのアクティブユーザー数にも匹敵するほどもの観光客を、だ。

 

軽いものならば日本の国旗が書かれたTシャツを着たピカチュウが日本にくればそこら辺で手に入るとかでもいいし、屋久島とかちょっとアレな場所にまででかけてくれるような人には神秘的な伝説のポケモンが手に入るようにしてもいい。僕もレア物収集が大好きだからよくわかるのだけど、たぶんこれは絶対にマニア心にウケる。ポケモンはもともと日本発のゲームなんだから、ほんのすこしぐらい日本に特別風味をつけたってバチは当たらないだろう。

 

とにかく観光庁は真剣にポケモンGOの生み出す可能性について真剣に検討し、任天堂と戦略を綿密に組み立てる必要があるだろう。大企業が一夜にして株価が二倍近くにもなるだなんて普通じゃない。世界はポケモンGOに大変期待している。その期待を裏切ってはいけない。

 

たかがゲームとバカにすることなかれ。この好機、逃しちゃ駄目だぜ。

 

参考文献

 

 

貧しい若者。豊かな高齢者。老人大国ニッポンの貧富の差は何故起きるのか。

世の中には貧富の差がある。キリストが誕生してから2000年たった今でも、格差はなくならない。何故か?それは資源に限りがあるからだ。

 

豊かになるためには沢山の資源が必要だ。限られた資源の中で、豊かさを享受するためには分配に傾斜をかけるしかない。

 

昔の人々は、まずはじめに身分制度を構築する事から始めた。貴族と農民。士農工商身分制度を設けることで貧富の差を作り出し、余裕ある多くの資源をアッパークラスへ、生きるのに最低限の少ない資源を下層民に配分することで、格差を作り出していた。

 

そして時は流れ、世にグローバリゼーションの流れが到来する。すると頭のいい人達はある事に気がつく。「資源の偏りを国内ではなく国外で形成すれば、我が国はもっと富むではないか」これが帝国主義だ。多くの列強諸国がこぞって各地を武力で傘下におさめ、植民地という名の不平等な力関係を結ばせる事にやっきになった。

 

植民地で生まれた豊富な資源を不当な金額で買い叩き、それを自国で正規価格で売りだせば、簡単に中抜き分を搾取することができる。こんなの子供でもわかる理屈だ。この単純な理屈が列強諸国が豊かだった理由であり、それ以上でも以下でもないのだ。

 

つまりなんてことはない。豊かになるには資源をどうにかして偏らせればいいだけなのだ。「俺は豊かになりたいからお前は我慢しろ」これが人類の長い歴史史上で行われてきた事のほとんど全てをいいあらわす言葉でもある。

 

そうして人類は2度の世界大戦を経験した。この間で科学技術が発達し、食料やエネルギーといった資源の取り分が大幅に上昇して人類全体が豊かになった。すると次第に各国間を貿易という形で「経済的に殴りあう」競争の方が「武力的に殴りあう」競争の方より全体的に必要経費が少なくなった。今では先進国と言われている諸国は、武力で殴りつける事はほとんどなく、知力でもって経済的に殴りかかる事で富の偏りを生じさせることに躍起になっている。

 

日本という極東の小国がある。この国はかつて世界大戦に敗れた後、奇跡的な経済成長を遂げ、一気に世界2位の経済大国に成り上がった。かつての日本は経済的に諸外国を殴りつけるパワーが桁違いに強く、サラリーマンの平均年収が600万にも到達した時もあった。

 

そして時は流れ2016年。お隣の中国が破竹の勢いで経済成長を遂げる中、悲しいことに日本は低成長時代に突入する事になった。現在ではサラリーマンの平均年収は350万。日本の絶頂期の約半分だ。

 

かつて多大なる巨万の富を生み出してくれた先達は、高齢者となり医療費・介護費という社会保障費という形で巨大な負債へと変貌を遂げた。昔のように日本が絶大なる経済成長を遂げているのならば、この巨大な負債も気軽に負う事もできたが、残念ながら今の日本は低成長国家だ。資源は限られている。

 

話を始めに戻そう。豊かになるためには沢山の資源が必要だ。限られた資源の中で、豊かさを享受するためには分配に傾斜をかけるしかない。高齢者の社会保障費は巨額だ。殆どの高齢者は、とても自分の持っているお金だけでは支払えないような大きな金額である。

 

日本という国は税金という形で国民からお金を徴収している。この税金をどういう風に使うかは、その時の与党が大筋を決める。

 

日本という国は民主主義だ。与党は選挙という形で選ばれた、政治家により構成される。

 

政治家は国民から票という形で多くの支持を受けられなければなれない。そして国民から支持を受けて政治家になったものは、支持者の為に報いるのが基本だ(支持してくれたのだから当たり前だ)

 

資源がめちゃくちゃあるのなら、若者から高齢者まで全ての民に芳醇な資源を分配すればいいけども、残念ながら今の日本はそこまで豊かではない。国民から徴収した税金の分配先にはどうしても偏りが出てしまう。先の参院選でもそうだったけど、若者は選挙に行かないが、高齢者は選挙に行く。

 

必然的に税金は高齢者に優遇する形で流れていく。これはもうどうしようもない。

 

こうして現代日本は奇妙な事に、昔の貴族と農民。士農工商の頃のような国内で豊かさの格差を作り出すという昔の様相にすっかり逆戻りしてしまった。もちろん貴族は高齢者で、農民は若者だ。僕ら若いのはせっせせっせと働いて、お上に年貢を納める。そして年貢を貰ったお上は高齢者にその富を潤沢に分け与える。

 

なんていう事だろう。2度の大戦を通じて焼け野原から奇跡の大成長を遂げた日本だが、気がついたら江戸時代の頃とほとんど変わらないような身分制度に逆戻りしていたのである。

 

これは見方によっては高齢者という列強諸国に搾取される、若者という名前の植民地であるとも言える。戦争法案反対と声高に叫ぶ、どこぞの大学生によるお馬鹿な団体があったが、戦争なんてとっくに起きてとっくに終わっている。結果は高齢者勝ち。若者負け。僕らは粛々と敗戦の民として年貢を計上しなくちゃいけないって寸法だ。

 

下手に痛みを伴わない税金という形で搾取されている分、こんな馬鹿げた現実に若者は全く気がついていない。本当は僕たちはもっと声高に「介護しません。ボケた高齢者は野垂れ死んでください」「胃ろう反対。メシが自分で食べられない人は寿命です」と叫ばなくちゃいけないのに、誰も人の生死に関連した都合の悪い事から目をそむけている。

 

もう少し僕達若者は、世代間で起きている静かな戦争についてキチンと現実を直視するべきなんだけど、こんな大切な事をどこの政党も言わない。ひょっとしたらアベノミクスが大成功して、奇跡の大成長を遂げて、かつてのように日本がメチャクチャ豊かになる世界線もあるかもしれないけど、現実はそこまで明るくないだろう。

 

今ならまだ分配できる資源があるけども、破綻したらそれすらもなくなる。こうして僕たちはゆっくりと痛みを伴わない形で絞り取り上げられ、ある日首をギロチンで落とされる。

 

まあ選挙にみんな行かないんだもん。仕方がないよね。

 

参考文献

 

文明崩壊 上巻

文明崩壊 上巻

 

 

メリット・デメリットで人間関係を決めすぎるのもいかがなものか

貧しくなったからか、ここ最近は経済的なメリット・デメリットで物事を語る人を多数みるようになった。

 

僕自身も、比較的経済的な観点でモノをみることが多いのであまり偉そうに何かをいえるような立場ではないのだけど、やっぱりというか非経済的な活動も人は行うべきなのではないかという思いもどこかにあるのは事実だ。今日はそういう話をしようかと思う。

 

メリットでものを選びすぎる人達は、デメリット側になったら即切り捨てられても文句はいえない。

経済という観点は非常に冷酷だ。良くも悪くも、時間単位で自分の活動に値段が付けられてしまう。

 

僕なんかだと、一応時給換算では最低一万ぐらいは計上できてしまう。例えばこのブログの執筆だと、大体1~2時間はかけているので、経済的な観点から言えば、このブログの執筆は完全に損失以外の何物でもない。

 

他にもワイン会も主催しているが、こちらも基本的には利益はゼロ。セラー管理費やセッティングの手間を考えればむしろマイナスだ。

 

じゃあこの2つが完全に損かというと、そんなことは勿論ない。ブログやワイン会を通じて得られた人との繋がりは、お金では買えないような素晴らしいものばかりだ。

 

経済的な活動を行う事に力点を置くようになったら、それと同じぐらい非経済的な活動を行うようにしてみてはいかがだろうか

個人的にはみんなにお金を稼いで欲しいという思いがあるので、Twitterやブログでは「経済的にメリットをあげられるようになれ」といったメッセージを揚げることが多い。

 

これを踏まえた上で聞いて欲しいのだが、経済的な活動をある程度行えるようになった後、今度は非経済的な「人の役に立つような活動」に力点を置けるようになって欲しいなと思う。

 

もちろんというか、それはあなたに損をしろというような事を言っているわけではない。タダ働きを始めとした、他人から要求された人的資本のダンピングについては、断固として拒否をするべきだ。

 

そうではなく、あなた自身が楽しいという理由で行える、「自分の経済的な時給を度外視した活動」をぜひとも行って欲しいと思うのだ。

 

ブログを書くもよし、絵を描くもよし、飲み会や同窓会をセッティングするのもよいだろう。もちろん、そういうのは時給を考えると全く釣り合いはとれていない。だけどそんなにお金的な意味でのメリット・デメリットを考えて人生生きてても、面白くないじゃないですか。

 

最低限の経済的な活動を行えるようになった後だからこそ、非経済的な人の縁を重視した活動や、自分の心を突き動かす面白さに重点を置いた活動を行う事が人としての面白さだと思うんですよね。そういう面白い活動を、経済的な観点でモノをみれるようになったあなたが経済的な理由を理由に自粛してしまうのは、人類的な意味で極めて損失だと思うんですよ。

 

なんつーかさ。面白いこと、楽しいこと。そういうのが沢山ある世の中がいいじゃないですか。勿論それぞれの日々の生活もあるからなんとも言いにくいんだけど、メリット・デメリットに力点をおいた関係を超えた人間関係、欲しくない?

 

まあ僕が欲しいだけなんだけどさ。

予備知識ゼロのズブの初心者のための投票先選び指南方法と、あなたが選挙に行かなくてはいけない理由について

参議院選挙が近い。この時期になると、やれ選挙に行けとみんなが言うけども、実際問題どこに投票すればいいのかサッパリわからない人がほとんどだと思う。

 

このわけのわからなさに加え、自分が投票に行こうが行かまいが全く世の中の動きに関与している実感がわかないという虚無感から選挙に行かない人も結構多いと思う。以下に書くけども、選挙には絶対に行ったほうがいい。

 

今回は予備知識ゼロのズブの初心者のための投票先選び指南方法と、あなたが選挙に行かなくてはいけない理由について書いていくことにする。

 

政治家になるためには票を集めなくてはいけない

当たり前だけど、政治家になる為には選挙にて一定数以上の票を獲得しなくてはいけない。じゃあ問題は、どうやって票を獲得するかという事になる。どこぞの政治家が街を選挙カーで回るのも、農家を自分の足で一軒一軒たずねるのも、全部自分に来るであろう一票の為だ。

 

ということはだ。効率よく票を集めるためには、投票してくれるであろう人達に向けて売り込みをしなくてはいけない。となれば有権者を様々な括りで見ていく必要がある。農協が大きな組織票を持っているのなら農協に売り込みに行くし、経団連が大きな組織票を持っているのなら、経団連に売り込みに行く。

 

このくくりの中で、最も大きいのが世代差だ。当然の事ながら、高齢層と若年層とで望むべき政策は異なる。高齢層ならば、安定している福祉の充実した社会を望むだろうし、若年層は高齢者に自分の税金が多量に流れるのを嫌がるだろう。

 

さてあなたが政治家になるためには票を集めなくてはいけない事は先程確認した。ではあなたが選挙活動を行うとしたら高齢層と若年層、どちらの耳に心地よい政策を打ち出すだろうか?まっとうな感覚を持っているのなら、票を入れてくれるであろう対象者の耳に心地よい政策を唱えるだろう。

 

じゃあ大切なのは、投票者がどの層に、どれだけいるかという事になる。以下は国が発表している年代別投票行為調査結果だ。

 

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これを見ると、20代~30代の投票率が著しく低く、50代~60代の投票率が著しく高い事がわかる。となると、投票率が高い50代~60代に都合のよい政策を打ち出している人が当選率が高いであろう事は想像に難くないだろう。

 

いくら若者の事を考えてくれる政治家がいようが、当選しなかったらただの無職の人でしかない。政治家は、当選しなけりゃ何もできない。理想だけでメシが食えるほど、この世の中は甘くはない。自分を支持してくれる人がいるからこその政治家である。

 

じゃあ当然、支持してくれる人の為に活動するだろう。それが政治家ってものである(ここであなたは、それならば嘘をついて政治家になればいいじゃないかと言うかもしれない。だがそれはかなわない夢である。もし仮に当選できたとしても、当選後に嘘をついて支持者の意思に背いた活動を行ったら、任期後に再選できずに無職になるってだけだ。そんな自殺行為をするのはただの馬鹿だ)

 

確かに今回の選挙に限って言えば、あなたが投票に行くか行かないかは全く政局に影響を及ぼさないだろう。だけど、若者の投票率が著しく上昇したらどうだろう?

 

データによれば、潜在的には今の20~30代の投票率は3倍ぐらいは伸ばせる猶予がある。もし仮にだけど、今回の参議院選20~30代の投票率が90%を超えたら、どこの政党も真剣に若年層の為の政策を打ち出すことを検討せざるをえなくなる。

 

ここまできたら馬鹿でもわかると思うのだが、投票しなくちゃいけない理由は極めてシンプルだ。年代別投票行為調査結果のグラフの構成比率を変える事こそが、僕達が選挙に行かなくちゃいけない理由に他ならない。

 

よく「いい政治家がいない」なんていう人がいるが、それは僕らの世代が投票にいかないから現れないだけの話である。万人にいい政治家など存在しない。いるのは「自分にとって都合のいい」政治家だ。そういう人が生まれる土壌を育てるためにも、僕たちは投票率をあげなくてはいけない。

 

なお誰に投票すればいいかについてだが、基本的には投票にいかなくちゃいけない理由と同じ原則に則って、自分と同年代の人に投票するのがズブの素人の最適解になる。当たり前だけど政治家とはいえ人の子だから、自分の命が一番かわいい。自分の世代を悲惨な目に合わせるような政策を支持する可能性は低いと考えるべきだろう(当然というか、若年者であれ変な宗教法人がやってる普通じゃない政党には投票してはいけない)

 

つまりあなたが若年者ならば、選挙に行って出来る限り若い政治家候補に票を入れる事が非常に重要なのだ。社会が豊かならばともかく、現在のような低成長社会において、税金がどの年代にむけて配分されるかは非常に重要だ。未来の自分の利益の為にも、選挙には行こう。わりとマジに、大切なことだから。

 

<追記>

ほんの少しでも政治に興味を持ったのならば、まずは保守(個人よりも集団に重きを置く考え)とリバタリアン・リベラル(集団よりも個人に重きを置く考え)についての知識をみにつけるのが一番よい。基本的には政治はこの枠組で決まるからだ。勉強するのなら、以下の書物が一番良い。

 

 

とある人が語った「宇宙人を見つける意味」と、他人の人生録を読む事のススメ

地球外生命体についての探索に熱心に取り組んでいる人達がいる。ほとんどの人がそうだとおもうのだが、僕もかつては何十億、何兆もの大金を使って宇宙に夢を見る人達の気持ちがさっぱりわからなかった。

 

彼らは何故宇宙に過度に夢をみるのだろうか?地球外生命体探索の第一人者である鳴沢真也さんは、その理由を以下のように述べている。

 

「地球外の知的生命体に出会う事で、初めて私達地球人というものがどういうものなのかを相対的に理解することができるからである」

 

宇宙人の探し方 地球外知的生命探査の科学とロマン

宇宙人の探し方 地球外知的生命探査の科学とロマン

 

 

僕はそれまでそのような発想はなかったので、この本を読んで「なるほど。確かに自分をキチンと知る手立ての1つとして、他の生態系から来た知的生命体と会話する事は意義があることかもしれない」と随分と感心したのを覚えている。

 

ただまあ残念ながら地球外生命体は今までの歴史上では観察されていない。今日はそんなあなたに、今からできる自分の人生を相対的にみるのに役立つ、人生ウォッチのススメについて書いていこうと思う。

 

他人の人生観察は最高に面白い。それが面白い人ならばなおのことだ。

僕は他人の人生録を読むのが大好きだ。人の人生には夢がある。

 

自分の人生がどういう風になるのかについて考えるのに”比較すべき対象”は絶対に必要だ。成功者が何故成功し、失敗した人が何故失敗したのかを類推するには、事例から学ぶしかない。時代背景、その人のポテンシャル、生育環境などなど。様々なパラメータを推測しながら人の人生を分析する事は大変楽しいし、また自分の人生の指針についての参考にもなる。

 

それに付け加え、他人の人生録を読む事であなたは”他人の人生”を追体験する事もできる。あなたは孫正義にも堀江貴文にもなることは不可能だが、彼らの自伝を通じて彼らの破天荒な人生を疑似体験する事が可能だ。

 

例えば日本にはこんなにとてつもない人生を送っている人がいる。

 

①高知の片田舎で芸術家として名を成そうと一念発起して東京の美大に進学。

 

②周囲の圧倒的な才能を前に挫折。マトモな方法では勝てないと判断し、エロ雑誌に自分の漫画を売り込みに行く。そしてエロコラムの隣に1コマ漫画を書く仕事から職歴をスタート。この活動をきっかけに漫画家になる。

 

③その後、漫画のネタの為に初めた博打にどっぷりハマり込んで身を持ち崩す。そして戦場カメラマンかつアルコール依存症の旦那と出会い結婚。波乱万丈の結婚生活を送り、旦那と死別。

 

④現在は元ファンであり、その事をキッカケに知り合った日本で最も成功した美容外科医と交際中。

 

わかる人はわかるだろう。西原理恵子さんだ。

 

普通の人は絶対にこんな人生をおくれない。だけど創作物を通じて、その人の人生を追体験する事が可能だ。こんなに最高のエンターテイメント、他にはない。

 

人生ウォッチの最大のメリットはエンターテイメント性だけではなく、あなた自身について客観的にみることができる視点の獲得に他ならない。書物や映画を通じて、複数の他人の人生を追体験することで、あなたの中に人生でやるべき事が何かがぼんやりと浮かんでくるようになる。比較対象が多岐にわたればわたるほど、今度はあなた自身の事が客観的にみれるようになってくる。

 

自分自身を知るために、地球外生命体なんていう難しい存在を比較対象に用いる必要などない。私たちは他人の人生を手がかりに自分を類推する事ができる。”他人”は最高の教材である。

 

人生ウォッチのススメと、人生録執筆のススメ

この記事をきっかけに是非あなたも人生ウォッチを趣味に取り入れて欲しい。書物や映像を通じて、沢山の人の生き方に触れる事は、あなたの人生に奥行きをもたらすだろう。

 

そしてある程度読み込んだら、あなたの人生について是非記事にしてみて欲しい。普通の人の人生が読める事こそが、ブログの醍醐味だと思うからだ。

 

どんな「人生」も、味わい深いものである。

君は紫原明子という巨人の人生録を読まずに死ねるのか~家族無計画・書評~

紫原明子と聞いてピンとくる人は少ないかもしれない。まあ端的に言うと、ちょっと前に東京都知事選で泡沫候補として戦った家入一真氏の元・妻である。その方の初の書籍がつい先日出版された。

 

前から真摯なファンだった僕は発売日当日に買い、当日に読み終わったのだけど、あまりにも素晴らしい本だったので今日は書評を書くことにする。

 

家族無計画

家族無計画

 

 

 

僕が初めて明子さんの存在を知ったのは、元夫の家入一真氏の出版した人生録を読んでからだ。現在は家入氏というとインターネットの人というイメージが強いが、自伝を読めばわかるが当初はそりゃもお悲惨なスタートである。

 

ひきこもり、コミュ障、高校中退、せっかく見つけた就職先でも問題を起こして辞職・・・どう考えてもとてもこんな人が億万長者になれるはずないというスタート地点からの立身出世話は、申し訳ないけど最高のエンターテイメントだ。

 

そんな随分と個性的な家入一真氏が主人公のこの本の中で、明子さんは家入一真氏以上にユニークな存在として書かれている。高校在学中に21歳の男とインターネットを通じて出会い、半年後に同棲・結婚する女の子だなんて、ちょっと悪いけど度胸ありすぎである。

 

本を読みながら、家入一真氏以上に明子さんがどんな人か気になり、現在はインターネットでライターをしているという事を知った僕は、その後熱心に明子さんの文章を読み込むファンとなった。

 

先に紹介した家入一真氏の自伝では作者本人が書いているだけあって、家入一真氏がカッコ良く描かれている。あの本を読むと家入一真氏は、家族おもいなナイスガイだという風に読める。

 

しかしその後でこの本を読むと、物事はそう単純でもなさそうだという事が書かれていて、これまた非常に申し訳ないのだけど非常に笑える。詳しいことは本書を読んで欲しいので書かないけど、時代とお金の力は一人の人間を簡単に変えてしまうという事がよくわかり、大変興味深かった。

 

実はかつても似たような事例はあった。囲碁の伝説の名手・藤沢秀行氏は愛人4人、子供19人を持ち、アルコール依存症ギャンブル依存症を持ち、多額の借金を抱えるという昭和を感じさせる破天荒な人物であった。家入一真氏に負けず劣らず破綻した人生を歩んだものの一人だ(興味ある人はウィキペディアでも読むといい。面白いから)

 

この人の人生録は非常に面白く、度々テレビなどでも放映されていたのだけど、この方も著書の中では「家族には苦労をかけたけど、囲碁で稼いだ賞金でなんとか自分が養った」という点を度々強調されていた。まあ実際は真っ赤なウソであり、そのことを妻である藤沢モトさんに後で本の中で暴露されているのだがw

 

 

 

この藤沢秀行氏の例に限らず、破天荒な人生を送っている人は家族に迷惑はかけたが、キチンと自分が養っているという点を非常に強調する傾向があるのだけど何でなんだろう?家族をかえりみないという事を認めると本が出版できない規定でもあるのだろうか。

 

まあそんなわけで、僕はこの本を「本に書かれている事は必ずしも真実ばかりではない」という当たり前すぎる事実を学ぶという事を含めて大変な名著だと思うのだ。そういうわけで(明子さんは嫌がるかもしれないけど)やっぱり元夫・の家入一真氏の自伝とセットで読むのが味わい深いと思う。

 

なお本書には明子さんの人生録以外にも、学歴も職歴もない明子さんが家族を養うために一から仕事を獲得する生存戦略や、出産の大変さなどが非常に面白く書かれており、全体を通して非常に濃密な一冊に仕上がっている。どんな人が読んでも楽しめる事請け合いだ。

 

あと最後に・・・明子さん、本書では謙遜されているけど・・・裏では絶対モテてるでしょ(笑)