「毒親育ちや激務上がり等の抑圧された環境にいた人」にハイスペが多い理由について
僕は一時期、禅や仏教のいうところの「悟る」という事について強い憧れを抱いていた。
今では個人的な様々な経験と知見により、悟りがどういう事なのかわかっている。
実は現実社会ではみんなが知らないだけで悟り一歩手前に近いような事をやっている人は結構いる。端的に言い切ってしまうと、
古くから人は苦しみを抱えてきてきた。
驚くことに、
このような生命を受けた人としての苦しみから逃れたいというのが仏教をはじめと
苦行は
今は人権なんかが横行しており壮絶な修行は減ってしまったが、昔は本当に理解を超える苦行が繁栄していた。
現代に残った苦行の最高峰として有名なのが比叡山天台宗の千日回峰行だ。その修業内容は何週間も飲まず食わずで寝る時間も無しにひたすら立ちっぱなしで床に横になってはいけないだとか、何年もの間一日60キロにもおよぶ山登りを続けなくてはいけなかったりだとか、
昔から今に至るまで、ガチの苦行は命がけなのだ。さて誰もが疑問に思うと思うのだけど、なんでここまで苦しい事をするのだろうか?
そしてこれをひたすら続け、何キロもの距離を走るうちに段々と意識が先鋭化していき、
これを続けていき、このまま意識が集中して意思が消えてしまうと思うようなレベ
この別の意識は不思議なことに、
この境地に至ると、肉体として走っている自分とその行為を通して苦しみを受けている
この境地にある程度慣れ親しんでくると、不思議な事にどんな酷い事を考えようが
この認識を通して「体としての自分」と「
精神・肉体的な苦痛を感じている自分と、体としての自分が異なる存在であるという事を理解できると、いい意味でも悪い意味でも苦しみから逃れることができる。これが苦行を通じて得られるものなのである。
僕がこのような苦行の仕組みを理解した時すごく驚いたのは、
劇詰めを受けている部下は、劇詰めを受けている最中に「
風俗嬢なんかも客の性器を舐めている最中、「
実はこういった行為は非常に危険性をはらんでいる。アダルトチルドレンなんかをみればわかりやすいのだけ
この状態が続くと、
紀元前のブッダ以前の頃は、こういった「肉体としての自分」と「精神世界としての自分」を相対化できるレベルを更に先にすすめて、今度は肉体的苦痛無しに現実世界よりも精神世界ののユートピアへと意識をシフトできる事をを悟りと言っていた。
簡単にいえばブッダ以前の悟りとは、現実への認識から脳内が作りだす幻想社会へ生きる時間へのシフトを増やす事だったのである。
この事ができるようになると、現実世界に生きながら夢の世界に意識をもっていけるようになり、段々と現実と夢の世界の区別がつかなくなっていき、最後は現実に帰ってこれる時間のほうが少なくなる。
あの頃の悟った人とは、完全に逝ってしまった人と同義なのである。少し前の事なんだけどこういう人を僕は見たことがある。インドの安宿の事なんだけど、そこでヘロインをしている人をみた時その人の顔は本当にすがすがしかった。
人がすべてから解放されたときの顔というのはこんなに開放感あふれたトロリとし
何で昔の人が悟りを解脱といっていたかというと、苦行を通じて現実社会とは別の次元に意識を持っていくことに成功した人は一切の苦しみから逃れる事に成功した反動で、今度は現実社会から旅立ってしまい、まるでアル中や麻薬中毒やボケ老人のように、二度と意識をこちらの世界に戻すことがなかったのである。
それをみて昔の人は「この方は現世から解脱して涅槃の世界へ飛び立った」と言っていたのであるが、正直これは精神が崩壊してしまったか完全に認知症になってしまった人と同義であり、よくも悪くも自意識の自殺の世界だったのである。
ブッダが凄いのはここからで、なんと彼は自意識を殺した現実世界から飛びだった後にまだ自分の意思でこの世に戻ってきたのである。
これは本当に当時としては画期的な事で、このイノベーションによりブッダ以降の仏教や禅の真理と言われているレベルでの悟りとは「現実世界から天国へ旅立つこと」ではなく、「この世から旅だった後に再度この世に舞い戻る事を選択した事」となった。
これが悟りの本質であり、ようはブッダ以降の悟りを得た人とは、この世の一切の苦を逃れられる選択肢を持ったにもかかわらず、あえて現世に舞い戻る事を選択した人なのである。
これは当時としては本当に凄い事であった。あなたが仮に失うものがなく、今後快楽だけの天国しか無い世界へのチケットを手にしたとして、システム上苦しみがあるこの世への帰り道を示唆されたとしたら、この世に舞い戻る事ができるだろうか。僕は、たぶんできない。
当時の人々が仏陀の声に耳を傾けたのは、誰もが行きたくても行けないう涅槃の世界から舞い戻ってくるという選択をした、超越者が目の前にいたからであり、当然のごとくその言葉一つ一つが各人の胸を穿つような魂から絞り出された言葉だったのである。そんな人が目の前にいたら誰だって頭を下げる。少くとも僕は下げる。
さて表題に戻ろう。毒親育ち等の抑圧された環境にいた人の99%は現実認識能力を失っている。辛くて辛くて仕方がない現実から、空想の世界へと生きる素晴らしさを体得してしまった人は、基本的にはもう二度とこの世にキチンとコミットできなくなる。
だってこの世には四苦八苦しかないのだ。自分が創りだした二度と傷つかない夢の世界へと旅立てる切符をもった人に「きちんと現実に向き合え」なんていっても、全然言葉は心に届かないだろう。少くとも99%の人はそうだ。
そして空想世界へと生きることを選択しつつある人へと向き合ってくれう人は、よくも悪くも、体やカネ目当てのヤリチンや詐欺師であり、またこういった人を通して現実へのつながりを捨てきれないメンヘラ・アダルトチルドレンが騙され裏切られ、再びこの世に絶望するのである。
メンヘラはこれを繰り返し繰り返し、どんどんと現実社会から離れていき、だんだんキチンとコミットできなくなっていく人が本当に多い。こういった人には普通の言葉は届かない。だって、救ってくれるかもしれない人の言葉は全部嘘なんだから。
しかし本当に少なく本当に時々なんだけど、その自意識でしか成立していない精神世界からキチンと現世へとおりられる人がいる。これは本当に凄いことで、紀元前のレベルでいえばブッダと同じレベルの事をやっている人なのである。
こういった人は、もちろん全員が全員聖人君子ではない。一旦現世におりられたとはいえ、何らかのあやうい均衡上にいる人も多い。だけどこういう人は、様々な事に深く傷つき人の世の醜さを誰よりも知っている人でありつつ現世へと舞い戻る事を選択できた強靭な精神力の持ち主であり、本当にすごい人が多い。
あの世(精神世界)という天国から、この世(肉体世界)という地獄へと降りる事を選択できた人なのである。並大抵の精神ではないのだ。
僕は思う。毒親とか、アダルトチルドレンだとか、上司に激詰めを行われ精神を病みかけた人とか、風俗嬢をやっていた人とか、いじめを耐えぬいた後に現実世界で活躍されている人は、本当に凄いなぁと。
この方々は、生を受けた時から昔で言うところの苦行だとか千日回峰行と同レベルの修行を幼い精神の頃から行い、そして耐え抜いてきた人なんだな、と。
そしてそういう人が活躍できる余裕がある今の世界の素晴らしさに喜びを思い、自分のような苦労をしていない人間がその恩恵を受けられる社会の素晴らしさを感じ、人類の歴史が一歩一歩成長している事に感謝するのである。