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珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

食べても食べても太らない二郎風ラーメンの作り方

世の減量に取り組む皆様、おはようございます。

 

ダイエット、つらいですよね。まあ空腹とかは慣れると水をたらふく飲むとかで何とか対処可能なんですけど、個人的にどうしてもキッツイのがマックとか二郎とかのジャンクフードが突発的に食べたくなるあの渇望感ですね。

 

ところで最近、糖質制限ダイエットの一環でスーパーに売ってるこんにゃく麺をいくつか試してみてるんですけど、これが意外と美味しいんですよ。 今回はこれを使って手軽に二郎風ラーメンを作ってジャンクフードへの渇望感を満たす方法について書いていきます。

 

用意するもの

1.こんにゃく麺が使用された醤油ラーメン

ヨコオデイリーフーズ こんにゃくラーメン醤油140g×12個

ヨコオデイリーフーズ こんにゃくラーメン醤油140g×12個

 

2.もやし

3.ニンニク

 

 

まあ全部で200円もあれば十分じゃないでしょうか?

 

作り方は簡単。

1.鍋にお湯を沸かして、その中にもやしを入れてある程度湯がきます。

2.こんにゃく麺のラーメンを袋に書いてある作り方より若干お湯少なめで作ります。

3.作ったラーメンに湯がいたモヤシを乗っけて、その上に刻んだ生ニンニクを散らします。

 

これで二郎”風”のダイエットラーメンは完成です(どうしても豚が欲しい人は市販の叉焼でもいれて代用しましょう)

 

えっ?こんなんであの次郎の味ができるの?と思う人も多いかもしれませんけど、個人的に次郎のあの謎の中毒性は刻んだ生ニンニクを醤油タレでモヤシとワシワシ食べる事にあると思ってるので、結構これで似たような味は再現可能です(より完成度を高めたいのなら、上からカエシを入れたり、豚脂orタダで貰える牛脂をレンチンして上からかけたりとかすればできなくもないですけど、これは一応ダイエットレシピですからね・・・)

 

まあ騙されたと思って一回やってみてください。意外とイケますよ?

 

じゃ、まあ今日はそんな感じで。

サイゼリヤの経営姿勢は飲食店の理想である

数年ぶりにサイゼリヤにいってみた。食後感をはじめに申すと、ビックリするぐらい良かった。っていうか安すぎである。なんだこの値段設定。

 

もともと興味をもったのは、イナダシュンスケさんのこの記事がキッカケだ。

 

inadashunsuke.blog.fc2.com

 

サイゼリヤというと、前はミラノ風ドリアぐらいしかイメージがなく、まああれなら食べなくても良いかなと思っていた事もあり暫く脚が遠のいていた。だが上の記事がどうにもこうにも旨そうなのと、子供ができたら暫くファミレスぐらいしか行けないだろうという思いもあって本当に数年ぶりに脚を運んだ。そしたらビックリするぐらい良心的で関心してしまった。

 

ワイン250mlで200円の衝撃

飲食店の経営は難しい。目の前に同じような店があったとしたら、店先に置いてあるメニューが100円安いというだけで99%の人は安い店を選ぶだろう。

 

客足がなければ売上が成立しない。そういう事情もあって、多くの飲食店は食べ物のメニューの原価率はギリギリの利益率に設定し、売上は飲み物代で検出しようとする。

 

日本の飲食業界は他の先進諸国と比較すると驚異的なコストパフォマンスを誇っている。けど、あれは諸外国から考えると生活が成り立たないレベルの価格設定である。欧米諸国に海外旅行をした事がある人ならばわかるけど、かの国ではそのへんの軽食堂で軽く飲食するだけで平気で1500~3000円は取られる(家でメシを作らず外食をすること自体が、そもそも贅沢行為と認識されているのである。だからこの値段設定でもある程度やっていける)

 

日本人の感覚からすると「はっ?高すぎじゃね???」と思うかもしれないけど、外食産業なんて先進国に所属している人間からすれば、それぐらいは取らないと元がとれないのだ。誰が好き好んで人が仕事をしている時間帯に食材を仕入れて仕込みをし、人が休み時間の時間帯に必死で働きたいと思うだろうか?(ちょっと考えて欲しい。昼飯と夜飯の時間に働くという事がどれだけムチャクチャな労働条件なのかという事を)

 

飲食は、そういう無茶振りを他人にしているという時点で物凄い贅沢品なのである。そのくせ店頭価格で低価格で勝負せざるをえない日本の飲食業界が、どこで儲けるかといえばドリンクしかないのである。ペットボトル2L一本で200円のウーロン茶を、200ml一杯500円で売ることで初めて儲けを計上しているのが、現在飲食店の経営をギリギリ成立させているからくりなのである。

 

ここまで読んできて頭のいい人なら気がついたと思うのだけど、じゃあ消費者として最も賢い戦法は何かという事になると飲み物を頼まない事になるのである。飲み物で粗利を出しているのならば、つまるところコストパフォーマンスを最上に設定したいのならば、儲けとなっている部分を潰すのが消費者における最善の戦略となる。

 

僕は上記理由につき常時レストランで飲み物を頼むべきか否かについて頭を悩ませるのだけど、この観点からいうとサイゼリヤは本当に凄い。あのふざけた価格設定ならば、何も悩まずに飲み物をオーダーできる。

 

まずワインが一杯100円である。250mlのデキャンタでも200円だ。アルコールを飲みたくないのなら、ドリンクバー200円でも全然いい。恐らく、どちらもかなり儲けは計上できるようになんとか仕組みを整備しているとは思うのだけど、200円なら誰も文句をいわずに水じゃなくてドリンクを頼もうと思えるだろう。

 

金のない学生でも、ミラノ風ドリア+ドリンクバーぐらいは頼める。あんまし稼げない社会人でも、生ハム+エスカルゴ+ミラノ風ドリア+デキャンタ・ワインぐらいは頼める(これでも精々1000円ぐらいだ。居酒屋にいくことと比較すれば、馬鹿みたいに安い)

 

デフレ+低成長の日本において、低価格メニュー+低価格ドリンクでしっかり利益を出すことのできるサイゼリヤの経営姿勢は感謝しか無い。これが消費者心理と、飲み物代で利益を出さざるをえない、ギリギリの回答だろう。

 

サイゼリヤは実にチェーン店の鏡である(ホームページによると、サイゼリヤの営業利益はなんと90億円(同119.9%)だそうだ。それでいて、ワタミのようなムチャクチャなブラックだという話は聞いたことがない。繰り返すがサイゼリヤは飲食の鏡である)

 

こんな天使のような企業が存在している事に、心の底から感謝である。そして難しいことは百も承知でいうが、同じようなジャンルの優良企業が今後出てきてくれる事に期待したい。

 

食事は人の生きる喜びである。サイゼリヤよ、本当に、ありがとう。

 

 

 

世の中の生きにくさを外部に求めても何も解決しない

年末年始で時間があったのでフェミニズムの本を読んでいた。インターネット上であそこまで人の話を全く聞かずに他人を断罪しまくる人が多い党派の思考回路がどういうものなのか非常に興味があったからだ。

 

長々と色々書かれていたけど、その本がいわんとしていた事は以下の三段論法であった。

 

「イジメられっ子(差別される側)はイジメがある事を認識しているけど、イジメている側(差別する側)はそこにイジメがある事を認識していない」

「世の中には多くの男女差別が組み込まれている。世の男性は上の論法にただし合わせてみれば、イジメっ子側(差別する側)である。故に男女差別がある事自体を全く認識していない」

「つまり男性=イジメっ子(差別する側)である。イジメっ子(差別する側)は100%悪い。だから男性は悪である」

 

そしてこの論法を元に世の様々な男女差別を紐解いていき、世のフェミニストよ。団結せよ、といった言葉でその本は締めくくられていた。

 

読んでいて言われてみれば確かになぁという種類の差別があったのは事実だ。そういうものはちゃんと反省すべきだとは思った。

 

ただ、あげられている事例の中には「それエビデンス何にもないし、はじめっから男性が悪いありきでものが考えられてないか?」というものも結構あったし、そもそもこの三段論法を頼りに自分の人生の指針を決めていくのは非常に危ういのではないかとも思ったのも事実である。今日はその事について書こうと思う。

 

人は誰しも固有の生きにくさを持っている

この世に不満が全くないという人はかなり稀だろう。大なり小なり、人は生きにくさを含有しつつ日常生活を送っている。

 

「この生きにくさがどこに起因するのだろうか?」

 

誰しもが一度ぐらいはこう考える。ただまあ普通の人はそんなに真剣には考えずに、日々を適当に過ごすものだと思う。

 

ただごく一部の人達は、それを物凄く真剣に考えすぎてしまい、そしてその原因を男女差別だとか現政府だとかに見出してしまう。前者が一部の過激なフェミニスト団体の人達であり、後者がSEALSのような団体である。

 

この人達の思考は、上に書いた「イジメっ子=悪」という結論ありきの三段論法で構成されている事が多い。ゆえに多くの場合において、自分が虐げられたかわいそうな存在であり、自分は報われるべきだという考えが非常に強固だ。

 

だから自分にどんな理論破綻があろうが「私は虐げられたかわいそうな人→だから私は正しい」という超理論が元にあるため、対話が全くといっていいほど成立しない。これは非常に強固な自己洗脳であり、紐解くことは非常に困難である。これが一部の過激団体がなぜああも過激であり続けられるのかの理由である。

 

僕はこれは一種の呪いのようなものだと思っている。

 

人は誰しもが生きにくさを感じつつ生きている。けどそれは生そのものに伴う苦しみのようなものであり、生きるにあたって抱えていかなければならないようなものだ。少なくとも超克できるタイプのものではない。

 

実は世の中の生きにくさというものは、自分の外にあるものではない。自分の中にあるものである。自分の生きにくさの原因を正しく直視していくと、それは様々なコンプレックスが元となっている事が非常に多い。外部にある様々な社会悪(と自分が思っているもの)は、そのコンプレックスの増強剤であり、その社会悪を是正した所で自分の中にある劣等感自体は消滅しない。

 

仮にだけどフェミニストが男女同権を作ることができたり、SEALSが安倍政権を転覆させる事ができたとして、果たして彼・彼女らの生きにくさは根本的に解消されるのだろうか?僕はまず100%解消されないだろうと思う。そうなった時に彼らがどうするかというと、どうせまた次の生きにくさの原因を見つけてそれを糾弾するだけだろう。

 

繰り返しになるが、私達が生きにくいのは社会に問題があるからではない。自分の心の中に問題があるからである。そしてそれは、キチンと自分のコンプレックスを直視して、それを一個一個解決していく事でしか解決できないものである。

 

これは地味だし面倒くさいし敵が自分の中にあるから向き合う過程自体に苦痛があるのだけど、それに向き合えないままじゃ、いつまでたっても永遠に生きにくいままである。

 

私たちは世の中の格差とか差別とは適切に付き合わなくてはいけない

「けどさ、世の中に差別とか格差があるのは事実でしょ?だから差別を糾弾するのは当然の権利だと私は思うし、あなたのいうように差別がないかのように思うことはできない」

 

上記のような記述に対して、こういう意見が出てくるだろう事は想像に難くない。そしてその意見自体には僕もある程度は賛同する。

 

ただ現実問題として、このグローバルな世の中には格差も差別もメチャクチャにあふれている。私達が安くて美味しい食べ物を食べることができたり、安くてそこそこ性能がいい洋服を着れるのは、低賃金で長時間働く発展途上国の安い人件費を利用しているからだ。

 

政治的に正しい意見を元に考えれば、同一労働同一賃金の原則が善であり、発展途上国の人達は僕達と同じような賃金を貰わなくてはいけないはずだけど、そんな事を全力でOKする人は全然いないだろう(いないからこそ、格安でサービスを利用できているのだ)

 

現代のグローバル社会で豊かに生きるという事は、格差をある程度認めるという事と同義である。グローバル化が非常に先に進めば究極的には世の中はフラットになるのかもしれないけど、そんな社会は少なくともあと100年はかかるだろう。

 

世の中には様々な正義が存在する。ある一面だけを切り取って考えると簡単な正義と悪の二項対立でみれる物事も、より高次な次元に立ってみるとそんな単純なものではない。世の中には正義も悪も、沢山存在する。

 

繰り返しになるが、現代社会は完璧ではない。だからそこに問題があるというのは事実である。そしてそれをちょっとづつ良くしていかなくてはいけないもの、また事実である。だけど世の中には数多くの問題が存在しており、簡単には解決できないものばかりである。だから清濁併せ呑んで生きていくぐらいの覚悟が丁度いいのだ。

 

結局私たちはどうするべきなのか

現代社会の構造上の問題は一気に好転することはありえない。せいぜいちょっと良くしていける位が関の山である。

 

僕も僕の信じるよりよき社会の為に、ちょっとづつは社会改革に取り組んでいる。けどその社会運動は、自分の為に行うものにあらず、次世代の為に行っているものだ。少なくともその活動には自己の救済は全く求めていない。あくまで自分の生きにくさは自分固有のコンプレックスからきており、社会の悪はその増強剤であるという風に認識しているからである。

 

結局ね、勧善懲悪のわかりやすい二項対立の世界に私たちは生きることはできないんですよ。それがしたいのならば、一度ヤマギシ会のようにグローバル社会から完全に逸脱して、完全に自給自足で生活し、全ての責任を自分とその共同体の責務として負うようにしてみればいい。それをやってみればわかるけど、グローバル社会から抜け出して生きる事がどれだけ難しいかが嫌でもわかりますから。

 

だから私たちにできる社会貢献は、新しいテクノロジーを生み出したり、新しいサービスを生み出したりとかして、世の中に1つでも多くの金と雇用を生み出す事なんですよね。そんで作った余裕で快適に生きられる人間を一人でも増やすのが、何よりの豊かな社会への道ですから。

 

社会にはまだまだ余裕が足りないのです。この世界に豊かさをガンガン増やし、誰もが笑顔でいられるように、明日からみんなも頑張りましょう。

記念日の重要度が増していき、年中行事はよりハイテクノロジーに置換されていく

新年である。毎年この時期になるとイライラさせられるイベントの1つに年賀状がある。こう書いてる事からもわかる通り、僕は年賀状は出さない派だ。

 

僕は生まれたときから年賀状が嫌いだったが、かつてはどちらかというとそういう人間の方がゲスな存在だったかと思う。けど今では少なくとも若い世代からすれば年賀状を送るだなんて行為はかなりダサい行為の1つである。

 

なんでそんな事になってしまったかといえば、その最たるものとしてSNSの存在をあげることができるだろう。FaceBookとかLINEで一言「あけおめ」という方が年賀状を苦労して作る行為と比較して、ぶっちゃけクールなのである。

 

まあここまでは誰でも普通に考える事だと思うのだけど、ここで改めてまた考えてみると不思議な事が1つある。それは年賀状はクソダサいものなのにもかからわず、新年の挨拶自体は未だに形を変えて残り続けているという事である。

 

みんなも既にみたかもしれないけど、FaceBookとかLINE上では新年あけましておめでとうございますのこだわったスタンプがかなりの数、飛び交っている。つまり年賀状がいくらダサくて流行遅れだからといっても、年中行事は死なずその形を新たな場所に移してゾンビのごとく蘇るのである。

 

記念日の重要性が増してきている

キリストが死んでから2017年たった今現在、日本の世の中はクリスマスの話題でもちきりだ。その姿は大きく形を異にしているけども。

 

誰も馬小屋で生まれたキリストの話なんて一言もしておらず、恋人とイチャイチャしてたり六本木のイルミネーションをみたりと、その記念日が生まれた時とは姿かたちが完全に変わった異形のものとして、コンテンツが消費されるようになった。

 

日本人は妙に祭日が好きだ。個人的には別に元旦だろうがクリスマスだろうがバレンタインだろうがただの365日中の1日だとしか思わないのだけど、どうやら普通はそうではないらしい。

 

近年、この記念日の中で最も大きく重要度が増したのはハロウィンだろう。僕の頃なんてあって無いようなものだったハロウィンは、今では大きな大人が変なコスプレをして街中を歩くことができる一大イベントになってしまった。なんでこんな事になってしまったのだろう?

 

余暇が増えた事により、日常生活自体のエンタメ強度が上がってってる

かつてと比較して、世の中は大きく変わってきている。ほんの10年前までは携帯ゲーム、携帯電話、音楽再生プレイヤーが大流行していたけど、今はスマホ一台あればそれらは全て包括されてしまっている。

 

テクノロジーのレベルが上がるにしたがっていって、世の中での常識はどんどん入れ替わっている。基本的には技術レベルが向上すればするほど、世の中には余裕が生まれていく。

 

余裕が生まれるという事は、≒暇になるという事だ。人は退屈に耐えられる存在ではないので、短時間でできるそこそこ面白い暇つぶし行為に需要が生まれる。

 

現代人は結構忙しい。スマホゲーをやりながらYou tubeをみて、LINEで友達とスタンプを送り合っている。別に誰でもできる普通の行為だけど、仮にこれを江戸時代の人がみたら極めて驚愕するだろうことは想像するに難しくない。

 

かつての江戸時代の人々と比較すれば、我々の日常生活(=ケの日)はどこからどうみてもハレの日そのものである。つまり現代人の日常は、ホモ・サピエンスが誕生した時から考えれば毎日ハレの日を経験しているのと殆ど等しいものだとも言える。

 

日常生活そのものがハレの日クラスのエンタメ度を持っているのだから、本来ハレの日であるはずの元旦だとかバレンタインデーだとかクリスマスのような日はそれよりも持っとエンタメ度を高めなくてはいけない。というかそうでもしないと、より楽しめる日常がどこにもなくなってしまうのだ。

 

おそらくこれが、近年記念日が妙に重要視される理由の1つなのだ。SNS等で今日が記念日だという事が周囲に周知される事がこれにさらに拍車をかける。

 

こうして記念日の重要度がどんどん増していき、従来の年中行事はより高度なテクノロジーが使用されたクールなものへと置き換えられていく。年賀状の次に破壊される年中行事はいったい何であり、AI・VR時代のバレンタインデーやクリスマスはいったいどんなものになってしまうのだろうか?僕は今からわくわくが止まらない。

 

いやはや。新年早々楽しい事態になりそうである。

孤独に打ちしひ枯れている全ての人へ

新年があけた。去年はいろいろあったとは思うけど、みなさまも気分を一新して各々自己啓発に努めて欲しい。さて新年一発目のブログだし、為になりそうな話をしようかと思う。テーマは友達の作り方にでもしようか。

 

なんとなくだけど、このブログを読んでいる人に結構多いんじゃないかと思うタイプの人達として、忘年会にも呼ばれず年末年始を1人で過ごした人だとか、年賀状なんて一枚もこない人なんかが結構多いんじゃないかと思っている。まあ僕がそういう人間だったから、きっと君もそんな感じだろう。

 

僕も今年で31になるのだけど、今までの人生を振り返ってみると大学卒業まではそれはもう孤独にまみれた人生だった。友達はいない。だから趣味は共有できない。まわりの人間はつまらない。まあそういう独りよがりな人生だった。

 

僭越ながら同種のタイプの人間を代表させてもらい一言わせてもらうと、まあ君たちのようなタイプの人間はしばらくずっと孤独である。30年ぐらい孤独やってきた人間がいんだからまず間違いはない。っていうかある日突然友達ができて、身の回りの人達から慕われるような事なんてあるはずがないに決まってるじゃないか。それって今までの人生と180度も方向性が違うんだから。

 

そんな孤独にまみれた君達に出来ることはたった一つだけだ。もっともっと孤独をこじらせて、文章なり絵なりなんでもいいから、それに姿かたちを惑わせて世界に発表しつづける。それをもうひたすらエベレストに登頂するような絶望的に終わりない旅に挑むような気持ちでやってって欲しい。

 

はっきりいうけど、この旅の終わりは初めた頃は全然みえない。「いつ終わるんですか」って聞かれても「そんな事聞いてるようじゃまだ終わらんよ」としかいいようがない。君はふざけるなと憤るかもしれないけど、まあ世の中なんてそんなもんである。っていうかそんなに簡単に孤独に勝てると思うなよ?孤独、くっそ強えーから。

 

けどそれを延々と続けていくと、180度が179度になって、179度が178度になって、ある日突然角度がカコーンと変わるときがくる。気がつくと君の周りにはびっくりするぐらい友達がいる。ひょっとしたら人生の伴侶もいるかもしれない。

 

君はいうだろう「一体何が起きたんだ!?」ってね。

 

僕はいう「おめでとう。それが始まりだよ」とね。

 

あけましておめでとうございます。今年は是非とも雨垂れ石を穿つような1年でありますよう、心より同士をお慕い申し上げます。

 

高須賀 拝

来年から有料メルマガで飲食関連の事を好き勝手書くプラットフォームを立ち上げます

僕は食べログを読むのが相当好きだ。いろんな人が飲食店についてあれこれ書いているのを読んで、それを分析する事に無上の喜びを感じる。

 

かなり食べることを偏愛しているという事もあって好きなレストランとかについてあれこれ書きたいという気持ちは物凄くあるのだけど、それと同時に自分の好きなレストランについての情報を無料でWeb上に発信するという行為がどうしてもできないというジレンマがあった(好き勝手いろいろ書くことで良くも悪くも店に迷惑がかかるんじゃないかとか、べた褒めした店が予約が取りにくくなったら嫌だなぁとか、まあそんな感じの理由だ)

 

ブログを書くのが好きだという事もあって、文字を書きたい欲がそれなりにあるという状態にもかかわらず、上記理由につき本当に好きなレストランとか飲食関連についての記事を書けないというジレンマがどうしようもなくつきまとっていて、本当になーどうしたもんかなーと思っていたのけど、有料メルマガ(たぶんnoteでやる予定)でやりゃ全部解決じゃんという結論に至り、そんなこんなではじめてみようかなと思っている。

 

内容としては、もう本当に好き勝手飲食関連について書きまくるだけのメルマガになる予定だ(月額300円とか)。美味しいお店は知性をもってトコトン褒めるし、クソ不味い店については真心をもって批判する。ときにはマクドナルドとかラーメンのようなB級グルメについて書くこともあるかもしれないし、自炊について書くこともあるかもしれないし、自宅とかワイン会で飲んだ美味しいワインについてあれこれ書いたりもするだろう。

 

ベースとしては毎月行ったレストランについての批評が基本情報になるつもりだけど、そのレストランがどうだという情報以上に飲食について参考になりそうな事を本当に制限を外して好き勝手書くだけのものである。

 

有料プラットフォームの利点を利用して、ブログとかTwitterには書きにくそうな事もガンガン書いてくし、今まで隠してきたレストランについての情報とかも書く事もできるかな、と思っている。メッセージを貰えるのならば、どこそこのレストランにいってみてくださいみたいな要求にもできるかぎり答えようかな、とも思っている。会員がそれなりに集まったら、食事会を開いてみたりとか面白そうな事もいつかできたらいいな、なんて思ってもいる。

 

まあ色々書いたけど、とりあえず始めることが一番大切だと思うので、新年度から上記のようなプラットフォームを開設する。メシがむっちゃ好きだという人、飲食について勉強したい人、とりあえずメシが好きな人にはそれなりに意義のありそうなものを提供する事を心がけていきたいなと思っている。

 

それではみなさん。良いお年を(といいつつまだブログ書くかもしれないけど)

スペイン・マドリードのおすすめワインショップ

せっかくスペイン旅行いくんだからスペインのワインをしこたま買い込もうと意気込んだのですが、日本語の情報がぜんぜん無くて苦労しました。色々調べて4つのお店をはしごしたのですが、うち2つなかなか良いお店を見つけたので紹介します。

 

1.Licores Lafuente

https://www.google.co.jp/maps/place/Licores+Lafuente/@40.431035,-3.699062,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x58f92ddde88168d4?sa=X&ved=0ahUKEwj5roCKo47RAhVCGZQKHdcHAzkQ_BIIeDAK

 

スペインワインが結構良い値付けで置いてある。店内を散策した感じでは、一番高いのでウニコのグランレゼルバが260ユーロ(3万2千円ぐらい。日本で買うと4~5万はするからかなり安い)

 

スペインではTAX Freeショップで90ユーロ以上の買い物をすると免税手続きが取れるのですが、このお店は加盟していないみたいで免税手続きはとれませんでした。残念(お店の人が英語を喋れずこちらの意図をキチンと説明できなかったので、ひょっとしたらできるのかもしれません)

 

2.Lavinia

https://www.google.co.jp/maps/place/Lavinia/@40.4302083,-3.6843632,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xc9e9f836e3895249!8m2!3d40.4302083!4d-3.6843632

 

日本で言うところのエノテカのような超有名店。支店がいくつかあるが、マドリードにあるのは本店。スペインに限らず、ヨーロッパの主要産地のワインをほぼ全て扱っている。

 

小奇麗なお店だしどうせ高くてつまらないワインが多いんだろうと全く期待せずに出かけたのですが、予想を遥かに裏切って置いてあるワインはメチャクチャに良かったです。

 

ワインのラインナップですが、例えばイタリアならラディコンのリボッラ・ジャッラが49ユーロ、ルチアーノ・サンドローネのバルバレスコが29ユーロ、フランク・コーネリッセンのコンタディーノも26ユーロ程度と非常に良心的。

 

フランスワインもブルゴーニュの有名生産者のものが良心的な値付けでゴロゴロ置いてあります。僕はここで日本なら一瞬で売り切れる某有名生産者のワインを4本も買い込んでしまいました(日本で買うよりも安かった)

 

またこちらでは有料テイスティングコーナーも設置されており、カウンターでカードを買って自分の飲みたいワインを選んで楽しむこともできます。かつてはウニコとかも置いてあったそうですが、自分がいった時はありませんでした。

 

なおこちらはタックスフリーの加盟店ですので、置いてあるワインは実質13%引きで購入できます。ワインを買う時に、パスポートを提示すると免税のための書類を作ってもらえますので、そちらを空港に持っていきましょう。免税手続きの詳しいことは適当にググって各自調べてください。

 

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マドリードでワインを買うなら、上記2店がオススメ。他にいい場所があったら、コメントとかで教えてくれると嬉しいです。