珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

これからの方向性について

忙しいからとかキチンとした形で記事を書けないとか、なんとでも理由をつけて記事を書かなくなってしまいがちなので、これからはチラシの裏のような形でもいいから、とにかくできるだけ毎日何かを書こうかと思う。

そもそも昔はページビューを稼ぐとかそういう事を意識しなかったからか、なんでも結構楽しんで色々書いていたような気がする。そういう頃の日記を見返すと結構面白い。もちろん人にむけてわかりやすく書いたわけじゃないので、一概にそれがよいのかどうかはわからないけども。とにかく質より量、他人より自分のために記事を書く。あとで読み返して自分で自分を分析するためにもね。

 

というわけで今日はこれまでとこれからの自分の労働について綴ろう。

 

去年から暗中模索ながらも医師として働いてきたりして、やっとというかそろそろ研修生活も終わり専門課程への道へと飛び出す時期にやってきた。

昔は自分だったらもっと上手くやれるだとか、頭が悪くても要領が悪くても手さえ動かせばいいというスタイルが格好良く見えて脳外科を目指していたけども、いくつかの理由で進路変更をしようと思うようになった。

一つには日本の医者の給与制度の問題について。

結局この資本主義の世の中、雇用される側は働けば働くだけ損なようにできていきている。

仕事はやりがいだとか、金にこだわるなだとか採用側は手を変え品を変え色々といってくるのだけど、結局自分の時間という関数を、労働という方程式に代入してはじき出された結果が病院の売上と患者からの感謝、そしてわずかながらの自分の給与、という3つの結果として現れるという現実を目にしてみると、現代社会で脳外科のようなハードワークに身をおくことの利点が正直な所ほとんど見えなくなってきてしまった。

ご存知の通り日本の医者は基本的に診療科ごとに給与の違いはあまり現れない。厳密な事をいえばアルバイトを通じて多少の給与の差は出てくるのだけど、そんなのも微々たるものである。

片手間でクソ適当な診療をしても、キチンとした診療をしても給与は一緒だ。風邪薬を処方するだけの医者も手術をする医者も給与は一緒だ。こんなのは馬鹿げているではないか。

若者が楽な道に逃げるとキツイ診療科の医者はなげくが、そんな事いってQOLを求める若者を叩く暇があったらハードワーカーの給与を上げるような政治運動を起こすべきだろう。手術一件ごとにいくらプラスで査定するだとかやりようはいくらでもある。

申し訳ないが自分は環境も整備されてない使い潰されるだけの職場にいって精神の高潔さとかそんなよくわからないアウトカムにやりがいを感じるような人間ではないし、これからわざわざ自分のためにもならない政治運動に身を投じるような気も起きない。

だいたい脳神経外科として身を粉にして潰れるように働いても誰がよろこぶかといえば、雇用する側と国と患者である。この図式を考えると残念ながら自分のモチベーションは全くもって保てない。

雇用者のことなんて好きでもなんでもないし、国には感謝はしているが命を捨てるぐらいの愛国心も別にない。というか自分が国に費やした時間で自分のまわりの大切な人が不幸になったら本末転倒である。そして自分は患者様のことなんてそんなに好きじゃない。感謝されても、ああとは思うがその程度だ。逆に何度も説明してもわからない人や、面倒くさい人にあたった時の精神的消耗を考えると、感謝なんて全然割にあわない。

この仕事をしてからというものの、本当にPHSというものが嫌いになった。この気持は医者をやれば誰でもわかると思う。夜中に寝ていても、昼間にご飯を食べていても、患者さんのために治療方針を練っていても、何をしているときでもあのピピピピという音がなるとイラッとくる。仕方がないことだろいうのは重々承知しているのだが、入院患者を受け持つということは本当にストレスがたまる。こんな生活を死ぬまで続ける気持ちになんて全然なれない。

やはり神田さんがおっしゃるように、やりたいことの中にではなくなりたくないことの外にやりたい事があるのだ。自分は医師としては立ち去り型サボタージュの道を歩むことになるが、自分なりの形で社会には貢献していく。それでいいじゃないか。

まあ多分来年も違う形ではありつつも激烈に働くのだけどね。