珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

走ることと武道・・・あるいはk-1と相撲

最近ランニングを生活に取り入れた。

おおよそ三キロぐらい走っているんだけど、前頭葉に溜まったゴミがスルスル取れていく感覚と、坐禅を組んで無の境地に達する感覚に近いものを感じるので、物凄く面白い。

こういう競技といったものは先人が技術というものを残していってくれてる事が多くて、それを学ぶのがまた楽しいのだけど、ランニングの専門書を読んで驚いたのは、腰を高くしましょうって記述だった。

僕は結構武道を真面目に取り組んできたんだけど、武道では腰を落とせという指導をかなり受けた(何故か?を随分いろいろな人に聞いてまわったんだけど、誰も答えらてくれなくて悲しかったのを覚えている)

武道でも強い人で腰が高い人(剣道家は腰が高い人が多い。居合の人は概して低い)もいれば、相撲取りみたいに限界まで低い人もいる。中国拳法はこれの丁度中間で、ボクシングにいたっては腰なんて浮きまくり。

ああ文化やな、とか思っていたのですが、これは動かなくていい人と、動かなくてはいけない人の差なんだな、というのが恐らく解答だと思う。

力の出し方は色々あって、腰を落とすやり方はコンパスを動かすやり方に似ている。つまり、支点が必要なのです。逆に、腰が高いやり方だと、地面に足を落下させて生じた力を、前進力に変換する技術が要求されたりする。まあ、どの競技であれ、どっちもある程度は使ってるんだけどね(割合の違い)

力を出すという作業も目的が違えば方法も変わるもので、日本人は寝床を襲われたり、狭い城の中で戦うことを余儀なくされてたりしたから、腰を落とす文化が発展したんだろうけど、西洋人はそんなことなかったんでしょう。てか戦国時代でも、足軽の人たちはみんな腰高いしね。

このことに気がついて、一番初めに悲しくなったのは、K-1の曙選手。完全に違う文化である程度、最高峰を極めてしまった彼は、腰を落とす作業の極地、コンパスぶんぶんマスターから腰を浮かす職業への転身が随分大変だったに違いない。

ルールが変われば最強であるための方法も変わる。

相撲とK-1どっちが強いなんてナンセンスなんだよな・・・・