珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

「なんで勉強なんてしないといけないの?」という問いに対する僕の暫定的回答

前回、頭をつかうのはそれ自体、メチャクチャ楽しいという事を書いた。なぜ人は恋愛に没頭するのか。それは思考をフル回転させて脳みそを酷使すると、脳内麻薬がドバドバでるからだ。

 

「あんな思わせぶりな素振りして。私の事好きなのかな。それとも友達としか思われていないのかな?」

 

こういう一概に答えがでにくい命題が脳は大好物だ。あーでもない。こーでもない。どんどん妄想に没頭して世界の中心で愛を叫んでる時の高揚感。誰だって一度は体験した事があるだろう。

 

頭をつかうのはムチャクチャ面白い。だけど正しく使わないと、いつまでたっても同じ場所をグルグル回る事になる。はじめに言っておくと、僕の「何で勉強しなきゃいけないの?」という問いに対する回答は「無駄な事に時間を使わないで、本当に大切な事に思考する時間を割くため」である。今日はそのことについて記述しよう。

 

車輪の再発明

世の中には多くの考えるべきための命題がある。しかしそれと同時に、答えが既に出ている命題もたくさんある。

 

例えば、未開の地にいる大天才が「なんでりんごは地面に落ちるのか?」という事を真剣に考えたとする。彼は10年もの歳月をかけてその理論を解明することに成功した。そして誇らしげに我々にその偉業を説明したとする。

 

僕たちはこれを聞いても全然関心しない。だって既に大昔、ニュートン万有引力の法則を確立している事を知っているから。

 

どんな大天才だろうが知識なしに一から考えられる事なんてたかが知れている。先のようなエピソードは車輪の再発明と呼ばれており、IT関連では結構有名な話だ。*1

 

世の中には 同じ所をぐるぐる回っている人達がたくさんいる。

先の未開の地にいる大天才の話を馬鹿だと思う人は結構いるんじゃないかと思うんだけど、世の中にはこれと似たような事をしている人が沢山いる。

 

例えば多くの人と一夜限りの生活をひたすら続ける事と、結婚して安定的な家庭を持つ事。このどちらが幸せかについて、ネット上では未だに喧々諤々の議論がなされている。実はこれについては既に結論が出ているのをあなたはご存知だろうか?

 

基本的に男性は自分の遺伝子を沢山残したいという生まれながらの欲求がある。ゆえに多くの男性は選べるのならばヤリチンスタイルを踏襲したいと考えている。子育てなんてする暇があるなら、せっせと種を撒き散らした方が最終的に自分の遺伝子が残せる可能性が高いからだ。男は本質的にはヤリチン気質なのである。

 

それに対して女性の場合、多くの人と交わろうが、基本的には自分の遺伝子は自分の生む子供にしか伝わらない。むしろ出産そのものが命の危機と隣合わせである。ゆえに女性の場合は、1人のパートナーとの長期的・良好な関係を望む傾向にある。パートナーにやり捨てされるのは、その後の生存競争への協力が求められない事と同義であり、ヤリチンスタイルは忌むべきものなのである。そりゃ恋愛工学徒は嫌われるよ。

 

このように遺伝子を元に考えると、同じ種でありながら全く異なった生存戦略を持つのが人間なのである。そして西暦2000年の今現在、採択されているのは基本的には女性の生存戦略に優位な婚姻制度である。

 

なんで2000年もたったのにこの制度は働き続けているのだろうか。実は長期的にみると、男性サイドが女性サイドの生存戦略に迎合する方が幸福度がはるかに高いのだ。これはゲイとレズビアンの研究から、既に証明されている。

 

男女の欲望の行き着く先

普通、つがいになるのは男性と女性という2つの異なった性を持つものである。根本的に生存戦略が異なる2つの種の中で最適戦略の優劣を問うた所で答えなんて出るはずもない。

 

だけど面白いことに、僕ら人間の中には一定数、同姓愛者が生まれる。本来ならば、出会うはずのなかった”同一の生存戦略を採択するもの同士”のカップルが生まれるのである。

 

そしてある社会学者はこのような疑問を抱いた。「ゲイのカップルとレズビアンのカップルは、最終的にはどちらが社会的な幸福度は高いのだろう?」

 

結果はどうだったかって?数多くのパートナーと一夜限りの関係を持つゲイのカップルは老後は長期的な関係を作れるパートナーを作る事が難しく、多くのゲイは家族を形成することができずに老年期には寂しく1人で過ごしていた事が多かった。

 

対してレズビアンのカップルは養子を迎えたりして円満な家庭を築き上げている事が多く、老後も仲睦まじい生活をおくっていた事が多かったのである。

 

つまりヤリチンスタイルは、長期的にみれば多くの男性を幸せにしないのである。一夫一妻制は理論的にも経験則的にも男女どちらにとっても最適な生存戦略なのだ。*2

 

答えが出ている事をうだうだ考えるのは楽しいかもしれない。けど時間の無駄

インターネット上では同じような議論が数年ごとに話題にあがる。議論に参加している人の顔ぶれは多分その都度異なるとは思うのだけど、このことは人間が考える事は大体似たり寄ったりであるという事を示唆している。

 

先に書いた事も定期的に話題にあがるトピックの一つだ。これらに思考を巡らせることは凄く凄く楽しい。だけどそれは、既に学問的には決着がついている事なのである。

 

始めのエピソードに書いた、万有引力の法則を自力で見つけ出した未開の地の大天才の事をあなたは哀れに思ったかもしれない。「無駄なことをして時間を無意味に使って可哀想に。ほんの少し最新の学問に触れることができれば、そんな無駄な時間を使うこともなかっただろうに」のように。

 

だけどそんなあなたも、未開の地の大天才と似たような事を随分と行っているのである。同じ所をぐるぐるまわって、あーでもないこーでもないと言ってる人を見るたびに、僕は「あ、やべ。勉強しなくちゃ」と思うのだ。

 

既に答えが出ているような問題に時間を使うのなんて、もったいないじゃないか。せっかくこの時代に生まれたんだ。最先端を突っ走ろう。車輪の再発明するのよりも、プリウスを作り出す方が1000倍は楽しい。

 

無駄に使える時間なんて一分もない。目指すはまだ見ぬ世界の果て、である。万有引力の法則を一から見つけ出せる事は素晴らしい事なのかもしれないけど、新たな知見はそこにはない。

 

まだ同じ所をぐるぐる回って消耗しているの?

 

---参考文献---

 

 現代の最先端の知識が超わかりやすく書かれた本。ムチャクチャ面白いので必読。

*1:定義では「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を知らずに(または意図的に無視して)、同様のものを再び一から作ること」とされている。

*2:ピカソのような例外も時にはいるが、ああいう基準値を外れた人を凡人が模範にするのはあまり参考にはならない