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珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

いかにして美食家が生まれるのかについての考察

「メシマズの家庭に育った子が美食家を自称するのっておかしくない?やっぱさぁ。不味いものしか食べたことがない人に美味しいものがわかるとは思えないもの」

 

実に世間でよくいわれている事である。僕も初めはそう思っていた。

 

しかしいざ自分が医学部に入ってみて回りを見渡してみると、どうもことはそう簡単ではなさそうであると気付かされた。

 

僕は医学部には僕以上のメシ狂いが絶対にいると思っていた。僕よりも遥かにいいものを食べていた経験豊富な奴が沢山いるのだから、その辺のものなんて口にもできない海原雄山のような奴がいたって全然おかしくないと思っていたからだ。

 

そんな期待を裏切らず医学部には高所得者の両親を持ち、小さい頃からおふくろの味から銀座の寿司といった比較的いいものしか食べたことがない奴が何人もいた。だがそんな食のエリートである彼らのオススメする美味しいお店というのは正直う~んとしか言いようがないような店ばかりであったのである。

 

僕は心底失望した。こんな食の英才教育を受けてきた彼らが馬鹿舌なのだとしたら、果たして美食家はどこにいるというのだろう。

 

しかしよくよく考えてみると、いいものをたくさん食ってるはずの芸能人や雑誌に出てくる自称食通のオススメする店で大当たりを引いた事なんて殆ど無い。ひょっとして美食家とは、食育だとかいいものを食べているという事とは別の場所から生まれるのかもしれないなぁと漠然だけど思うようになった。

 

そんな時にある本を読み、仰天する事となった。その本の名は“Le carnet de route d'un compagnon cuisinier”(日本語版はロブション自伝 (中公文庫BIBLIO))。フレンチの神様と言われる男の半生記である。

 

ジョエル・ロブション。フレンチの皇帝といわれる男

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ロブションといっても殆どの人は知らないだろう。簡単にいえば、彼はフランス本国で「フレンチの皇帝」と呼ばれている男である。

 

彼の偉業は色々あるが、最も壮絶なエピソードは史上最短でパリ・ミシュラン三つ星を獲得したという事だ(1981年、41歳で独立。1982年ミシュラン一つ星獲得。1983年ミシュラン二つ星獲得。1984年ミシュラン三つ星獲得。独立からわずか3年である)

 

通常三つ星を獲得するのには10数年かかるといわれており、そもそもパリでは一つ星の獲得すら困難であるといわれている。それだけでもこの記録の凄さがわかるだろう(当然というかこの記録の壮絶さが未だに破られていない。恐らく今後も破られる事はない)

 

ミシュランの評価をどう判断するかは人によって意見がわかれるところだが、一応世間的にはそれなりに権威があり、美食家といわれてる連中もある程度参考にする指標である。まあその最高峰が最高点をつけるのだから、ロブション氏の作る料理は至高とはいかないまでも、かなり美味いと判断してそう間違いはあるまい(なお現在は彼はレストランで料理を作っていないので、彼の料理が本当に美味しいかを僕は判断できない)

 

そのフレンチの皇帝といわれている超うまいものを作り出す彼だから、僕は当然のように幼少期からかなりいいものを食べているのだろうと思っていた。しかしその予想は見事に裏切られる。

 

フレンチの皇帝の食生活

ロブションは自伝でこう述べている。

 

とにかく好き嫌いが激しい子供で、限られたものしか食べられなかった。12歳になるまで赤身肉のステーキとフライドポテトしか殆ど食べなかった。

 

またバターが大好きで、とにかくサラダだろうがなんだろうがバターなしには食べられなかった。一番おいしいもの?そりゃカリカリのフライドポテトにバターを載せて食べる事だね!

 

僕は心底仰天した。なんだこのマクドナルド大好きなアメリカ人もびっくりの馬鹿舌の持ち主は。こんなのが世紀のシェフだって?おいおい何かの間違いだろう。

 

続く記述で、彼はこう述べている。

 

確かに好き嫌いの激しい子供でしたが、食欲は旺盛でした。ステーキは一日一枚は食べたものです。とにかく自分が好きな美味しいものには目のない子供でした。

 

いやいやいや。ただの大食らいの偏食家じゃん。

 

しかし逆説的だが、この時僕に一つの仮説が産まれた。ひょっとして美味しさがわかる舌って、食育とか小さい頃からいいものを食べているという事から生まれるのではなく、食への執着の有無から生まれるのではないか、と。

 

ケーススタディ

前々回の記事に続いてまたしても例に用いて恐縮なのだが、友人の(id:toianna)さんの昔のブログ、殺意まみれの趣味:美食のススメの冒頭分を引用しよう。

 

ご飯を人並み以上に好きだと気づいたのは8歳頃。当時、実家に料理ができる家族はいなかったので、外食かお手伝いさんに作ってもらっていた。その日もいつもどおり外食で、といっても普通の定食屋に行ったのだが、そこのマグロが美味しくなかったんである。一口で全部残した。

当時私は刺身といえばマグロ、マグロといえば刺身くらいのマグロ好きで、親も好き嫌いでマグロを残しているのではないことに気づき露骨にいやそうな顔をした。「こいつ、食費がかかるガキになるなぁ」と。

 

あれ?この人、メシマズ出身なのにフレンチの皇帝・ロブションと同じような事いってるぞ?

 

しかしこの時、妙に納得がいったのである。医学部時代の友達は、確かにいい家庭出身で旨いものを食べていたかもしれない。けど全然食に執着がなかった。

 

芸能人だってメシが好きだから芸能人になったわけではないだろう。彼らは結果として金ができたから"高い店"にいけるようになり、そして同じような食にそう執着のない、周りのみんながオススメする店に出かけるのだ(結果、雑誌に出てくる芸能人オススメの店はろくでもないような店ばかりになる)

 

当然というか彼・彼女たちだけど彼彼女らの舌に神が宿ることは永遠にない。だって食事に真剣じゃないのだから。

 

ちなみに雑誌に出てくる自称食通のオススメする店が何で美味しくないのかというと、そういう紹介された店というのが食通が本当に美味しいと思った店ではないからだ。紹介される条件はただ一つ”宣伝費を払ったか否か”である。
 
一節によると東京カレンダーの紹介費は1/4ページで◯十万。1ページでその数倍にも及ぶという。外食産業は古来より芸能業界なんか目じゃないレベルのアヤシイ連中が跋扈する魑魅魍魎の世界である。金に魂を売るような連中に美食を語る資格など無い。当然というか、そんな自称美食家の舌にも神が宿ることは永遠にないだろう。

 

美食家は食に真剣な人達

なんだってそうだけど、本気になれる連中にはかなわない。才能の有無も大切かもしれないけど、好きじゃないことにクソ真面目になれる奴なんていない。

 

美食家は滅茶苦茶面倒くさい奴らの集まりだ。主義主張は当然のごとく各人ごとに異なるし、みんな表面上では仲良さそうだけど、影では自分の舌が神に最も近いと思って譲らない。

 

しかしこの世界には生まれも育ちも関係ない。参入資格はただ一つ。食に命をかけられるか否か、である。

 

僕はこのフラットな世界が大好きだ。心の底から愛している。

 

人を好きになるのに理由なんていらないのと同様、食が好きである事に理由はいらない。我々は神から与えらし執着に、ただただ感謝するだけである。