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珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

ネット上で、正義を盾に行われる言論バトルの仕組みについての僕の雑感

日々徒然

はじめに

僕は以前からはてなブログ等で行われている、主張と主張の殴り合いがどういう仕組なのかについてずっと興味があった。今回それについての考えがまとまったので、この場で書き上げてみようと思う。

 

影響力の強い記事がインターネット上に生まれ落ちたら生じること

はてなに限らず、インターネットで意見を発するとある一定以上の確率で様々な反応が帰ってくる。それは発信者のパワー(筆力×筆者の影響力)が強ければ強いほど、その確率は上がる(はてな界隈ではブックマーク数がある一定以上つくとホットエントリーという項目に入る事がある。これはその人の発信した記事が、ある一定以上のパワーを得た事の現れの一つだ)

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実は意見を発するという時点で、ある一定数以上の人は形はどうであれ必ず反抗心を抱く。わかりやすくいえば「納豆が好きで好きで仕方がない」という記事を誰かがかいてホットエントリー入りしたとする。

 

すると絶対にコメント欄に「あなたの記事は不快です。納豆が嫌いな人の事も考えてブログ上にアップしてください。」みたいな意見が必ず現れる。別に誰かを罵倒する記事ではなく、自分の好きなものについて書くだけで誰かが不快になるのがこの世界の仕組みなのである。

 

これがわかりやすい形でみられるのが芸能人のブログである。なんで芸能人はアメブロで書くのか。実はアメブロのコメント欄は検閲隊がいて、ネガティブな意見は全部事前にチェックされて消されている。

 

芸能人はパワー(筆力×著者の影響力)の影響力の比重があまりにも高すぎるため、何を書いても強烈な力が生じてしまう。先にあげた「納豆が好きだ」というレベルの記事でもコメント欄がポジティブ・ネガティブ両方の感情が入り混じった阿鼻叫喚の嵐になるのだ。

 

僕は昔、なんで有名人は有名になると途端につまらなくなるのだろうと思っていたのだけど、多分面白いことを言い過ぎるとパワー(筆力×著者の影響力)がとてつも無い事になりすぎて、収集がつかなくなるのだ(だから面白くありつづける著名人やブロガーは本当に凄いと思う。並大抵のタフネスではそうあり続けられない)

 

芸能人に限らず、本質的に何かの意見を発し、その記事にパワー(筆力×筆者の影響力)が備わっている限り、かならず賛同や賞賛、disとか反論などが生じる。

 

恐らくなんだけど、その機会はその記事のパワー(筆力×筆者の影響力)とほぼ同量だ。これをここではインターネット作用反作用の法則と定義する

 

著名人が面白くありつづけないのは、自分の産みだしたパワー(筆力×著者の影響力)からくる反作用の力に耐えられないからなのだろう。ある人は心を痛め表現する場を去り、またある人は写真だけをあげるようになる。有名人は大変だ。僕はこの事を理解してから、有名なだけでその人を尊敬できるようになった。

 

ケース・スタディ

インターネツトは様々な価値観を持った烏合の衆の集まりである。少し前に自分の内なる性暴力についてを告白する記事がネットにあがり、阿鼻叫喚の嵐が巻き起こった(長いけど具体例として秀逸なので興味がある人は是非読んで欲しい→性嫌悪と自分の内なる加害者性について

 

この記事を読んで思うことは人によって様々だと思うが、おおまかに分ければ2つの意見が生じた。

 

ある人は「よくここまで自覚し告白した。偉い」と言い、またある人は「あんたは立派な性暴力加害者だ。悔い改めろ」という意見を発した。コメント欄やブコメに限らず、中にはかなり筆力の高いブロガーが直接記事を引用してあらん限りに著者を殴りつける案件も生じた。これをみて僕が初めに思ったのは、こんな感じの図式だった。

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(Aが引用した記事。Bが引用した記事に対する反論である。矢印の大きさはパワーの強さを表している。)

 

僕は初め、Aの記事は言われてみれば性的加害者である事を認識していないものの記事かもしれない。なので多少は批判を受けるべきかもしれない。けども、別にそんなに全力でBサイドが殴りつけなくてもいいじゃないかと思っていた。批判するにしても手心加えてあげないと、AとBのパワーがあまりにも違いすぎて可哀想にみえる。正義がBにいくらあろうが、ちょっと大人げないなぁと思っていた。

 

しかしよくよく考えてみると、どうも物事は単純な話で終わりそうにはなかった。僕はこれを単純な二項対立として捉えていたから上の図式で憐憫の情がわいてきたけど、Aの記事は強力なBという反論者だけに影響しているのではなかったのだ。Aの記事はその他多くの筆力が高くない為上手くAに反論できない人々や、Aによって傷つけられた人々についてのパワーが内在されていたのだ。これを図式するとこうなる。

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AがBから喰らった強烈な批判は、サイレントな構成要素であるC、D、E、Fへの作用も含まれていたのだ。Aは、自分でも予想だにしなかった強烈なパワーある記事をインターネットに投下してしまったのだ。そのインターネット作用反作用の法則の結果がこれである。

 

(当然というか単順にAが間違っているというわけではないし、Bの行為が正当化されるわけではない。あくまでこれは、Bからの批判という現象が何故おきたかについての考察である。AもBも己の信ずる正義に基づいて意見を発している。Aから見ればAの記事は正義だし、BからみればBの意見が正義だというだけの話だ。世界には人の数だけ正義がある)

 

おそらく何人かの読者はこれをみて「Bは正義を武器にAを殴りつけてて、結局得じゃん!」と思うかもしれない。けど物事はそう簡単にはいかない。BがAへと放った強烈なパワーは、当然というかBへもキチンと反作用が生じる

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「確かにAは酷いかもしれないけど、そこまで言うこと無いじゃないか」

「Aが心を病んで自殺したらどうするんだ」

「正義を盾に何言ってもあなたはいいと思ってるのですか」

「そもそもお前、キモイ」

 

まあよくある反応はこんな感じだろうか。当然というか、Bの内容に粗があったらそこを徹底的につかれるだろう。ハンドルネーム付きでインターネットで活躍し続けていると絶対にこれは避けられない。

 

21世紀になっても、活動の場をインターネットにしても、人類は何も変わってない。いつだって僕らの生活は正義を盾に、殴り殴られあいの世界である。

 

影響力が強くなりつづけるとどうなるのか

ほとんどの人は、まず反応が返ってくるレベルで影響力を持てない。こういう人の殆どは、インターネットで意見を表明するのが面白くなくなって、自然と興味が冷めていく。

 

だけどほんの時々、注目されてしまう人が出てくる。何かの拍子で突然ホットエントリー入りしたりして突然注目をあつめるタイプの人もいれば(消える人は大体こっち)、その一方でじっくりとパワー(筆力×影響力)を増していく人もいる(ちきりんさん、勝間和代さん等のインターネット著名人は大体後者だ)

 

先に有名人の例をあげたけど、ほとんどの人は実はそんなにそんなに強くない。インターネット上で殴られたら結構心が痛む。

 

炎上案件を喰らった人は、大体においてその力に対抗できるレベルで心が鍛えられていないのでネット上から姿を消す。

 

ほとんどのちょい有名人なんかも、面白くはあり続けられないから自然と人が去って行き忘れされれる。そうでなくても自分の耐え切れるパワー以上の反作用をある時意図しないタイミングで返されて、心を痛めてインターネットを去る

 

だけど極小数の人は生き残る。そしてその中のさらに少数の人は、ネットを利用して現実社会での地位を得ることもできるようになる。

 

実はネット上である程度経験値を積んでレベルアップすると、インターネット・ダーマ神殿への道が開ける裏ルートがあり、名無しさんからクラスチェンジができるようになる(身近な例としてはwebライターや書籍出版者があげられる)

 

ちきりんさん、勝間和代さん、といった著名人の場合ともなると、更に道は華々しい。

 

ちきりんさんはブログからブックマークを消して、今では実名の方での活動がメインとなり、有名人サロンのような環境に入り込むことに成功した。将棋の名人と会えるようになったブロガーが過去にいただろうか?素晴らしい成功奇譚である。

 

勝間勝代さんはネットで集めた評判を元に、実社会で政策などの立ち上げに関わったりした。今現在ではプロ雀師になり活躍されている。これも素晴らしいサクセス・ストーリーだ。

 

ネットの海にはリアルワールドの金脈すら埋まっているのが現代なのである。殆どの人は、そんな場所に行く前に消滅してしまうけど(これは何についても言えることではあるが)

 

結論

僕は昔、とあるアルファブロガーと対話したことがある。その人はしきりに「有名になる前にもっと修行を積んでおくべきだった」という事をおっしゃっていた。

 

僕はその時はこの発言の意味が全然わからなかった。有名になれるものなら早くなった方がいいとしか思えなかったからだ。でも今は本当にこの発言は含蓄深いものだったなと思う。

 

炎上なんて運が回ってくれば現代のインターネットではいくらでも起きる。もしあなたが一発屋ではなくネットで活躍しつづけたいのなら、それまでにどれだけ自分がネット上での批判に耐えられる強さを持てるかが重要なファクターとなる。

 

少しづつ、自分の丈に見合ったパワー(筆力×影響力)の記事を出し、その力に見合った批判を受ける。必要以上に注目を集めずに少しづつ、批判耐性を身につける。そうでないとインターネットで活躍し続ける事なんて到底出来ない。

 

僕は今では有名人を心の底から尊敬している。彼らと同じ様に自ら産みだしたパワーからの反作用に対抗できる心の強さを持ったものの1人になりたいな、と思う。

 

フィリップ・マーロウは「強くなくては生きてはいけない。優しくなくては生きていく価値がない」と言った。実によくこの事を表しているな、と思う。そういうものに私もなりたい。

 

~~~参照文献~~~

(この記事はこの文章から多大な影響を受けました。最後になりますが惑星エクスペルさん、ありがとうございました)

rrd.hatenablog.com