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珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

医療訴訟で学ぶ、ネット炎上とその対応

日々徒然

あなたは医療訴訟で患者が訴訟に踏み切った最も多い動機を御存知だろうか。素人考えだと、ミスを起こした相手を糾弾したいだとか、お金だとかが訴訟の動機なんじゃないかと思いがちだけど、意外や意外。それは糾弾でもお金でもなく「あの時何が起きたのか。ただ真実を知りたかったから」という患者サイドの切なる思いなのである。

 

僕ら医療従業者は日々の診療の中で思いもしない形で患者さんを傷つけてしまうことがある。勿論、本人が少し問題のある人だったり、患者側が色々と振り切れてる場合はあるけども、大体において「そこまで気にかけてなかった、ふとした行為や発言」が問題のキッカケとなることが多い。そこから生じた不快感は、それまでなら見えてこなかった様々な粗を見つけだすメガネとなっていく。

 

自分の例で恐縮だが、僕は交通事故にあってから道路に「○月○日に自動車と歩行者の事故がありました。目撃した方は情報をこちらにお願いします。警視庁」みたいな看板があちこちにある事に突然気がつくようになった。これらの看板は今までだってあちこちにあったと思うのだけど、ある日自分が交通事故の当事者になりその存在を認知したことで、初めてその存在に気がつくようになった。人はその存在を「知る」事で、それまで目に映らなかった様々なものが目につくようになる。そして、これを契機に「最近になって街にこういった看板が増えたのかな」と思うようになる。これを認知バイアスという。こういった種類の事は、たぶんあなたも思い返えせば色々と心当たりはあると思う。

 

大体の医療従業者から受ける不快感は、表に現れる事はない。基本的には患者さんは医療従業者に自分の味方であって欲しいという思いが強く、ここで相手を不快にさせた事により被るかも知れないリスクを負う事を嫌うからだ。ただ時々だけど医療従業者はどうしようもないミスを起こし、患者者サイドにダメージを与える。軽症で済む事もあれば、後遺症が残ったり、またある時は人が死ぬこともある。こういう段階に至って、患者サイドは今まで感じていた不安の理由の謎がとけたかのような感情へといたり、医療従業者への不信感が怒りへと変わっていく。

 

しかしこの段階に至っても訴訟に踏み切る人は実はまだ少ない。幸か不幸か日本は裁判で超高額な賠償金を受け取れるわけではなく、医療従業者を訴えるインセンティブに金銭的動機は少ない。まだ取り返しのつく段階なのである。そしてここに至った後の行動が、医療従業者が訴えられるか否かの命運となる。何が最適な行動なのか。それはただただ、徹底的に謝罪する事である。

 

怒りという状態は普通ではない。そういう気質に操られている時は、言葉なんて頭に入ってこない。むしろ言葉を徹底的に自分の頭から胸から腹から出し尽くして相手を徹底的に攻撃し、相手を悪と決めつけ、相手がそれを認めその上での謝罪を受け取る位のプロセスを経て、ようやく怒りから解き放たれる兆しが見えてくるくらいである。目の前の患者が怒鳴っている時に「いやこれは...」とか「医学的には...」のような言葉は、それがいかに正しかろうが何の効果ももたらさない。対話の否定も絶望的悪手だ。これらは全て燃え盛る怒りの暖炉にガソリンをぶち込む行為である。

 

自分の非を認めたら、まな板の上で切り身ちゃんにしてくれっていってるようなものではないか、それこそ訴えられるのではないか、という疑念は当然あると思う。しかしこれも素人考えの逆をいくのだけど、徹底的な謝罪を受け取り、怒りから開放された患者は思いのほか医療従業者を許すのだ。中には「さっきは言いすぎた。悪かったな」という事を申し上げる人もいらっしゃる。

 

こういった段階を経ずに、徹底的に言い訳を繰り返したり事実を隠したりすると、怒りの暖炉に注がれたガソリンは、ある時段階から百熱の炎へと移り変わり、暖炉からはみ出し家を焼く。この段階まで来るともう取り返しがつかない。お互いがお互いにとってのモンスター的存在へとなり、対話は断絶し、残された行き場所をなくした怒りの刃は怨みへと昇華する。どうやらこいつは私とは対話をするつもりはないらしいと思わされた段階に至った時に取られる行動が訴訟なのである。何が悪かったのか。もちろんミスは良くないことだ。だけど、最も決定的だったのは、相手の怒りに対して納得を与えられなかった事である。

 

こうして起こされた訴訟はすぐには決着がつかない。時間もかかるし金もかかる。下手すると、数年なんて言う単位はザラだ。臥薪嘗胆を例に出さなくても、こういった長い時間、相手をひたすら怒ったり憎んだりすることは実は非常に難しい。結局欲しかったのは納得できる理由である事に気がついた患者サイドから出た言葉が「あの時何が起きたのか。ただ真実を知りたかったから」である事は、わりと納得がいく事実である。

 

全く差別の心がない人間や、すべての人に不快感を与えない言葉を使える人間はいない。僕らが得る情報ほ全てが中立である事はありえないように、人はある選択をするとある立場に立たざるをえない。あるキッカケで、思いもしない形で人を傷つける事もあるだろう。その人を目の前にして、あなたがすべき事は言い訳でも状況説明でもなく、切なる謝罪である。そして相手の怒りが収まったら、恐れずに対話するべきだ。まあ世の中、そう悪い人ばかりでもない。間違ったり人を不快にさせることなんて、生きていくうえでは避けようのないことである。

 

さて表題のネット炎上だけど、これは幾つか種類がある。バカッターをはじめとする「飲酒運転なう」やら「メガ盛り牛丼www」みたいな「反社会的な行為の告白」といったものや「自分の手の届かない範囲にいる有名人のミスをあざ笑う」といったものあるが、その他の大体のものは「思いもよらぬ形で生身の自分のプライドだとか尊厳を傷つけられる事」を発端とする場合が多い。

 

だいたいの場合において、始めっから相手を罵倒することを目的とした記事は読む側も身構えるから読んでもそんなに傷つかないし、そもそも読まない事が多い。だけどあんまし何も考えずにサラーッと読んだりしていた記事から「思いもよらぬ形で生身の自分のプライドだとか尊厳を傷つけられた」時、人の心の暖炉にはすざまじい怒りの炎が燃えさかり、そいて相手の徹底的な糾弾へと繋がる。そしてそれを見た友達や知り合い、ファンといった方々が、まず初めに怒り狂う本人を擁護する意味も込めて「その批判的意見に賛同する」。と同時に大体の場合において、記事を書いている本人が「自分の想定した部分とは違った場所で批判」されるため、これまた予想外の角度で殴りかえされた事により今度はそっちの心の暖炉にも怒りの炎が着火する。まあこの段階で、お互いがお互い冷静ではないので罵詈雑言の押収が始まったりする。これに目をつけた周りの人達が集まることで、ネット炎上が始まるのだ。

 

そもそも初めはこういった現象の事を「炎上」といわず「祭り」といっていた。火事と喧嘩は江戸の華と昔から言われていたように、割と多くの人がこれらの行事を喜々として楽しむ。多分こういう行為を快感に思う素因が脳のどこかにあるのだろう。怒りの炎が暖炉から家へと飛び火して、大きな大きな火事がおこり、それをみた通行人がやんややんやと集まってくる。やれ俺はAに味方するぞ。俺はBだ。いやどっちも悪い。まあ周りは好き勝手色々いって、楽しみたいだけの人で、当事者の事なんて正直どうでもいい。燃え盛る炎を前に、最高にアドレナリンがキマった人々は宴に飽きたら段々とフェードアウトしてく。のこされた当事者だけが、バツの悪い思いをしながら後始末をする。昔も今も変わらない。そんなもんである。

 

ネット上でのこういう喧嘩祭りで、双方どちらかに味方する人は立派に認知バイアスがかかっている事が多い。Aサイドにいる、近しき友人やファンといった方々は、どんなにBが悪かろうがAの味方をするだろう。それは全然間違った事じゃないし、そもそもそういう「理屈抜きで」自分を守ってくれる人が周りに何人いるかがその人のこれまで積み上げてきた人生のよきものの集成だろう。ただこういう当事者はまだしも、周りから見ていて兎に角祭りに参加したいだけの出歯亀行為をする野次馬がワラワラとどこからともなく出てきてしまう事にネット炎上の業がある。

 

怒りの炎に包まれた双方は、とにかく冷静じゃないからこういった野次馬の焚き付けが「自分に味方がついた」かのように写り、そして更に炎をたぎらせていく。でもそれらは友達でも味方でもなんでもない、ただの野次馬である。振り返ればほら、そこには誰もいない。いつだって祭りの後に残されるのは、ガランとした寂しい風景とゴミだけである。

 

もうわかっただろう。炎上は何も残さない。まあ僕らだって割と安全圏から有名人を殴りつけてネタにしたり、友達が批判している人を殴りつけたり、絶対に自分に飛び火してこないとおもう距離から他人に罵詈雑言を吐きかけて殴ってたりする。僕も先日、恋愛工学徒やヤリチンとかを絶対的安全圏から殴ってしまった。まあなにがどうであれ悪かったなと思うし、また意図せずこの前のエントリーで人を殴ってしまったらしい。悪かったなと思う。そして多分今後も意図するかしないかは置いといて、また人を殴ると思う。そうした行為で僕に怒りを抱いた人に対して僕ができることは、ただただあなたを不快にしてしまったことに対し、謝罪することである。そして殴ってしまった人の怒りがおさまったら、できれば対話したいなと思う。冷静になった後に、あの時何が起きたのかについての情報を共有することができれば、まだ関係は修復可能だと思っている。実生活ではいろいろと難しい事も多いけど、ネット世界で殴りあった後は少年漫画的展開のように仲直りしたいものである。

 

そして野次馬を楽しむ方々へ。まあ火事も祭りも楽しいのは認めるけど、あんまし安全圏から人を殴りまくるなよ。STAP細胞はなかったけど、笹井さんは死んじゃったんだ。火事も喧嘩も当事者とそのまわりの人で怒りを共有するものであり、あなたたちが絶対的安全圏から殴りつけてコンテンツ化するものではない。武者小路実篤はその著作、真里先生で「あなたが殺されていい時がありますか。あなたがどんなときでも殺されるのが嫌なら、少なくともあなたは人を殺してはいけない」と述べた。身につまされる名文だ。全ての人に、この「殺す」を様々な言葉に入れ替えて読みなおして欲しいものである。

 

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