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珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

美味しいものばっか食べてるから食事に誘いにくいとかいわないでくれという話

僕は食事が大好きだ。高級フレンチも食べるし銀座鮨も食うけど、B級グルメも食べる。二郎も嗜むし、激辛だって愛している。こう書くと味がわからない奴なのでは・・・と思われるかもしれないけど、そもそも各ジャンル毎に求めるものが全然違う。食事というのは消化器と感覚器を駆使して味わうエンターテイメントであって、美味しい美味しくないなんていうのは一つの尺度でしか無い。

例えばだけど二郎を筆頭とする大食いでは、圧倒的なあの量を征服する感覚を楽しんでいる。食事中にペース配分を計算したり、どのタイミングで麺を攻めるか等を考えるのはマラソンのそれに通じるものがある。激辛では口に入れた時に走る稲妻の様な脳天に突き抜ける刺激やそれを完食するまでのマゾヒスティックな快感、そして終わった時の開放感が最高だ。これらは登山に通ずるものがある気がする。もちろん高い金を出して飯を食うときは味や量、コストパフォーマンスとかを当然考える。映画だって小難しい作品とハリウッド超大作では求めるものが違うのと同様、食事だってジャンルで求めるものが全然違う。

時々食事に誘われたりすると「普段おいしいものばっか食べてる人を、こんなところに呼んでごめんね」っていわれたりするのだけど、正直言って美味しいものを食べに行く時と人とご飯を食べる時では求めるものが全然違うので、味なんて全然気にしていない。それに話すのを会の目的の首座とするなら、それこそどこかの居酒屋とかビヤホールとかが最適だろう。そういう所で味を求めるのはただの野暮だし、そこで「料理がまずくて食べられないよ」なんて言う奴は幹事に土下座して謝るべきだろう(そもそも僕は糞つまらない飲み会は金の無駄なので行かないが)蛇足だが、時々いる自称グルメな女子大生なんて味なんて1ミリもわかってないから、食べログの点数が高かったりミシュランの星付きの雰囲気のいいおしゃれなレストランにでも誘っておけば間違いない(僕はこういう連中をエセグルメとよんでいる。美食業界を支える、優秀なお財布係である。残念ながら美味しいお店の情報源としては全く役に立たないが)

そして付け加えていうならば、僕は不味いものだってよく食べてる。自炊なんかしていると時々事故で凄く不味いものが出来上がるけど、そういうのだって「何故不味かったのかを分析しながら」食べてるし(白菜を日本酒で煮込んだときは酷く苦いものが出来上がって閉口した。それから白菜は常に水で煮るようにしている)。変な加工食品とかでも時々とんでもなく不味いものにも当たるけど、割とそういうのも「なんでこの食品が不味いのか」をキチンと分析しつつ結構普通に食べる(もちろん適当に口をつけて途中でやめる)

よくちまたには自称美食家のような人がいるけども、個人的には美味しい店をいくつ知ってるかに加えて、幅広い味を許容できる舌が最も美食家に必要な素質だと思っている。不味いものも食べれないような人間なんて食を語るのもおごがましい。海原雄山みたいに「この皿はなんだ!おかみを呼べ!」みたいな事をしている人なんて、普段マックしか食ってない女子高生がナンプラーで味付けされた東南アジア料理を「臭くて食べられない」っていうのと何が違うのだろう。それは不味いのではなく、自分にその文化を許容出来るだけの能力がないのである。自分の実力不足とまずさを混同してはいけない。もちろん時々値段に吊り合わないダメダメ料理に出くわすこともある。そういう時も食事中は顔には出さず笑顔で「おいしかったです」とシェフに伝え、そのあと帰り道で友人と愚痴で盛り上がるってのが粋な日本人だろう。

食事の素晴らしさっていうのを美味しさにしか重点を置かない人なんて、全然グルメとはいえない。例えばパクチーなんて、初めて食べた時から美味しいと思う人なんてほとんどいないだろう。それが何度も何度も食べ続ける事で、いつのまにか病みつきになる性質を有している。焼き魚の内蔵とかも苦かったりエグかったりで初めはどうしょうもなく好きになれないけど、慣れてくるとあれがないと物足りなくなる。鮎の内臓なんて最高じゃないか。鮎の旬の時期はあれを食べるのだけを楽しみに生きているようなもんだ。僕は思うのだ。悪食だろうがなんだろうが、様々なバリエーションの味を楽しめない人間なんて食が好きだ、ましては美食家だなんて絶対に公言してはいけない。偏見を持たずに古今東西様々な味を楽しみ、食文化を愛する。それが我々、食狂いである。最後になったが株式会社珈琲をゴクゴク呑むように(代表 高須賀)はこういったフードアスリートの方々を絶賛大募集中である。諸君の我が部への編入を心待ちにしている。