珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

バケモノの子は細田守の宮﨑駿からの卒業宣言である。

ネタバレ注意。はじめるよ。

この映画は

・熊徹≒宮﨑駿(細田守の心の中での理想像としての)

・九太≒細田守(の一側面)

・猪王山≒宮﨑駿(スタジオジブリの総指揮者としての)

・一郎彦≒細田守(の一側面)

としてみると結構面白い。

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この説明をする前に少しだけ細田守監督の経歴についておさらいしよう。彼がアニメーターを目指したのは小学生の頃に見たルパン三世カリオストロの城だというのは有名な話である。それに影響されてか自主的にアニメーター、映画監督としての修行を行い、大学を卒業後にスタジオジブリを受験し最終選考までいくものの不合格となる(この時に宮崎駿から「君のような人間を(ジブリに)入れると、かえって君の才能を削ぐと考えて、入れるのをやめた」と書いた手紙を貰ったが、「雑用係でもいいから入れてください」とジブリに電話をすると「今回の試験で宮崎さんが手紙を出したのは、全受験者中二人しかいない。その一人が君で、これは光栄なことだから、おとなしく諦めなさい」と言われたという有名な話がある)

その後東映に入社。メキメキと能力を向上させ劇場版デジモンアドベンチャーでその才能を評価される。そしてハウルの動く城でまさかの監督に抜擢されるものの、最終的には降板(御存知の通り総指揮は宮﨑駿へと移った)。

その後は時をかける少女サマーウォーズおおかみこどもの雨と雪とヒット作品を飛ばしまくり、本作バケモノの子が最新作となる。

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こうしてみてみると、主人公である九太と熊徹との関係性に類似点が多いことに嫌でも気付かされないだろうか。物語序盤、九太は熊鉄を師と仰ぎ剣(アニメーター)の修業をするものの、熊徹は我流でいつのまにか剣(アニメーター)が使えるようになっていたため全く何も教えられない。結局、どうすればいいのか全くわからない九太はとにかく熊徹の行動を一挙一動真似することになる。すると熊徹の行動が見ないでも手に取るようにわかるようになり、その技術は師である熊徹を驚かせる程になる(スタジオジブリに入社すると削がれる細田の才能の暗喩)

その一方、弟子も多く家にあまり帰れずに仕事人間である猪王山(スタジオジブリで働くワーカーホリックな宮﨑駿の暗喩)に拾われ、父のような立派なバケモノ(天才アニメーター)になろうとする一郎彦(細田守のある側面)だが、どんなに成長しても牙は生えず鼻も伸びない。自分は父のようなバケモノになれないのではないだろうかという心の闇に襲われ、次第に心に闇を持つようになる。

その後、熊徹と猪王山との対決を期に、九太と一郎彦という二つの側面も対峙し始める。劇場中で九太が己の中に一郎彦を取り込み自殺するという選択肢を提示しそれに観客は全くと言っていいほど違和感を抱かないのは、それまでの物語構成の中で無意識に九太と一郎彦が限りなく同一人物であるという事を理解させられているからという部分も大きいだろう。そして熊徹のツクモガミ化。あれは間違いなく宮﨑駿監督引退への暗喩だ。ツクモガミとして剣となった熊徹を胸に抱き一郎彦を打ち破る九太。「俺達はバケモノではない。バケモノに育てられた人間。バケモノの子だ」という九太の宣言は「宮﨑駿のスタジオジブリに憧れてそれを目指してきた。けれど自分はジブリにはなれない。でもジブリに、宮﨑駿に育ててもらった。自分はその子孫のようなものなのだ」という宣言にも聞こえてくる。

物語の最後、九太はもうバケモノ街への二度と戻らないと説明されている。あれは細田守監督のスタジオ地図としてのスタジオジブリからのある種の独立宣言なのだろう。そう、バケモノとはスタジオジブリの暗喩であり、タイトルのバケモノの子はスタジオジブリチルドレンであるという事そのものなのである。本作は細田守から宮﨑駿への一級のメッセージだ。本作には他にもいろいろな仕掛けが施されている。既に一回見てしまった人も、もう一回ゆっくりと見てみるのも面白いかもしれない。

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あの映画を見てしまうと、何回みても熊や・・・