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アツアツだよ(´・ω・`)

ある男の物語~takasukaの人生回想録③~

こうやって人生を整理していると、思わぬ形で自分が自己確立に励んでいたんだな、とわかってきた。当時は必死なだけで、よくわからなかったけども。

ある男の物語~takasukaの人生回想録①~ - 珈琲をゴクゴク呑むように

ある男の物語~takasukaの人生回想録②~ - 珈琲をゴクゴク呑むように

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前回は部活や自己啓発の否定的な面を書いたけど、正直言うと数は少ないけどもそれなりに学べたことも多かったのは事実だ。

後輩から下克上を喰らった後、僕は怒っていい人と怒っていけない人がこの世には存在することがようやく理解できた(ちなみに99%の人間は怒ってはいけない)

割と頭のいい人に多いのだけど原因をひたすらロジカルに追求して誰が良くて誰が悪い、と二元論的に結論を落としこむことがいいことだと思っている人が多いのだけど、盗人にも5分の理というように、どんな事をしたとしても人は自分への自己愛は消えないものだ。説教とか激詰めというのは、殆どのされた人の心のなかで「確かにミスはしたかもしれないけど、そこまでいうこと無いじゃないか」という究極の反論技法が行われ、どういう形であれされた側はその人の事を嫌いになる。つまり基本的には良い影響を全く残さない(ちなみにこれはデール・カーネギーの本にちゃんと書いてある)

なお仕事などでどうしても怒らなくてはいけないときは、①褒める→②出来るだけ傷つけないようにやんわりと相手のミスを指摘する→③状況的に色々と仕方がなかったのだろう。それはよくわかる。けど俺はお前が普段から頑張っていることを知ってるし、やればできる奴だと知ってる等の相手を褒める言葉で締めくくる、というサンドイッチ技法を使用するのがよてもよい。大体これだと反発が最小限ですむ(ちなみに今の僕の嫁は何かミスがあると僕と嫁のどちらかが悪いという結論にするのではなく、その場の状況的にしょうがなかった等の2人以外の別のものが悪いという風に議論を持って行くことが多くて、これも本当にいい技法だなと感心している。この形に持っていくと、悪者が少くとも両2者の間からは消えるので遺恨が残りにくい)

他には、どうでもいい細かい事をたくさん見つけてあげて褒めて上げなさいというのも凄い役に立った。ほとんどの人は凄い業績をあげた時だとか、誰がみてもわかる凄い事を成し遂げだ時しか褒めないけど、そうではなくて本当に些細な事で褒めるのだ(お、今の笑顔いいね、とか。今日の洋服の組み合わせいいじゃん、みたいな感じでね)これを部活の後輩(ちなみにここでいう後輩は下克上以降に入ってきた人だ)で試し続けた所、後々だが絶大な信頼を得ることとなった。

これは褒める内容がどうこうより、あなたに注目していますよというメッセージとして相手に受け取られる事が多いからだと思う。人は自分のほうを向いてくれる人を好きになるものだ。そしていうまでもなく、言葉はお金と違ってタダなのだ。いくらいっても何も減らない(ちなみにこれは無能唱元さんが既に提唱されていた)

ただこの技法に限らず基本的に自己啓発技法というものは、相手に見返りを求めた時点で全てが無駄になるという事は意識しておいて欲しい。こんなに可愛がってやったのにとか、こんなに尽くしてあげたのにという風にとか考えずに、もう聖人君子になったかのつもりで大盤振る舞いで無理の無い範囲で万人に尽くし続けるのだ。見返りを求めた時点でリターンがゼロになる。というかもともとみんな自分の事以外はどうでもいいので、こちらがやってあげた事に対して自分は100ぐらい尽くしてあげている意識だと、多分向こう側は1以下ぐらいの尽くしてもらったという印象が精々だと思う。だからもうタダでなんでも配る意気込みでやる、ぐらいがちょうどいい。ちなみにそれをやり続けていると、ある日突然1のリターンが突然インフレして10万ぐらいになってかえってくる(ちなみにこれは本に書いていない僕のオリジナルな実感だ)

自己啓発から学べた事はこの3点ぐらいだろうか。何事もトライ・アンド・エラーである。随分と痛々しい事もやったが、結果としてはよいものを得られたとは思う。多分だけど学問等の机上の空論は、これと同じ程度の精度だろう。だから現場主義者は教科書馬鹿を嫌うのではないだろうか。

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部活に関して言えば、どうやれば物事を成功させられるのかが理解できたのが大きかった。人間関係は初めから途中までひたすらズタボロではあったけど、僕は不思議と武道それ自体が大好きになり、それこそ24時間そのことばかり考えていた。授業中も技について思いを巡らしていたし、歩いている時も技を練習したりしたしイメージトレーニングを欠かさなかった。このおかげか最終的には全国大会ベスト8という自分にしては信じられないぐらいの良成績を残すことができた。僕はここで生まれて初めて物事に真の意味で熱中するという事はどういう事なのかを理解した。本当に心の底からそれが好きだと、強制されなくても一日中それについて考え続けるのだ(童貞の頃の恋の思いみたいなもんだ)こういうものを仕事にできたら最高なんだろう(ただ残念ながら仕事になりそうなもので、ここまで熱中できるものはみつけられていない。僕を含めて普通の人にはたとえ見つけられたとしても金になりそうもない事ばかりだと思う。僕にとって武道は医者と比べて、マネタイズの選択肢としてはあまりにも分が悪かったので選択肢としてはありえなかった)

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この頃あたりから、自分の周りの人間関係は随分と変化していった。まず男に慕われるようになった(基本的には部活の後輩が多かった)そしてそれと同時に女の子にも少しづつだけど慕われるようになってきた(これはアルバイトなどで会った人達だった)多分これは良くも悪くも落ち着いてきて相手を受け入れるだけの余裕が産まれたという事が大きかったのだろう。だいたいみんな、他人なんてどうでもいいのだ。面白さというコンテンツは必要はそれなりに必要だけど、そんなものはテレビやネットでもそれなりにあふれている。いつだって需要があるのは自分の事をみてくれて、話を聞いてくれる誰かだ。殆どの人は寂しいという感情から脱却できない。

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さて大学の学年が進むにつれて部活も雑務が消えてほんの少し暇になり、再度自分の時間が増えてきた。この頃になると流石に今後の人生の最大のテーマである仕事について、否が応でも意識せざるをえなくなってきた。さすがにやるからには平凡な医者で埋没せずに、それなりに大きな事を成し遂げたい。簡単にいえば一角の人物になりたいと思った。そして今後僕の人生のテーマになる、ごく普通の凡人=何者でもない個人が何者かになるという事はどういう事なのか、という事にもの凄い興味を抱き始める事となった。しかし残念ながら僕の周りにはメンターになるような、お世辞にも尊敬できる人がいなかった。なのでいつも通りそれを本の中に追い求める事となった。そう、自伝である。

とにかく近代~現代にいたる、僕自身が思うすごそうな人をみつけてはその人がどうやって生きてどうやって成功したのかを分析したのだ。ひろゆきさんや堀江さんといった人から、佐藤優さんや西原理恵子さん。羽生善治さんや藤沢秀行さんといった現代将棋囲碁のトップの人達の本も読んだ。古い人ならアインシュタインフォン・ノイマンファインマンといった人の伝記も読んだ。絶望に効くクスリも大好きだったな。これらは単純に面白いだけでなく、実に色々な事を僕に教えてくれた。ちなみに今でも自伝を読むのは好きだ。人の生き方には華がある。

結局この手の何者でもない個人が何者かになる過程で何があるのかをつぶさに観察した所、たった一つの事だけが共通している事に気がついた。何かって?もったいぶらずに言い切ってしまうけど、この人達全員、とにかく無茶苦茶に働いていたのだ。仕事を通じてただの凡人が何者かになるというのが圧倒的大多数の事例としてあげられた(中にはその当時、仕事でないような事に熱中して結果としてそれでお金を稼げるようになっていったという後発的に仕事になったというパターンもあったが基本的には少数だ)

さて自己啓発の実践過程でも学んだけども、本の中に書いてる事と現実は一致する事もあればしないこともある。じゃあということで僕は病院見学に出かけた。しかしそこでの経験は本当に衝撃だった。なんと本当に勤務時間に比例してそこの研修医の質の高さが上がっていったのだ。もちろん下記に示す、ちゃんとした条件を満たす施設だけではあったけど、

大学病院のような雑務が多く自分で判断する機会の少ない、のほほんとした環境の研修医はごく一部には優秀な人がいるのは事実だけど、殆どの人が学生と何が違うのかというレベルで仕事が出来なかった(一部の日系大企業を彷彿とさせますな・・・)

それに比べて沖縄県立中部病院といった超激務系病院の人は、本当に無茶苦茶仕事が出来るのだ。県立中部の研修医2年目の人は大学病院の6,7年目クラスに仕事ができていた。しかも全員がそうなのだ。これは本当に驚いた(外資コンサルとかがこれに相当するのだろうか)

良い施設の条件を付け加えるとすると、基本的には新規研修医募集人数が20人前後で、かついつでも仕事上の疑問をきける気軽な指導医がいる事が多かった(つまり完全放置プレイではない)それに加えて基本的には研修医の裁量が多く配分されており、自分で判断しなくてはいけない場面がとても多かった(つまり上司が責任をとってくれるから、自分でやれるという環境だった)それも関係しているのだろうけど、どの優良研修病院もアクティブな急性期病院であった。あと大学病院などでありがちな下らない雑務は基本的に少なかった。

当然というか僕が大学病院を選ぶはずはなく上記条件に該当する、激務な中規模な超急性期病院を志望しその後2年間、超絶働くこととなった。これは確かに良かったと思う。その功績についてはまた後ほど書くけども(ちなみに有名病院は入れる気がしなかったので避けて、あんまり有名じゃないけど凄い出来る人が多いお買い得病院に入る事にした。いつだって裏道にこそ花は咲いているのだ)

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さて話は前後するけど、部活が暇になってから始めた事に英語学習+米国医師国家試験がある。中田力さんという米国でバリバリ医者をやっていた人の自伝を読み米国医療に感化されたのと、何者でもない自分が何かになるにはアメリカで医師をやるのが一番手っ取り早いのではないかと思い、アメリカで働くことを決意し米国医師国家試験を受験しようとおもったのだ(今思うと実に短絡的である)

さすがにアメリカで働くのなら英語ぐらい喋れなかったらヤバイ。もともと英語学習自体は大学の初年度からやっていたのだけど、この頃に至るまで全く英語が喋れるようになってなかった。様々な勉強理論(シュリーマン、國井、野口さんなどの音読丸暗記やシャドーイング、その他様々な勉強法)を試したのだが、全然駄目だった。

これは自分の努力量の問題というより勉強法が悪いのだろうと判断し再度よい本がないかとたまたま中野の本屋にて出会ったのが、その後僕の人生を大きく変えることになる、あの一冊だった。

そう20歳を過ぎてから英語を学ぼうと決めた人達へである。

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こうして色々書いてみると、意外と自分なりに試行錯誤して学んでいるのだな。こういうアイデンティティの確立の仕方は僕が比較的恵まれていたというのもあるから出来たという事もあるのだろうけど。僕の遠回り人生ですらこれなんだから、子供が生まれたらいい意味で暖かく見守ってあげよう。疲れたから続きはまた明日。

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ある男の物語~takasukaの人生回想録④(完結)~ - 珈琲をゴクゴク呑むように