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珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

ある男の物語~takasukaの人生回想録①~

自伝

理由は後述するけども、人の物語を読むのが凄く好きだ。僕自身も沢山救われてきた気がする。この物語も誰かの人生の救いになってくれたらな、と思う。

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人生の一番古い記憶は、幼稚園生の頃の集団帰宅でウンコを踏んだ時の思い出だ。

あの頃の僕は今と違って随分と明るく、外で遊ぶのが好きな子供だった。公園で蟻の巣を壊したり砂遊びをしたり、普通に普通の子供がやるような遊びが好きだった気がする。5時の夕焼け小焼けの音がなって遊びが終了するのが凄い悲しかったな。何がそんなに楽しかったのか、もう全然思い出せない。前に友達が「子供の頃って走ってるだけで楽しかったよな。あの頃の気持に戻りたい」とか言っててやたらと関心した事があるのだけど、ほんと何でなんだろうね。

小学校低学年の頃も大体同じような生活をしていた気がする。電話を使ってとにかく暇な奴を一人でもみつけては遊びに誘い、その人の家へと一人で訪れにいっていっていた。あの頃は暇がとにかく辛かった。誰かと一緒にいないと辛くて辛くて気が狂いそうになっていた。この気持ちは大学低学年まで持続するのだけど。

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その後一つの変化が起きた。小学校の学年が進むにつれて、母親が物凄い勉強を強制するようになったのだ(父親はどちらかというと反知性主義で、勉強すると馬鹿になると言っていた)今考えると門限になっても家に帰らたがったのは、勉強がしたくないからっていうのもあったかもしれない。あの頃は本当に勉強が嫌いだった。本は当然読めず、漫画だって見た瞬間頭が痛くなったのを覚えている(ちなみに人生始めの漫画は江川達也まじかる☆タルるートくん、だ。今思うと小学生には難しすぎる。ちなみにその後、小学校○年生とかコロコロコミックコミックボンボンなどの漫画を好んで読むようになったけど、今思うとあれは結構文字を読む力を鍛えてくれていたと思う)

その頃の親の思い出というと、とにかく怒られた記憶しかない。父親は子供心にはよくわからない理由で突然烈火の如く怒り狂って、その度に僕にビンタが飛んできた記憶ばっかり残っている。特に金の話を喜んで僕がしていた時に「子供がそんな汚い話をするんじゃない!」と風神雷神の如く怒り狂ったのは今でも覚えている。母親も同じようなものでビンタされた記憶ばっかり残っている。特にテストの点が低かった時は怒りの鬼となった。悪いテストを返される度に家に帰るのが凄く怖かった。付け加えると母親は外に電話するときとか他の人とあう時は声のトーンが僕と話す時と違う事が多くて、なんで同じ人間がここまで違う人格を有しているのだろうと子供心にもの凄い怖かった。だから友達が「高須賀くんのお母さん、やさしそうでいいよね」という度に複雑な気持ちになっていた。大体の人生のつらい思い出って美化されて記憶に残るのだけど、何で親の思い出はこう辛い思い出ばっかりなのだろう?不思議だ。別に毒親ではなかったと思うし、二人共凄く僕の事を愛してくれていたんだろうなと思う。子供はとにかくエネルギッシュだから、そのエネルギーに追いつく為に親は怒りのエネルギーを用いないとついていけなかったっていう事もあるんだろう。

親のエピソードで特に印象深いのは小学生の頃母親が何の脈絡も無しに突然「世界中の全員があんたを敵にしても私だけはあなたの味方だからね」と言ってくれた事だろうか。確か言われた時は恥ずかしくてたまらなかったけど、未だにその台詞は僕を辛い時に支えてくれる。父親はそういうクサイ台詞をいう人じゃなかったけど、その家族愛は背中から伝わってきたし今でもあそこまで信念がある父親というものはそうそういないな、と思う。総じて言えば家族には恵まれていたんだろう。自分もこういう風に子供に接してあげたい。もうちょっとビンタの数は少なくしたいけど。

この頃は僕は勉強がもの凄いで嫌いで、テストの点数も凄い悪く、自分は頭が悪いと心の底から思い込んでいた(今でも思ってる)何故か幼少時から母親から医者になれと念仏のように唱えられていて、この頃は「死んでも医者にならない」とか言っていたな。ちなみに僕の医学部志望の99%は母親の影響だ。多分それがなかったら生物系学部に行っていたと思う。その当時はバイオが流行ってたし(今思うと医学部で本当によかった)

小学校の印象深い思い出というと、あとは祖父が死んだ思い出だろうか。あの頃はよくわからなかったけど、祖父は祖父で結構気難しい人だったそうだ。僕自身はそこまで関わりがなかったので、お年玉で一万円くれるいいおじいちゃんとしか思っていなかったのだけど。生まれてはじめて直面した人の死、というものが物凄く怖くて、葬式の間中泣きまくっていた。それをみて「あの人はいい孫を持ちましたね」とか周りの人が行っていたような気がするのだが、僕はひたすら死が怖かっただけだ。死の恐怖については後々乗り越えられるようになったのだが、それはまた後で話そう。

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そのまま受験せずに公立の中学生へと進学。入学後、母親に「ここから先の勉強は私にはわからん。自分一人でやれ」といわれ唖然としたのを今でもおぼえている。それまではとにかく母親が勉強の時間になると僕の側へやってきて嵐のごとく怒り狂いながらものを教えにきていて、その絶対的女王のような人が「私にはわからない」と言い切った事が物凄く衝撃だった。このころは大人は何でも知っているのだと思っていた。勿論そんなことなく、その後僕は大人は思っているよりもかしこくないのかもしれないと思うことになる。

ただ母親は僕に勉強を教えなくはなったけど、それを外注化させた。とある塾に放り込んだのだ。正直そこで行われていた授業内容は僕には難しすぎて全然わからなかったのだけど、塾にいた同世代の別の中学校の人は個性的な人が多くてその人達に会えるのが楽しみだけで通っていた。ちなみにその難しすぎる授業内容も、数カ月後に中学校で同じ内容を教師が説明するので、その時にもう一度聞くことで理解できた。今思うと塾は効率のよい予習の効果を果たしていたのだろう。本当はこういう効用じゃダメだとは思うのだけど、思わぬよい作用を呈していたな。

そのおかげでテストで良い点を取ることができたため、クラスで突然よいポジションをえられることとなった。僕は小学校高学年の頃から食べ過ぎによりプクプクと太り、デブとからかわれいじめとはいかないまでも、もの凄い辛い立場にいたのだけど、それが勉強ができるだけでこんなに扱いが変わるのかと随分と驚いたものだ。足がはやくなくても勉強するだけで尊敬されるんだ!と随分とその当時の自分には衝撃的だった記憶がある。ただ勉強は相変わらず嫌いだった。

勉強が楽しいと思えるようになった一番初めのきっかけは、中学3年の時に会った塾の数学の先生のおかげだった。この人は今まで会った中でも最もわかりやすい授業をする方で、一ヶ月で僕の偏差値を20も上げたとてつもない講師だった。無茶苦茶に授業中怖く死ぬほど緊張しながら授業をうけていたけど。その頃出ていた東京出版のレベルアップ演習とかいう本を勧めてもらいその問題のパズル的な面白さに俄然夢中になり、僕の数学の偏差値はグングン伸びていくこととなった(英語は全然ダメで、国語は人並み程度だった)。あと何故か偏差値という制度がもの凄い好きになって、都内の高校の偏差値とかをソラでいえるようになっていた。今思うとあれは人の優劣を偏差値という数値で相対的に順位付けするというシステムが幼心に面白かったのだと思う。

それ以外だと部活でテニスを始めたり、ジョジョを集めたりしていた気がする。この頃は本は全然読めなかった。あと女の子も怖かったな。なんか女子と話すだけで恥ずかしかったし。折角共学にいたのにもったいない。

あとは遊び方も変わってた。小学校高学年からだけど、人と遊ぶよりTVゲームをするのが好きな子供になっていった。僕の時代はFF6クロノトリガーポケモン、と今考えてもビックリするような名作ばっかり出続けていた奇跡のゲーム世紀で、ゲームは一日一時間とか制限されていたのだけど、親の目を盗んでとにかくゲームに熱中していた記憶がある。多分この頃から空気を読む能力がどんどん劣化していった気がする。

そんなこんなでゲームに熱中しまくって受験生当時にFF9が出たこともあり、高校受験はものの見事に失敗して通学で一時間半もかかる遠方へとかようはめになった(近くの高校に全て落ちたのだ)

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その後、とある男子校にはいる事になった。部活は初めはテニス部に入ろうかと思ったのだけど、いきなり2km走らされて嫌になって一度で行くのをやめた。そもそも中学時代に部活は自分の時間を著しく減らす事がわかっていたので、帰宅部に入ろうと思っていた。実際問題帰、帰宅部になってみるとビックリするぐらい暇で、おまけに家が遠いせいもあり友達の家にいって遊ぶという事も俄然減ってしまいもの凄い暇な時間を過ごすことになった。家に一人で何もせずにボーっと2時間とか過ごしていると、あまりにも暇すぎて死にたくなったのを今でも覚えている。結局それがもの凄い辛すぎて、必死でゲームをやったり漫画やライトノベルを読んで時間を浪費していた。漫画は色々読んだけど、特にジョジョとか寄生獣ラブひなが大好きで冗談抜きに100回ぐらい読んだ気がする。当時は秋葉原のフジヤマデパートで、漫画がラップされていないで置いてあってとにかく暇を見つけては面白い漫画を探していたものだった(その後はその場所はブックオフへと移っていった)あとエロに興味を抱き、そこでまあ生身の女性にいけばいいものの何故かエロゲーに手を出し、そして思わぬその文学的面白さに本来の意味とは違う形でドップリとはまることになった。まずAirで人生を壊されれ、ONEに心を粉々にされた。そして月姫の凄さに圧倒され、Ever17に脳味噌を打ち砕かれた。ただこのオタク知識が後々役に立ったりしたので、人生は本当によくわからない。

当然というか勉強は嫌いだったので、テスト一週間前以外は全くやってなかった。あと高校生になってから勉強内容が極端に難しくなったこともあり、入学当初はトップクラスの成績だったのだけど(大した高校ではなかったということもある)、その後どんどんんと成績を下げていくこととなった(確か卒業時は下から数えて50番目とかいう成績だった)

ただどういう風の吹き回しなのか「医学部に入ろう」とこの辺から思うようになり、高校二年生ぐらいから無茶苦茶に勉強するようになった。ただ頭が悪いというのと、買ってくる参考書が青チャート(今はどうだか知らないけどあの当時はもの凄い解答が不親切でわかりにくかった)とかのちょっと馬鹿が使うには難しいものばかり選んでいて、勉強時間は多いのに全然偏差値が上がらない状態がずっと続いていた。でもまあ思い込みというものは恐ろしいもので、高校三年生4月の河合塾の模試で偏差値32とか叩きだしているのにもかかわらず「俺は医学部に入るんだ」と理解できない最高レベルの参考書をお経を読むかの如く暗唱し続けていた。いつか突然頭がよくなるに違いない!と確信して。

当然そんなことでは偏差値は上がらず一浪へ。そしてそれを一浪の秋まで続け、ようやく簡単な参考書から少しづつレベルアップしていかなくてはいけない事に気がついたのだが、少々気がつくのが遅く医学部レベルまでは追いつけず、そのまま二浪へ突入。そのまま死ぬ気で勉強を続けつつ集中力が切れたらブックオフへ行き漫画を読む生活を続け、ようやく医学部へ合格。よくもまあ親も二浪もさせてくれたもんだ。

ちなみに一浪・二浪と友達は一人も作らなかった。これは当時通っていた予備校の合格者体験談に「私はスタート時点で全然勉強が出来なかったので、友達を一人も作らずに勉強だけに専念しました」という文章を読んで感化された事が大きかった。今考えると別に友達を作らなかったら合格できるわけではないのだが・・・

大学受験で得られたものはたくさんある。まず各科目を修得する過程で勉強のやり方というものがようやくわかった(基礎→応用、という当たり前の流れではあるのだが)とある学問を体系的に身につけると、今までは見えてこなかった様々な背景が文章の中にあり、それがうっすらと裏に隠れて見えるようになるという事を学べたのも大きかった。面白おかしく書かれたアンチョコ本を何冊も読むよりも、教科書を何度も読み返して体系的に知識を身に付けた方が習得できるものが何十倍も多いという事もわかった。そして学問を修得することでようやく文章をそのまま読むのではなく、批判的に文章を読み込めるというラインに立てる事に気がついた。

後この頃、凄く自己啓発本にハマっていた。色々な高校の教師から「本を読め」と言われてきたのだが、どうも本は読めない(漫画とラノベとエロゲはやれるのだけど。今思えばそれがいい文章読解訓練にはなっていたのだが)。ちょうどブックオフは漫画の立ち読みが自由という事もありよく通っていた時に、自己啓発というよくわからないラグがはられたコーナーがあることに気がついた。そこには岩波文庫などにはない、魅力的なフレーズが散りばめられていた。

やれ「人の心を操る方法」やら「速読を習得して本を100倍読めるよになる方法」やら「集中する方法」やら「睡眠時間が2時間になる短眠法」やら。幼かった僕はそのキラキラした魔法のような言葉に吸い込まれ、一浪の頃あたりからだったと思うのだけど勉強の合間に食い入るように自己啓発本を読み耽るようになった「はっはっは、僕はこんなにも沢山の人生成功法則を身につけてしまったようだ。あとは医学部に入れば人生が全て上手くいくぞ。しかし著者は馬鹿だなあ。こんなにも有益な情報をこんな安い本に書いちゃうなんて」とか今思うと馬鹿みたいに恥ずかしいことを思っていたような気がする。ただこれらの本も、今の読書癖の礎になったのだ。人、特に僕のような阿呆ははいきなり本を読めるようにはならない。漫画→ラノベ自己啓発→ビジネス本ときて、ようやくちょっとお固い本が読めるようになるのだ。なにごとも助走段階が大切だ。高校生は楽しんで自己啓発本を読み耽るがよい(もちろんいつかは卒業してくれよ)

あとブログを書いていたな(残念ながら消しちゃってるけど)とにかく寂しさからは逃れられていなかったので、胸のうちにたまる鬱憤をどうにかしてはらしたくてそれを文章に落としこんでいた気がする。これも後々役にたったりするのだから、人生打ち込めるものは何でもやるもんだと思うよ。まあTVゲーム、とくにRPGはやりこんでもあんまり人生に益が少ないけど。

さてここらへんで一旦書くのを止めるかな。続きはまた今度(追記もするかもね)

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続き→ある男の物語~takasukaの人生回想録②~ - 珈琲をゴクゴク呑むように