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珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

人生の意味という中二病的な悩みへの回答 ~日本の風俗嬢を読んで~

オススメ本

またえらく久しぶりになりました。さて今日も一冊いきましょうか。

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本書日本の風俗嬢は、その題名ままで現在の日本の性産業である風俗業についての実調査書であります。初めの方はまあ普通にデリヘルやらソープやらの説明が書いてありますが、本書の魅力はその後にある「どういう人が性産業で働くのか」「それで金を得て、女の子たちはどうしているのか」という部分の記述が素晴らしい。

 

前に職業としてのAV女優という本を読んで、既にAV業界が屈指の競争率で志願しても女優にすらなれないという現実を知って随分と世知辛い世の中になったなぁと思ったものですが、現在はその余波はもうソープ等の性産業にまで及んでいて10人面接したら合格するのは精々3人とかそういう世界なんだそうだ。

 

著者はそれを「現代は体を売りたくても売れない初めての時代かもしれない」と記述していて、ああほんと日本って生きにくい世の中になったんだなぁとしみじみしてしまう。

 

そもそも体を売る女の子というのは基本的にはパターンは2つ。

 

1.地方から大学進学し、学費と生活費を自分で全額工面しなくてはいけない人。

このパターンだと、例えば飲食やら家庭教師やらで稼いだ所で精々月に15万が限度。一ヶ月死ぬほど働いた所で精々それしか稼げないと、そもそも生活が成り立たないし勉強の時間も全然取れない。でも性産業だと時間の融通もきくから勉強もできるし、それなりに稼げるから貯金もできる。

 

んで稼いだお金で大学をキチンと卒業し就活をなんとかこなして、一般企業に就職するんだそうだ。まあ大体の場合、こういう女の子は風俗があって本当によかった。。。と感謝するパターンが多いみたいなんだけど(まあなかったら中退して就職先も真っ暗で先行きがないからな。。。)

 

2.もう1つは現在が激務薄給ブラック産業に努めていて、こんな下らない搾取産業にいるぐらいなら性産業の方が待遇もよく、やりがいがあるという事を知ってしまう人。

 

特に最近は介護職関係からの風俗業への転身が凄い多いみたいで、基本的には体を相手にする職業だからそんなに抵抗感なくすんなり移行出来てしまったりするらしい。

 

介護にかぎらず色々な職業について、マスコミはやりがいだとかそういう夢を提供しているけども、現実は陰鬱としている職場環境だったり激務の割に手取りも16万程度と全く割にあわない事も多く、結局賢い人ほど自分が搾取されているという現実に早々と気がついてしまうらしい。

 

そういうキラキラした夢だとかやりがいだとかに見切りをつけた人が、性産業に行ってキチンと対価に見合った収入を得ると、もう以前のような搾取生活には戻ることもできずそのまま風俗嬢へと移行するパターンが凄く多いらしい(同種の職業としては美容師、アパレル、キャバクラ等もあるらしい。実は看護師も結構ありますね)

 

前者も後者も共通して言えるのは、現代日本において対価に見合った収入を得られる職業というものが非常に限られたものになりつつあり、それを得るための椅子取りゲームが激烈に熾烈化してきてしまっているという現実がどんどんと迫ってきているということ。

 

そしてその椅子取りゲームに参加するためには、一流の大学を卒業する必要があり、そのためにまた金がいるという。

 

もうこの話を聞くと、生活に最低限必要な糧を稼ぐための手段を得るために、学費やら何やらで金がいるという、金を稼ぐために金を使うという全くもって手段と目的が逆転しているというかなんというかという、現代の椅子取りゲームの苛酷さを切実と感じちゃうね。。。。

 

そしてその椅子取りゲームに乗れなかった人の最後のセーフティネットとしての性産業という椅子がちょっと前まではあったのに、すでにその椅子ですら倍率が3倍を超えてきているという現実。

 

果たして日本はどこにいくのでしょうかね。

 

んで表題の話に戻るんだけど、である程度お金を稼いだ風俗嬢っていったい何をやってるのかというと、実際問題何もやらないんだそうだ。普通に家でネットしたりテレビみたりしてたり、ぼーっとしていたりする人が多いんだってさ。

 

だからベーシックインカム制度が仮に成立したら、風俗嬢は物凄く減るんじゃないだろうか、という予想すらたってしまうらしい。

 

突然なんの前触れもなく、このなんの変哲もない文章を紀伊國屋にて読んだ時、果たして人は何のために生きるのかという長年の疑問のうちの一つが僕のなかで氷解してしまった。

 

ぼーっとしたいのだ。

 

今まで全然そんなこと考えなかったんだけど、そう考えると僕の中で色々なものが合致してしまうんだよね。勿論全ての人はそうだとはいわない。けど僕を含めた一般大衆にとっての究極の目標というのは、ぼーっとする事に集約されてしまうのではないだろうか。

 

というかつきつめて言えば、ぼーっとできる安心が欲しいのだ。何の不安もなく、テレビを見たり漫画をみたりネットをする。その行為には勿論なんの意味もない。

 

でも少なくともそこには不安がない。その安心を究極の形に集約したのが、ぼーっとする事に行き着いているような気がしてならない。

 

ああこれが上手く文章で表現できているか物凄い自信がないんだけど、こんな事実を知ってしまった今、ほんと今後どうしようか困ってきてしまったのですよ私。

 

いやはや凄い本である。是非皆さんには偏見を捨ててお読みいただきたい。

 

僕はこの本を読んでかなり真剣に頭を抱えてしまっていて、そんな中何が自分にできるかというと、やっぱり僕にできる一番の事はどんな形でもいいから文章を書いて書いて書きまくって、読んでくれた人の人生の+αになってもらう事なんじゃないかと思ってきたよ。

 

というわけでまたやれるだけやってみますか。ブログ、再開や(・ω<)