【改訂】英語を喋れるようになりたいなら音読は無駄。
これから英語の音読について書いていきます。
ほとんどの人が意識していませんけど、音読は目的がしっかりしていないと無駄にすらなります。
音読は一部の学習者がやたらと推奨していますが
少なくとも英語が話せるようになるという観点のみに絞って言うと大変無駄が多いです。
このとことは@mayromaさんもおっしゃっていたし、書籍だと
英会話学校に行かない人ほど、うまくなる...http://t.co/SJGt7Jv
などでも言われています(この本凄くいいです。) これは脳科学的な観点でもある程度説明ができます。
言葉が口から出るまでには三段階のプロセスを経る必要があります。
第一段階が脳から情報を取り出す段階。
これは何か物事を思い出すときに、脳にある情報の海から曖昧な記憶を取り出す段階です。 よくド忘れしたときに「ええっと・・・あれだよ、あれ」となるときがありますよね?まさにそんな感じ。
第二段階は、脳の情報の海からひっかかった幾つかの候補をふるい落とす作業です。
例えば紫のつやつや野菜を思い出すときに、ナスという情報を脳はひっぱってくるのですが、この時に似た言葉(ナシとか)や似た概念(ズッキーニとか)もついでに持ってきてしまいます。これをふるい分ける作業です。
第三段階は、思い出せた概念と言葉が脳内でくっついて口から出る事です。
この三つを経てやっと人間は言葉が喋れるのです。
さて、では喋れるようになるために音読する事は何が悪いのでしょうか?まず先程から書いた事を振り返ると、まず何か文章を見ながらだた音読のみするという行動は、第一段階と第二段階を思いっきりすっ飛ばしています。 これでは頭の中に喋るための回路がまったく構築されません。
これが日本人が英語をいつまでたってもしゃべれない理由のうちのひとつでしょう。つまり、英語を喋るためには本当は、何も見ないで口から英語を出す作業をしなくてはいけないはずなのです。卑近な例をだせば音読はひたすら補助輪付きの自転車にのるようなものです。
では音読は何が身につくのでしょうか?音読推奨本などを見るとTOEICの点数があがった、なんていう体験記が書いてありますが、このようにTOEICで必要とされる英語を英語で理解するための読解力のようなものの向上には恐らく寄与しています
語学の読解にはある程度、リズムのようなものと、その言語をそれ自体で理解するという作業が必要不可欠です。音読は読解力の向上には大変やくにたつのだと思います。でも音読するだけでしゃべれるようになる、と言い切ってしまうと恐らく嘘になります。
ちょっと黒い話になりますが、学習産業は生徒がある程度成長の実感を感じつつ、ある程度のレベルで留まってくれるのが一番カモの対象になるわけです。大体、生徒に音読しろ!っていうのすごく簡単じゃないですか。頭使ってものを教える必要ないし、しかも音読すると勉強した実感はすごく湧きますから
瞬間英作文をやって英語が喋れる人が出てきたのは、おそらく先ほど述べた第一段階と第二段階を、日本語の文章を英訳するという段階を組み込むことで、強制的に発語のプロセスに組み込めたからではないかな、と僕は分析しております。
このように、音読に限らず、この手法を取ることで何が得られるのか、をキチンと意識する事はカモにならない必要最低限のことです。何かを学びに行くときに、教師の人にそれを尋ねる事は欠かしてはいけない事の一つでしょう。世の中には善意でどーしょうもない事を教えてくれる輩もいますから・・・
なんでもそうだけどなにかをするとき、自分の中でそれをする目的が何なのか分かっていたほうが断然説得力をもって出来ると思います。そうすると三日坊主で終わるということが少ないと思いますしね。