珈琲をゴクゴク呑むように

アツアツだよ(´・ω・`)

「このハゲー!」

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「ちがうだろー」「違うだろー!」

 

 

 

「このハゲ?」「ちがうだろ?違うだろ?」

  

「Is this hage?」「 NO!NO!」 

 

「この坊主~!」「ちがうだろーハゲだろー!」

 

「このハゲー!」「Think different!」

 

 

 

 

 

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「このハゲー!」

 

「ちがうだろー」「違うだろー!」

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不思議の国ジャパソに住む三種の人種

コンニチワー。ワタシ、不思議の国ジャパソがダイスキなマルキド・マルクやねん。

 

今日はワイが寝っ転がりながら街を歩いて観察した、不思議の国ジャパソに生息する3つの人種について紹介するよ~(⌒▽⌒)

 

1,ヤンキー

これは義理と人情を第一に行動するタイプの人種やねん。

 

彼らにとって、いちばん大切なのはメンツと体裁。かっこよくない生き方をして恥を晒すのは死よりも不名誉だと心の底から思っているみたいやね~。

 

彼らの中にも上位種族と下位種族がいる。上は実業家のように、とにかく溢れんばかりの行動力で周囲をまとめ上げて権力やカネを手に入れる、マッチョな生き方を信望としているようダネ。

 

その中間ぐらいには地方でマイルドヤンキーをやってるようなのもいれば、あまり輪の中に溶け込めずに寂しくつっぱって生きるような奴らもいるようなのさ。

 

ヤンキーは知的な生き方とは親和性がそんなに高くない事が多いから、頭がよくたってあまり学力とか知力のようなものに頼らず、可視化しにくい人間力みたいなので生き残る傾向がつよいようデスネ。

 

ま、いつの時代もお山のテッペン取りたがるのは人間のサガやろうし、そういう勝てば官軍負ければ賊軍みたいに勝ったら総取りだけど、リスクとって負けたら死人に口なしの生活が好きなんもええんちゃいますか?総じて言えば、この人種はハイリスク・ハイリターンを好むタイプの人間っちゅうわけやね。

 

2,オタク

これは義理人情みたいなクサい人間関係が嫌いで、どっちかというと知識とか頭を回して興奮するのが好きなタイプの人種やね。

 

こいつらの上位種族はシリコンバレーでギーグと呼ばれているような連中のように、知的産業でどーのこーのしているタイプの人が多い傾向にあるみたいね。机に向かってコツコツ勉強するのが得意なやつも多いから、高学歴になってそれなりのサラリーマンとしていい身分をぶんどるタイプの奴もおるようやね。

 

地方とかでヤンキーが死ぬほど嫌いで共存できんって奴は、ダイガクニュウシっちゅうやつでトカイのガッコに死ぬ気で入り込んでこの手のコミュニティに入るって奴もおるようや。トカイっちゅうのは豊かな場所やからな。資源がない場所とは違って、義理とか人情では回ってない場所もまだまだあるっちゅう話やね。

 

キャラクター柄か、あんましお山のテッペン取りにいくのは好まんようやけど、最近はこのタイプでもイきって天下取るタイプもまあおるみたいなやぁ。

 

これの下位種族は人に使われるオドオドしたような連中やな。ヤンキーみたいに義理人情があまり好きやないようやから、人間関係がド熱い職場はあまり向かんけど、かといって一部上場企業の正規雇用みたいな特権階級に入り込むぐらいの机に向かってコツコツやるのが得意で無かったオタクはまあ悲惨やな。気に入らんカシラのタマとったる気概もないから粛々と心を壊して現場からバーンアウトしてまう事も多いようやね。

 

ま、総じて言えば勉強さえすればなんとかなるし、ミドルリスク・ミドルリターンぐらいの人種ちゃうん?

 

3,障害者

これは可哀想な人たちやね。大まかにわけると、発達障害、知的障害、精神障害、身体障害の4つの区分があるみたいやね。

 

この中で割とマシなんは発達障害と身体障害やなぁ。ヤンキーヘッドみたいに人間力あるタイプの奴とか、ギーグみたいな知力のあるタイプの奴はなんとか能力駆使してそいつらのシマ入り込んで領地を獲得したりする事もあるみたいや。ジャパソではオトタケっていう奴がこの部族のTOPっちゅう噂やで。

 

ただこれらはいずれもハイスペックかつ本人が運に恵まれた結果みたいやし、なんていうか普通に障害無く生まれてきたらもっと生きやすかったやろうなぁ。世の中世知辛いで、ホンマ。

 

残りの知的障害と精神障害はなんちゅうか悲惨やわ。そういう人種でも野垂れ死にしてない分だけジャパソは豊かで素晴らしいっちゅう話もあるみたいやけど、ヤンキーとオタクよりかは遥かに生きる難易度が高くて大変やろなぁ。

 

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これらの分類はわいの短い滞在期間中の寸評やから、あんまし真面目に読まんといてくれると助かるわ。

 

けど不思議の国ジャパソでは、面白いことにこの3つの人種が時に交わり、時に住み分けつつ、不思議とそこまで争いがなく共存できてるっちゅうのが面白いところやと思うな。

 

海には表面と深海があって、上がトビウオみたいんが生きてて下は深海魚みたいなんが生きてるよーに、それぞれ別々の生き物がお互いに干渉せず好き勝手暮らしている光景があるように、ジャパソっていう国もうまい感じに生息空間の住み分けがうまくいったから、この3つの種族がいい感じに共存できてるのかもしれへんなぁ。

 

まあヤンキーはヤンキー内で、オタクはオタクで、弱いもんは弱いもんでそれぞれ争うこと無くお互いの領分でなかよくやってるようで、素晴らしいやないか。

 

ウチの国もこんな感じでうまいこといかへんやろかねぇ。見習いたいもんやわー。

 

長くなってすまんな。ほな、また。

レストランだけでなく、客側も正当に評価されるべき時代がやってきた~うどんが主食さん問題を考える~

有名食べログレビュアーである「うどんが主食」さんが飲食店側から過剰な接待をうけていたという事を告発されて炎上した。

 

bunshun.jp

 

実はうどん氏については2~3年前から有識者間で

 

「態度が悪い」

 

「味じゃなくてヨイショしたかどうかで高評価が決まる」

 

などなど色々と言われていたが、今回の文春砲により決定的に信用を失ったと言っていいだろう。

 

魑魅魍魎だらけのグルメ界

実はうどん氏に限らず、飲食店業界は珍妙な人がたくさんいる。その惨事については友里氏の本に詳しい。

 

グルメの嘘(新潮新書)

グルメの嘘(新潮新書)

 

 

以下簡素に問題点を書くとこんな感じである。

 

1.そもそもグルメライターは専業だと年収が300万程度である。

 

2.その年収で果たしてキチンとレストランを評価に値するほどまわれるのかというと、当然の事ながら不可能。必然的に、タダ飯を要求したり、予算をかなり厳しく制限して店側に特別料理を作らせるという事を行わざるをえない。

 

3.つまり、そもそも取り上げられている店が最初の段階で選別されてしまっている。結局のところ、本当に美味しいから紹介されるのではなくグルメライターに媚を売ったお店がメディアに出て、良心的なお店は見向きもされない。

 

まあこの他にも色々な指摘はあるのだけど、この時点でグルメ業界がいかに偏った状態にあるかがわかるだろう。うどんが主食さんのようなアヤシイ存在は氷山の一角でしかない。

 

食べログはある意味では画期的なサービスだった

そういう意味では食べログはかなり画期的なサービスだった。

 

もともと東京いい店うまい店、東京カレンダー、ミシュランといった、ある種の経済活動の元に成り立ったメディア媒体しかお店の宣伝がされるルートがなかったグルメ界において、なんのシガラミもない野生のグルメや素人の素直な意見がオープンネットワークに表出するというのは、革新的なイベントと言っても過言ではなかった。

 

もちろん評価者は素人が圧倒的に大多数なので、飲食のプロからみると「こいつ何も料理の事わかってねぇな」という評価をしている人も非常に多く散見されるという問題はあったのだけど。

 

これが原因で、レストラン側が素人による心無い発言により余計にイライラさせられるケースも多々あったのは事実だ。このあたりはなんというか申し訳ないという気持ちもかなりある(僕も専門である医療について、よくわかってない人からアレコレ勝手に言われるのは腹がたつので気持ちは非常によくわかる)

 

ただ総体としてはかなり食べ手のレベルが向上するのにも役にたったのは事実だろう。情報は、ゼロだと何も産まないが1でもあればそこから何らかの知見が生まれ得るものだ。食べログは、そういう意味では信頼できる食べ友達を持たない在野のグルメや素人に多大なる知見をもたらすキッカケとなっただろう。

 

だが悲しいことに、食べログもどうやらかつての駄目グルメを量産するツールとしての道を歩みつつあるようだ。いったいこれからのグルメ業界はどういう道を歩むべきなのだろうか。

 

美味しいものが食べられないのは、あなたの指示出しが悪いから

仕事というのは指示出し・下請け、どちらも優秀ではないとよい成果は生み出せない。

 

上司が無能でアサッテの方向を向いた指示ばかり出していたら部下は困惑するし、どんなに上司が明晰な指示を出しても部下があまりにも無能過ぎたら成果がでない。

 

実はレストランについても全く同じことがいえる。

 

レストランにおける成果物は料理だ。

 

客がシェフの得意な調理をキチンと把握し、食材の旬、自分の味の好みをキチンと把握した上で自分が美味しいと思えるものをキチンとシェフ側にオーダーできれば、同じレストランでも出てくる料理の質はガラッと変わる。

 

実はレストランで美味しい食事が食べられない問題は、かなりの割合において食べ手にも問題がある事は知られていない。

 

食べロガーが「あそこのレストラン、全然美味しくないわ」と言っている傍で、レストランもレストランで「あの客、なんもわかってねーよ」と言ってたりするのである。

 

これって無能な上司と無能な下請けの会話、そのまんまじゃないだろうか?

 

つまりレストランはレストランで「あの客の指示出しがクソだ」と言ってるわけで、客は客で「あのレストランは俺の要求を全くわかってない」と言ってるのだ。

 

これはある意味、双方の情報のやり取りがうまくなされなかった上に生じた不幸だと言えるだろう。

 

食べ手は美味しい食事という成果物が欲しい。けど正しい指示の出し方を知らない。

 

レストラン側は客がどういう食材を美味しいと思うのか、どういう調理を好むのか、という情報が欲しい。けどそれを知る手立てがない。

 

そろそろ客側もしっかり成長するべき

この点、食べログはある意味では素人客による要望の塊みたいなものである。もちろんというか、個別の客による要望ではないので、レストラン側が客側の要望を上手く汲み取るのにはかなりしっかりとした情報分析が必要だけど、そこにあるのはゼロではない。少なくとも1の情報がある。

 

ただ残念ながら、指示出されサイドであるレストラン側からの食べ手への評価はまだゼロだ。あなたの指示がどう悪いのか、逆によい指示出しをしてくる客というのは、どういう人間なのか、についての知見は、全くといっていいほど蓄積されていない。

 

グルメ界が次の段階に進む為には、そろそろ食べ手側もしっかりと成長しなくてはいけないのである。食材の旬の把握、調理方法、その他諸々の諸事情について、正当な情報のやりとり無しには私たちは総体としては一歩も先へすすめない。

 

というわけで食べ手→レストランへの評価が下されている「食べログ」の逆の、レストラン→食べ手への評価が下される「食べ手ログ」についての導入をカカクコムさんは真剣に考えて欲しい。

 

旨味はまだまだ先にいける。食べ手も作り手も、思うところはただ一つ。「美味しい」の一言なのだから

よいモノというのは、ある種の鏡のような性質を含有している

<この記事の編集後記みたいな話になります。単独で呼んでも読めるような形にはしていますが、合わせて読むともっと面白いかもしれません>

blog.tinect.jp

 

この記事を出した後に、増田で強烈なのがあげられた。読んでて思わず大笑いしてしまった。

 

anond.hatelabo.jp

 

リンク先の文章は、ミクロに教科書の記述を比較していろいろ検討してあり、ああそういう風にも読めるんだな、と学びが多かった。

 

個人的には総体として教科書を読んだときの読後感についての記述を行ったつもりだったので、こういう形での反論?は想定しておらず「そうかこういうのも需要あるんだな」と非常に新鮮だった。

 

まあそれは置いておくとして、本題はここからである。

 

この記事のブックマークコメントに

 

 

あの記事は「修学旅行で中学の時行った奈良京都はつまらなかったけど大人になって行ったら超面白かった!」といっているのとほとんど一緒ですよ。

 

というのがあった。これはまさに僕がいいたかった事を上手く表現している。

 

大人になると、様々な情報が自分の中に蓄積されていく。

 

教科書もまっさらな状態で読むのと、様々な情報を持って読むのとではみえる風景が異なるように、京都や奈良といった古都を歩くのも、まっさらな状態で行くのと色々な情報を身に着けた後に歩くのでは、感じ方が全く違う。

 

最近になって、このような年齢の違いで感じ方が完全に変わるタイプのものこそが、本当に価値のあるものだよな、と思うようになってきた。

 

名作とか古典とかそういう風にいわれるものは、いずれも全てそういう性質を含有している。

 

例えば太宰治人間失格。僕はこの本を若い頃に読んで

 

「なんでこれがこんなに名著って誉れ高いのか全然わからん。ドラゴンボールの方が100倍面白いじゃん」

 

なんて思ったのだけど、最近になって読み返してみると、10代の頃に読んだ時に受けた印象と150度ぐらい違う感情がフツフツと湧いてきて

 

「あれ?こんな本だったっけ?」

 

と妙に心に沁みてしまったのだ。

 

よいモノというのは、ある種の鏡のような性質を含有している。

 

京都や奈良は、年を取れば取るほど、見え方が変わっていく。

 

山川の日本史の教科書も、人生経験の違いで異なる場所に行間がみえるようになっていく。

 

太宰治人間失格も、共感できるかポイントが年々ズレていく。

 

これが成長なのか、それとも余分なものを抱えてしまった事を単純に示しているのかはわからない。

 

ただ、そういうある種のノスタルジーを楽しめるようになってきて、年をとるのも悪いもんじゃないな、と思えるようになってきたのである。

 

この次の10年後に、僕は京都・奈良、山川の日本史、人間失格をどういう風に楽しめるのだろうか。そう考えるだけで、なんていうかもう凄く心がわくわくしてしまうのである。

 

人生とは、実に味わい深い。

ガンガンコミックスと科学系のKindleセール、オススメ本のまとめ

だいたいどれも50%以下。以下オススメ本のまとめ。興味あるものあったら是非~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昆虫はもっとすごい (光文社新書)

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かわいそう・かわいい戦略なんて選ぶな。自分の自由は自分で選べるようになれ

<この記事の編集後記みたいな話になります。単独で呼んでも読めるような形にはしていますが、合わせて読むともっと面白いかもしれません>

blog.tinect.jp

 

もともとこの記事を書く発端となったのは、池田信夫さんのあの大炎上した記事が発端だった。

 

「動物には人権がない」というのは言われてみればまったくもってその通りである。ペットは家族だという文言が通用する位に犬・猫は私達人間に受け入れられているにも関わらず、人権が付与されていないというのは非常に興味深いな、と思ったのである(これはデリダが晩年真剣に考察したテーマらしく、僕も後日関連書籍を読もうかと思っている)

 

本文中にも書いたけど、「女性が男性を養いらがらないのは、男性がかわいくないから」という着想を得たのは、街でメチャクチャにかわいいチワワがトテトテと散歩している姿を見たときだった。

 

「あー犬めっちゃカワイイな。僕も飼いたい」

 

「ん?考えてみるとペットは普通にみんな養ってるけど、男性を養ってるって人の話は聞いたことがないぞ?」

 

「ひょっとして・・・男性って全然かわいくないから女性に養なってもらえないのでは(´;ω;`)」

 

というのが一応の思考の流れだ。

 

人権も付与されてない存在を私達がなんで家族として養っているのか、という事を真剣に考えていくと、結局のところかわいい以外に養うという理由を裏付けるような理由が全くみあたらなかったのである。

 

こう書くと「かわいいってメッチャええやん」と思うかもしれないけど、実はかわいい・かわいそう戦略というのは、外からみえるほど楽ではない。犬・猫はかわいくなくなった瞬間、殺処分にあう危険と隣合わせだ。かわいさ・かわいそうさを売れなくなった瞬間に、彼らの生存権は無となる。

 

実はこれは人間においても全く同じことがいえる。生活保護の人間は国民のかわいそうさレベルが一定以上に高まっているが故に、生活保護をうける事が可能となっているが、彼らが昼間からパチンコに行ったり、裏で贅沢をしていたりすると、一瞬でかわいそうレベルが無となり、基本的人権が脅かされるようになる。

 

かわいい・かわいそうを売ってお金を稼ぐということは、ある意味では人権を売ることに等しい。先ほどの生活保護の人間なら、おそらく部屋で黙って本を読んでいたりする分には、かわいそうレベルは全く毀損されないけど、パチンコをやると一瞬でかわいそうレベルが消失する。

 

どちらの行為をおこなおうが、基本的には自由なはずなのに、かわいそうにより保障をうけていると、パチンコという行為がいきなり不謹慎なものになる。これは改めて考えてみると凄い興味深い現象だ。かわいそうな人間が保障をキチンと受け続けるためには、自由が制限されなくてはいけないのである。

 

王子様を待たないで。お寿司も指輪も自分で買おう。

西原理恵子氏が、娘へのメッセージとしての新刊を上梓された。タイトルは「女の子が生きていくときに、覚いていてほしいこと」である。

 

 

そこで冒頭から氏はこう言う。

 

「王子様を待たないで。お寿司も指輪も自分で買おう」

 

これってつまり氏はこう言ってるのだ。

 

「かわいそう・かわいい戦略なんて選ぶな。自分の自由は自分で選べるようになれ」

 

男に頼って生きるというのは、つまるところ程度の差こそ多少あれど生活保護の人の生存戦略とそこまで変わるものではない。かわいいからこそ養われるのであり、かわいくなくなった瞬間から、あなたは程度の差こそあれ自由がどんどん制限されていく事となる。

 

これを暗にわかっているからこそ、専業主婦は家庭の財布のヒモを握りたがるのだろう。獲物(収入)が自分の手元を通過するようにして、夫による恣意的な自由を制限しコントロールしないかぎり、永遠にかわいそう・かわいい戦略の中で生き続けなくてはいけないのだから、そういう選択を旦那に迫りたくなる気持ちは非常によくわかる。

 

本当に、かつての女性は大変だっただろうな、と思う。「男は仕事、女は家庭」という単語は自分が女性だったらと考えると身震いする(そういう意味では女性が社会進出しやすくなった事については非常に喜ばしい事である。男女平等バンザイ)

 

それならば荒野で餓死するリスクがいくらあろうが、やっぱり自分はライオンのような自由な存在でありたい。たとえその過程で自分の命を断つような選択を迫られる事があろうが、かわいそう・かわいい戦略で生きながらえるよりかはよっぽど個人的にはマシだと思ってしまうのだ。

 

日本人男性が健康・経済的理由で自死を選ぶのも、たぶん同じような気持ちなんじゃないだろうか?

 

統計的には40~50歳の中年男性は、健康もしくは経済的な理由を背景に自殺するという傾向がある。これをみて「なにも死ななくてもいいのに」と思う人も多いかもしれないけど、僕は自分が改めて同じような立場に置かれた時、ぶっちゃけ死んだほうがマシだと思ってしまう人の気持はわからくもないのである(当然ながら自殺を推奨するわけではない。そういう選択肢が認められる自由があってもいいと思ってるだけである)

 

だって昼間っぱらからパチンコいくだけで不謹慎とかいわれるんですよ?それって無茶苦茶辛くないですか?

 

こんな時間にこんな下らないブログを書いてても誰からも怒られない自分の身分には、死ぬほど安堵しかありませんね。まったく、かわいい。かわいそうで生きるのは地獄だぜ。

VALUってぶっちゃけバブル期に流行ったゴルフ場の会員権と同じ事でしょ?

またインターネッツ界で業の深いコンテンツが登場した。その名もVALUという。

 

valu.is

 

またしてもイケハヤちゃんが金の匂いを嗅ぎつけたからから連日バルバルうるさく喚いているので、まあどんなもんかなと覗いてみた。雑感としては表題の通り、「これ、バブルの頃に流行ってたゴルフクラブの会員権と全く同じ仕組みの商品やん」というのが率直な感想である。

 

どうやらイケハヤちゃんもVALUがどんなものか全然わかってないようなので、とりあえず技術的な事のうんぬんは置いといて、VALUがどんなものなのかを以下で書いていく事にしよう。

 

VALUの流れ

VALUでアカウントを作成するには、まずFacebookのアカウントが必要だ。FacebookのアカウントでVALUのページにログインし、色々と基本情報を入力してVALUのアカウントを作成する。

 

VALUのアカウントはその他にもTwitterInstagramといったSNSを登録する事も可能だ(今現在、Facebook抜きにTwitterInstagramだけではアカウントは作成する事ができない。だから匿名の人は匿名用のFacebookアカウントを作成する必要がある。今後改善していくとは思うけど)

 

VALUにこれら3つのSNSを登録すると、ビットコイン換算でVALUアカウントの価値が提示される。ちなみに試しに僕が作ってみたところ、8ビットコイン相当の価値があるもの、として扱われた(時価総額だとだいたい200万程度)

 

ここで「えっ?そんな簡単に200万円も貰えるの?」と思うのはさすがに早合点だ。これはあくまでVALU内部で試算した「この人にはこれぐらいの価値があるよ」という目安であり、この時点では僕には一円も入らない(当然だ)

 

その後、アカウントがVALUの審査に通過すると、VALUはあなたにMY VALUなるトークンのようなものを配ってくれる。僕で言うと、8ビットコイン相当ぐらいのVALUトークンがアカウントに付与される事となる。

 

次に、このVALUトークンを、自分で値付けしてVALU内部で販売する事となる。まだアカウントが審査に通過しておらず、僕にどれだけのVALUが付与されるかはわからないけど、とりあえず80高須賀VALUほど付与されたとしよう。このうちの幾つかを僕がVALU上で販売し、好事家がそれを購入したり売ったりされるようになる。

 

このVALUの販売を個人の株式上場のように説明する人が時々いるけど、それは色々な意味で説明があまり正しくないだろう。そうなると、仮にどこかの誰かが僕の持ち分である80高須賀VALUを全部習得したら、僕はその人に全権を握られてしまうわけだけど、そんなのは人身売買と何も変わらない行為だ。さすがにそんな事が日本国で成立するとは思えない。

 

じゃあこの80VALUって何なんだよ、と誰もが思うと思うのだけど、これは会員制のファンクラブ会員証のようなものに大体近いと思うのが妥当なところだろう(実際、VALUの機能上ではある特定の個人のVALUを習得した人向けに、優待情報を付与する権利が与えられている)

 

具体的に説明しよう。僕が先ほど、80高須賀VALU付与されたとして、このうちの40高須賀VALUを販売したとしよう。1VALUを3万円(0.1BTC相当)で販売して、購入者特典として高須賀特別ワイン会のプラチナ会員証を発行したとする。

 

ここで1高須賀VALUを3万円出して買いたいという人は、大雑把にいうと3種類ぐらいの人間にわかれる。

 

1つめは単純に僕のファンだという人。

2つめはワイン会のプラチナ会員権が欲しいという人。

3つめは、僕のファンやワイン会のプラチナ会員権を他人に転売したいという人。

 

1つ目と2つ目はまあいいとして、ポイントとなるのは3つめの転売目的の人だ。この人達が、あれこれ色々やって価格を操作しにかかってくる。

 

高須賀VALUは上限が80と決まっているので、原理上は特典を受けられる人の数は80人に限定される(ここでは話を単純にするために、単位を1VALUに限定し、分割できないものとする)

 

僕の売り出した数は40高須賀VALUだから、この40個が終売すれば僕が追加でVALUを市場に放出しない限りはおしまいだ。

 

販売当初は僕が1高須賀VALU3万円の定額での販売を行うが、全部売れてしまったら、その後の価格決定は需要と供給の流れにより市場の中で決定されていく事になる。

 

例えばどこかの誰かが僕に深く失望してファンをやめたとしたら、3万で買った1高須賀VALUを300円とかで投げ売る事もありえるだろうし、逆にワイン会の会員権が欲しくて30万円でもいいから欲しいというような奇特な方も出てくるだろう。

 

はじめに40高須賀VALUを放出した時、全部売れた仮定すると僕の手元に入ってくる金額は40×3万円=120万だ。

 

その後、市場に放出された高須賀VALUが1高須賀VALUあたり30万円になったとする。

 

すると僕の手元には40高須賀VALUあるから、いちおう僕は時価総額としては40×30万円=1200万円程度の価値をVALUのサイト内で保有する事となる(これはあくまで価値があるというだけで、実際のお金では当然無い。なお当然の事ながら、価値が下がる事もありえる。1高須賀VALUが3円になったら、VALU内部で試算される僕の資産は40×3円=120円だ)

 

これがVALUの基本的な仕組みだ(まだキチンと操作できてないのでところどころ認識が間違ってるかもしれない。その時はコメントなりなんなりで指摘してもらいたい)

 

僕達はVALUをどうすればいいだろうか?

なんか法的なしがらみをくぐり抜ける為なのか、現状ではVALUの購入決済でビットコインを使用しなくてはいけないため一見難しそうにみえるけど、基本的にはなにも難しい事はない。VALUなんて、ただのファンクラブ会員証みたいなもんだと思っておけば、まず間違いない。

 

問題は、このVALUとどう付き合っていけばいいか、だろう。

 

あなたが本当に信用できる人がVALUを上場したとしたら、まあ買ってみるのも悪くはないかもしれない。色々と面白い購入者特典をつけてくれるかもしれない。

 

僕は先ほどワイン会の会員証のような特典を付与する具体例をあげたけど、こういう使い方以外にも、例えば会員限定トークイベントをするだとか、その他にも様々な使い道が今後出て来るだろう。ちょっと前に大炎上したスタディギフトみたいな使い方をする人もいるかもしれない。

 

ちなみにVALUで儲けようと思っている人もいるかもしれないが、正直な事をいうとそんなにオススメする気は起きない。正直、VALUをいくら持っていようがVALU大元が潰れたり、VALUを発行する個人が飛んだりしたら資産価値が0円になるリスクが現状ではあるのだから、かなり危険度合いの高い商品だとしかいいようがないからだ。

 

どうしても儲けたいというのならば、入手後に値上がりしたらさっさと売ってしまうのが一番良いだろう。表題にも出したが、これはバブル期のゴルフ場の会員権と全く同じようなもんである。

 

バブル当時は数億とかしたこれら会員権も、今ではごく一部を覗いて、誰も見向きすらしてないようなモノの方が圧倒的に大多数だろう。

 

少なくとも、僕はイケハヤちゃんのVALUは買わないなぁ・・・

 

<いちおー本当にアカウント作って実証したよって事の証明の為に僕のアカウント公開しておきます。まだ高須賀VALUは公開されてないから買えないけど、仮に発行されたとしても何しようかも全然決めてないから、買わんといてな>

valu.is